7.俺の鏡の中の宝物
ゼファルはヒュリスを連れて自室に戻ると、正面にある執務机に向かった。重厚な皮張りの椅子に座り、引き出しから分厚い手帳を取り出す。机に置かれたままのペンを取って、『リリア 14』と手書きでタイトルが描かれた手帳を開き書き込もうとしたところで、ヒュリスは静止の声を上げた。
「魔王様、今日のリリア様をお書きになる前にこちらの確認をお願いします」
今日のリリア。ゼファルは一日の締めくくりに、その日に盗視したリリアを書き記すのが日課だった。楽しみの時間を邪魔されて一瞬嫌そうな顔をしたゼファルだったが、先程言われていたなとペンを置く。
「明後日の式典だったな」
ヒュリスはずっと持っていた書類を手渡し、仕事の顔つきになった主を見る。リリアを前にして締まりのない顔をさらけ出していた人物と同じとは思えない。
紙をめくって目を通しているゼファルに、ヒュリスはざっくりと概要を説明する。
「おおむね変更はありませんが、参加者が少し変わったのと、勲章の授与者が増えました」
「問題はないだろう。リリアの紹介は俺のスピーチの時に入れるから、リリアが待機できる場所を作ってくれ。あぁ……そうだな。今頃ドレスを選んでいるだろうから、式典用のネックレスを贈るか。ちょうどこの間、似合うと思って作らせたものがあったんだ」
話だけを聞いていれば大したことのない、男が意中の女性に贈り物をするだけの話だ。ただ、その意中の女性がずっと鏡の中の住人で、一方的に盗み見ていたにすぎないのが問題だった。
一部屋を埋め尽くす勢いで増える、いつかリリアに着せたいドレスと、いつかリリアに贈りたい装飾品を、ヒュリスは経済も回るし趣味の一環だと考えればいいかと片づけていた。それが、まさか本当に使われる日が来ようとは。
(あぁ、本当に頭が痛い)
一歩間違えれば、深刻な外交問題になったのだ。いや、これからなる可能性もある。だから、返事が苦言となったのも仕方がない。
「魔王様……本当にこのような突飛な行動をされるのは、これで最後にしてくださいね。城内も国内も不穏分子は潜んでいるんです。人間と戦いたくはないでしょう?」
耳が痛いことだったようで、ゼファルは眉間に皺を寄せると「分かっている」と紙束を振る。
「しかも、長距離だった上に魔術結界の強固な王城に転移するなんて、相当な負担だったはずですよ?」
「別にリリアの苦痛に比べれば安い代償だ。心配するな、リリアを見る魔力ぐらい残っている」
大規模な魔術には相応の魔力が必要だ。そのため術者を増やしたり、魔力が込められた宝石を使ったりするのだが、今回ゼファルは通常の術者なら100人集めてようやく成功するかどうかという転移術を、自分の膨大な魔力と有事のために宝石に貯めていた魔力とで成し遂げていた。
空間魔術の天才というのは嘘ではない。だが、現在ゼファルは平然としているが魔力は枯渇状態に近く、完全回復にはだいぶ時間がかかるだろう。
「国防の話をしているんですよ……。一応国境の警備を増やすよう通達しておきますね」
「そうだな。近いうちにケヴェルンにも行くから、そこまでの街道整備と守護団の訓練も頼む。もしリリアが住むことになれば、予算も増やさなくてはいけないからな」
人間一人で国家予算が左右されるとあっては暴君のようだが、実際予算増の話は出ていたなとヒュリスは気にしないことにした。
「けど、意外でしたよ。てっきりリリアさんを城から出さないのかと思っていました」
それこそ監禁して一生眺めて暮らしたいぐらい言いそうだ。読み終えたゼファルは、書類を机に置いてヒュリスに視線を向ける。
「別に場所は問題ではないさ。リリアがいる場所が、俺の守る場所だからな。それに、姿はいつでも見られる」
「……分別のあるストーカーですね」
「俺はストーカーではないと言っているだろうが。見守っているだけだ」
ストーカーとはこの数年魔族の中で一般的になった言葉で、つきまといや覗き、ひどくなると脅迫などの迷惑をかける行為の総称だった。近年女性魔族の被害が増加しており、法整備が進められている。
「その記録、リリア様に見つかったらどうするんですか?」
「別に読んで聞かせるが? これは俺からリリアへのラブレターだからな。その時々に伝えたかった言葉がつまっている」
と、ゼファルが視線を向けた先には今まで記録してきた使い古した手帳が本棚に並んでいる。その数13冊。
ストーカーの定義に、被害者の記録をつけることも入れた方がいいだろうかと、今嬉々としてリリアの記録を書いている魔王を見て、ヒュリスは顎に手を当てる。だが、直接的な被害ではない上、初の逮捕者が魔王となってはまずいと思いとどまる。
側近がそんなことを考えているとはつゆ知らず、ゼファルは滑らせていたペン先を止めると、宙に視線を飛ばす。
「あぁ、けど……本物のリリアを知ったら、鏡で見ているだけじゃ物足りなくなりそうだな。本物は温かくて、柔らかくて、いい匂いがした。今も、同じ城にいると考えただけで叫びだしたくなる」
「変態ですね」
ヒュリスはリリアに代わる思いでその言葉を吐いた。彼が王位についてから5年近くその奇行を見続けて耐性があっても鳥肌が立った。この場にリリアがいなくて心底よかったと思う。暴言に近いが魔王から叱責はない。
「リリアに贈られた言葉は、全て金言だよ」
「そうでした。もう手遅れでした」
ヒュリスは決意した。リリアに向いている仕事を探して、できるだけ王都から遠いところに住んでもらおうと。だが一瞬で、転移魔術が得意な魔王には距離なんて関係ないかと思い直す。本気でリリアが可愛そうになってきた。
ヒュリスも時々ではあるが、鏡に映るリリアの姿を見ていた。その成長を見ていれば、他人とは切り捨てられないぐらいには愛着が芽生えている。
幸の薄かった少女がやすらぎを得られますようにと願いつつ、ヒュリスは一礼して部屋を後にした。