69.守りの小部屋
第二王子の事件から出発までは三日間あって、私はケヴェルンの町を楽しんだ。興味を持った役所の仕事を手伝ったり、実際に住むことになりそうな地区の空き部屋にシェラ共に泊まってみたりと、ここでの暮らしを体験してみたのだ。
外から見ているのと住んでみるのとでは大違いということもあるので、どうしても慎重になってしまう。実際数か月住んでみて定住を決める人もいるようで、その人たち向けに家具などが備え付けられている部屋が多いそうだ。
近くに安い屋台や料理屋もあるので、食べるのに困らなさそうなのもいい。もちろん自炊もできるけど、外で食べる楽しみは多いに越したことはない。
そうやって自立する訓練をすると同時に、魔王に魔術の習得を手伝ってもらっている。しぶしぶやっているのを隠そうともしなかったけれど、教え方は上手で少しずつ感覚を理解していった。毎日夕食後、魔力切れギリギリまで術を発動させ維持させる。
「イメージ……想像が大事だから、空間を区切るとか隠れるとか、それに結び付くようなことを考えろ」と言われたが、最初は上手くできず薄い膜が張っただけだったり、体の半分しか隠れなかったりもした。
だがそれも、三日目となればイメージも固まってくる。
「魔王様、見ていてください」
私は自信漲る表情で、少し不安そうな魔王と向き合っていた。椅子を向かい合わせで置いていて、手を伸ばせば届く距離に座っている。これは、術が暴発して意図せず消えてしまった時に助けやすくするためだ。
「リリアは頑張り屋さんだな……諦めてくれていいのに」
両方本音なのが魔王のすごいところだ。
「諦めませんよ」
魔術の発動に必要なのは、魔力と意思と具現化させる想像力。どれかが欠けると発動しても弱くなる。私が初級の火の玉にてこずっていたのは、イメージが不足していたからだそうだ。
私は集中すると、ドアを閉めるようなイメージで現実と距離を取りたいと願う。そして、イメージしやすいように魔王と考えた術名を口にした。魔術自体は術名を唱えなくても使えるのだけど、初心者は唱えた方が失敗しにくいのだ。
「守りの小部屋」
その瞬間体中を魔力が巡って、術が発動したのを感じた。
「リリアが消えた……」
目の前では魔王が驚いて、口を半開きにしている。分かっていても、急に消えたらびっくりするのだろう。
「やったぁ! 成功したわ!」
達成感で胸がいっぱいになる。嬉しくって、今なら何でもできるんじゃないかって思えた。
「リリア、リリア? 本当にそこにいるのか?」
逆に魔王は恐怖におびえるような表情になって、手を伸ばしてきた。だけど、それは私に触れることはなくすり抜ける。
「魔王様……」
こちらから見えて聞こえているのに、向こうからは消えていて触れることもできないのだ。試しに私も魔王に触れようとしてみるけれどすり抜けてしまう。なのに、椅子には座れているから不思議だ。おろおろしている魔王が、迷子の子どものように見えて加虐心がうずいてしまった。少しぐらい放っておいてもいいだろう。
ちょっと冒険してみましょ。
キョロキョロと私を探している魔王から視線を外し、立って歩いてみる。足音もしないようで、魔王が気づくことはなかった。そして、興味本位でテーブルに置いてあった本に手を伸ばす。すると、面白いことに持ち上げることはできたがテーブルに本は残ったままだ。
「あら?」
思いもよらない現象に目を瞬かせてしまう。一度本をテーブルに置くと、二つは重なるようにピタリとあった。もう一度手に取ると、やはり残像のように本が残っている。
「どういうことなのかしら」
分からなくて首を傾げていると、切羽詰まった声が耳をついた。
「リリア! 出てきてくれ! 押し破るぞ!」
振り向けば魔王が必死の形相で空間を叩いていた。音はしないが、まるでそこに壁があるかのように叩き続けている。この三日で魔王は私の髪が無くても空間の壁をうっすら感知できるようになったようで、天才の適応力の高さに舌を巻く。
これ以上一人で探求していると壁を壊されそうなので、ドアを開けて出るイメージをする。また魔力が体を巡って、どっと疲れた。私の魔力では一日に一度発動するのが限界だ。
「あぁ、リリア! よかった! 成功したんだな!」
姿を現すと、魔王は駆け寄り抱きしめてきた。
「ちょ、魔王様!?」
相当私が空間の狭間に消えたことが恐怖として残っているのか、頭も撫でられる。そのまま髪に指を絡めて……。
あ、これ遊んでるわね。
「止めてください!」
ちょっと悪かったかしらと反省していた私が馬鹿だった。魔王から距離を取ると、明らかにしょんぼりしていたが、これ以上は無理だ。
恥ずかしすぎる!
私は恥ずかしさを抑えようと髪とスカートを整え、深呼吸をする。
「魔王様、魔術の習得につきあってくださってありがとうございました。これで何かあっても大丈夫だと思います」
頭を下げてお礼を言うと、魔王は照れたのかむずがゆそうにしていた。
「リリアこそ、よくがんばった。……だが、極力この術は使わないようにしてくれ。俺の情緒が死ぬ」
憂鬱そうな顔になった魔王だったが、「そうだ」と何か思いついたようで片方の口端を上げた。嫌な予感がする。
「明日からは俺の修練に付き合ってくれ。リリアが守りの小部屋にいても視えるようになってみせる」
ナイスアイディアと謎の言葉を叫んだ魔王はやる気に満ちていて、私は勢いよく首を横に振る。
「絶対嫌です!」
「頼む!」
「無理です!」
そのまま両者一歩も引かない言い合いとなり、騒ぎが気になって様子を伺いに来たシェラに呆れ顔で止められるまで続くのだった。




