65.黄色い百合令嬢との決別
私の言葉だと思わなかったのか、王子はきょとんと目を丸くしていた。
「浮気、婚約破棄、貴族位剥奪、国外追放。ここまでされて、なんで戻ると思ってるんです? ほんと昔から頭がお花畑ですね。世界は貴方中心に回ってるんじゃないんですよ?」
矢継ぎ早に言葉が出てくる。私はもともと大人しく、微笑を浮かべるような性格ではなかった。子供の頃は口げんかも良くしたし、手が出る時もあった。令嬢として振舞わなくてはいけないから、本音は心の中でまくしたてていただけだ。
「リリ……ア?」
信じられないものを見ている顔をしている王子に、私はいつもの微笑を浮かべる。一度外れた箍はすぐには戻らない。
「私を連れ戻すために来たのなら、ケヴェルンの町も見たのでしょう? ここで住む人たちを見て何も感じなかったのですか? 人間と魔族、当然上手くいかないところもありますが、それでも共存を目指しているんです。それが魔王様の目指されているところなんです。貴方の八つ当たりで壊されていいものではありません!」
一応相手は王子だと丁寧な言葉遣いを心がけたためか、説教のようになった。これにはシェラと魔王様も少し驚いた顔になっている。
「リリア、お前……魔族から悪い影響を受けたんじゃないか? 淑女の鑑だったのに……それほど、ここでの生活は過酷だったか」
「くっ……」
とんちんかんな王子の発言に下町仕込みの暴言が出そうになったが、淑女の自分が何とか踏みとどまらせた。危ない、ここにはシェラも魔王様もいる。
「魔王様も他の魔族の方も、とてもよくしてくださっていますわ。向こうに比べれば何の苦痛もございません」
「お前、魔王に連れ去られて絆されたのか? 可哀想に、洗脳されたなら解いてやろう」
「絆されていませんし、洗脳もされていません」
間髪入れずに否定したら、魔王が微妙そうな顔になっていた。だが今はそこを気に掛ける余裕はない。この国と私の平穏な生活のためにも、王子を諦めさせなくてはいけないからだ。
「もう一度言いますが、私はアイラディーテに戻る気はありません」
はっきりと言いきって、一息つくと王子に向けて本音を言葉に変える。
「この国の人たちが好きなんです。私はここで、みんなのために何かをしたいと思います。だから、もう来ないでください」
「なんだと!?」
王子の顔は一瞬で怒りに変わり、手を出したいのかまた体を捻ってシェラの手から抜け出そうとした。
「身の程をわきまえろよ! この俺が直々に出向いているのに断るだと!? お前が戻らなければ、伯爵夫妻も責を負うことになるぞ!」
王子はあの手この手で私を脅そうとする。父と継母を出されると多少後味が悪いが、それでも心は揺るがない。
「この世に生を受け、育てていただいた事実はありますが、最初に娘との関係を切ったのはあちらです。私はもうデグーリュの人間ではありません」
冷たい言い方だけど、さすがに娘として接してくれなかった二人を親として敬うことはできないし、情もわかない。
「この恩知らずが! これ以上逆らうなら反逆罪で捕えるぞ」
「私はすでに国外追放を受けた身でアイラディーテの国民ではありません。そちらの法は適応されないと思いますが?」
妃教育で必要だと思わなかった政治がここに来て役に立った。当然王子も知っていることなので、言葉に詰まっている。
話は平行線。うんざりし始めたところで、魔王が話を断ち切る。
「これ以上は無意味だ。リリアに戻る意思はなく、お前にリリアを連れ戻す道理はない。負けを認め国に帰れ。二度とこの国の土を踏むな」
「黙れ。誰が諦めるか。どんな手を使ってでも、必ず連れ戻るからな!」
力で敵わず、策も言葉も通じなかった王子の完全な敗北なのだが、一切諦めた様子はない。そういえば昔から負けを認めるのが嫌いだったなと思い出していると、そんな態度が魔王の気に障ったのか声を荒げた。
「見苦しいぞ! 敗者は潔く身を引け! それが嫌ならば正々堂々と俺に挑み力を示したうえで、リリアの心を動かせ!」
「笑わせるな! 何が魔族の美学だ。最後に勝ったものが正義なんだよ。覚えておけ。俺は魔王、お前を認めない。リリアを取り戻し、この国を終わらせてやる」
最後には憎しみに満ちた言葉になっていて、怒りを魔王とミグルド王国へ向ける様は、呆れを通り越して哀れですらあった。
「ルーディッヒ様」
これ以上話しても得られるものはないので、私は決別の思いを込めてずっと縛られていた名を呼ぶ。もう彼に睨まれても、顔色を伺う弱い私はいない。
「ここでお別れです。予言についてはよく分かりませんが、別人の可能性もありますし、仮に子供が勇者となってもアイラディーテに害をなすことはさせません。両陛下にはこの言葉を伝えてください」
王子が私を連れ戻しに来たのは、予言の勇者が魔族側に立つことを恐れたところもあるのだと思う。5年前に魔族側が勇者を恐れてアイラディーテを滅ぼそうとしたことに通じるところがある。
一応王子が引き下がれる落としどころを作ったつもりだが、王子の表情を見る限りは理解できていないようだった。
「何を言ってるんだ。許さないぞ! おいリリア! 目を覚ませ。お前はそっち側じゃないだろう!? 俺と一緒に」
「いい加減にしろって言ってるんです。今までは我慢していましたが限界です。もう顔も見たくありません!」
一息で言い切れば、ずいぶんと心が軽くなった。溜めに溜めた鬱憤が晴れていく。
なおも王子は言い返そうとするが、それより先に魔王が動いた。シェラに指で合図をして、意識を奪わせたのだ。闇魔術の一種のようで、顔を黒い霞みで包まれた王子は一切動かず静かになっていた。
「国境外に放り出してこい」
その指示が出ると同時に、草が擦れる音がして軽鎧を着た騎士たちが十数人出てきた。気配を殺して潜んでいたようで、全く気付いていなかった私は驚いて肩を跳ねさせてしまった。
騎士たちは私に向けて一礼すると、王子と護衛の兵士たちを担いで森の奥へと消えていく。迅速な仕事だ。あっという間にこの場には壊れた馬車が横たわるだけになっていて、私はこれで終わったと安堵の息を吐きだした。




