61.拒絶
「くそっ……王子である俺がこんな馬車の中で寝る羽目になるとは」
長距離用なので空間にゆとりはあるものの、大人の男が足を伸ばして寝ることはできない。私はどんな環境でも寝られるため、体を壁に預けて座ったまま寝ることにする。
今は考えても仕方がないわ。何かあった時のために、少しでも体力を温存しておかないと。
もしかしたら、今頃私がいないことに気付いた魔王たちが探しているかもしれない。それならば、ここを動かないほうがいい。
そう考えていると、再びドアがノックされる。
「殿下、準備が整いました。お願いします」
「分かった」
何をするのかと視線を向ければ、王子は兵士から手渡された拳大の丸い水晶に力を込め始めた。何かの術を発動したのだろうけど、中からでは分からない。じっと警戒心を持って見つめていると、王子と目が合いニィッと意地の悪い笑みを向けられた。
「逃げられると思うなよ。これは景色に溶け込む幻覚を加えた障壁だ。外からは見えず、中から出ることはできない」
王子は用が済んだ水晶を兵士に返すと、窓の板を閉める。蝋燭の火がゆらぎ、王子の顔の影が濃くなった。私は睨みかえすことしかできなくて、忍び寄る絶望から逃げるように目をつぶった。
王子が身じろぐ音、兵士たちの鎧が出す無機質な音、木々のざわめきと獣の咆哮。神経が高ぶっているからか、音に敏感になっていて眠気なんてやってこない。
魔王様……シェラ……。
心の中で二人の名前を呼ぶ。きっと心配している。
私、どうしたら……。
その時、近くで気配を感じて目を開けた。目の前に王子の顔があって、驚いて身をのけ反らせる。
「いたっ」
頭を壁にぶつけ、じんわりと後頭部に痛みが広がる。王子は後ろの壁に片手をついていて、圧迫感があった。
「何の魅力もない女だが、これも王族の務めか」
「……え?」
「孕ませれば、俺の地位も盤石なものになる」
醜悪を固めたような表情に、全身に鳥肌がたった。
「嫌!」
王子を押しのけようとしたがビクともせず、逆に左の手首を掴まれて楽しそうに歪んだ顔を近づけられる。息が荒い。掴まれている手が気持ち悪い。私の体は恐怖で震え、少しでも離れたくて顔を背けた。
「いい顔だ。恐怖しろ。お前は体だけあればいいんだよ」
「嫌! 離して! 助けて!」
自由な右手で王子を払いのけようとするが、なんなくかわされ胸元を掴まれた。背もたれに押し付けられ、さらに身動きできなくなる。
「馬鹿が。誰もお前なんかを助けるわけがないだろ」
鼻で笑った王子は、ふと胸元のネックレスに目を留めた。口角が歪に上がる。
「へぇ……いいネックレスだな。魔王からの貢物か? ははっ、いい気味だ。あの男、どんな顔をするだろうなぁ。魔王に汚された後と思うと気がそがれるが、お前の腕を見せてもらうとするか」
「はぁ!?」
頭に血が上って、目の前が真っ白になった。恐怖が怒りを凌駕して、右手で拳を握り正面から王子を睨みつける。この男は、私が魔王に手籠めにされたと決めつけているのだ。抑えきれない激情に唇がわななく。
「魔王様を侮辱しないで!」
叫べば感情が爆発した。怒りのままに突き出した拳は王子の左頬にきれいに入る。子供のころのケンカを、体はまだ覚えていた。王子が少し怯んだ隙に胸を両手で押しのけ、立ち上がって距離を取る。立ち向かう勇気が欲しくて、無意識にネックレスを握りしめていた。
「貴様!」
こんな奴と一緒にいたくない。今すぐここから逃げたい。みんなの、魔王様の下へ戻りたい!
「こっちに来ないで、消えて!」
心の底からの拒絶を言葉にする。偽りのない本心を叫べば、全身を何かが駆け巡った感じがした。掌の中の魔水晶がはじけ飛ぶと同時に、くらりと意識が遠くなって反射的に目を閉じる。魔王の瞬間移動に似た感覚。
「ふざけるなぁぁっ……」
王子の声が途切れ、目を開ければ視界に映るものは無。
「……え」
何もない暗闇が広がっていた。




