60.馬車の中で
「どうして、私を連れ戻すのですか」
なるべく冷静を装って言葉にすれば、問いただすような声音になった。王子は面倒そうに片眉を上げ、腕を組んだ。
「自惚れるなよ。情が移ったのではないからな」
質問しただけなのに否定が返ってきて、膝の上で拳を握った。
こっちこそ、あんたの情なんて願い下げよ。
相変わらずの身勝手さに、ふつふつと怒りが湧いてくる。王子は私が言葉を返さないのを見ると、鼻で笑ってから言葉を続けた。
「予言があったんだよ」
「予言?」
王子の口からそんな言葉が出ることが意外で聞き返せば、彼の笑みに嘲りが混ざる。
「お前には教えていなかったが、我が国には予言を告げる石碑があるのさ。十年に一度、繁栄の導きを教えてくださる。まあ、このことを知るのは王家と古い貴族ぐらいだけどな」
きっと知らないと思われたのだろう。丁寧に説明してくれるけど、ヴァネッサ様から聞いた通りで驚きはない。
「それでちょうど今年が予言の年なんだが……お前を追放してから二週間ぐらい経った時予言が刻まれた」
恨みがしく忌々しそうに、彼はその予言を口にする。
「デグーリュの娘から勇者が生まれる、と」
「勇者……」
単語しか返さないのは余計な情報を王子に与えたくないからだ。頭の中でヴァネッサ様が話していた予言とつながる。ミグルド王国では5年前に予言があり、人間から勇者が生まれるというものだったはずだ。それがアイラディーテでは具体的になっている。
「お前でも伝説ぐらいは知っているだろう。信じられないが、予言は絶対だ。デグーリュ家に娘はお前しかいない。分かるか? お前が産むんだよ」
王子は血走った目をしていて、怒りで顔が引きつっていた。
「予言が刻まれてから、俺は非難の嵐だ。なんで国外追放にしたんだってな。しかも問い詰められたバカ女がリリアを嘘で陥れたなんて白状するから、リリアを連れ帰るまで国に戻ってくるなと追い出された。全部お前のせいだ」
「そう言われましても……」
怒り心頭の王子を見ていると逆に冷静になってきて、私が出て行ってからの出来事を頭の中で組み立てる。つまり、予言が下ったはいいが肝心の私がおらず、その相手になるはずだった第二王子が責められたってことね。しかも、べったりだったご令嬢とは結局上手くいかなかったと。
あえて訊く気はないが、話の流れからするとそうなるのだろう。
でも変ね。私との婚約は子どもを作らないことが条件だったのに……。その予言、本当に私なの?
疑問が浮かぶが、尋ねる気にはなれなかった。王子とは話を聞くだけで疲れる。
「おかしいだろ。なんで俺が魔族の国まで探しに行かなきゃならないんだ。供も四人だけで」
王子はため息をついて、被害者のような顔をしていた。本当に自分を中心に世界が動いているような語り口だ。
「王都まで行くしかないと諦めていたが、ケヴェルンで見つかったのは幸運だったな。やはり俺は人の上に立つべき男なんだ。リリア、俺に感謝しろよ。お前を魔族の国から救っただけじゃなく、国母にしてやるんだからな」
「……はい?」
そろそろ言っていることが理解の範疇を超えだしていて、素で聞き返してしまった。
「光栄にもこの俺の子を産ませてやるんだ。子は勇者なんだろ? なら、その子が王位を継ぐのが当然。俺の権力も増すってことだ。兄上に継がせるかよ」
馬鹿なの?
開いた口が塞がらない。どういう思考回路でその答えが導かれたのか、理解したくもなかった。
これはまずいわ……。私が大人しく戻れば済む問題じゃないもの。この馬鹿の暴走を止めるにはどうすれば。
最初に浮かぶのは比較的話を分かってくれる王と王妃、つまりは王子の両親に相談することだ。私は庶民の血が混ざっていることと、伯爵家に借りを作ってしまったことで好かれてはいないけれど、国のための話なら聞いてくれる気がする。
あとは……第一王子。
馬鹿王子より三つ上の彼は、人格者と評判で何度か私に声をかけてくれたことがある。彼もまた聞く耳を持ってはくれそうだ。
そんなことを考えていると馬車が停まり、ドアがノックされる。薄い板を滑らせて、王子が窓から顔を出す。
「ここからは道が険しく、夜間は危険なためここで夜明けを待ちます」
「わかった。夜明けとともに出発だ。さっさとアイラディーテに戻るぞ」
隙間から見えた外は明かりがなく、ここで外に出れば野垂れ死ぬのが確実だろう。馬の荒い息遣いと鎧が擦れる音がする。護衛たちは野営の準備をするようで、私たちは馬車で一夜を明かすことになった。




