58.魔術のお話
「リリアは、魔術に興味ある?」
「魔術ですか?」
思わぬ方向の話で拍子抜けしてしまい、素で聞き返してしまった。自分には縁がない話だった。
「そう。どこで生活するにしても、身を守るために魔術が使えると便利だから。どうかと思って」
「う~ん。使えればいいなとは思えますが、私適性ないので無理だと思います。魔力量も低いので、初球の火の玉がまっすぐ飛びません」
伯爵家に引き取られて真っ先に行われたのが魔術の適性診断で、辛うじて火が使えると分かったものの、いざ術を出すと威力がほとんどなかった。形になった火の玉がふらふらと飛んで、的に届く前に落ちたのを見た先生と両親から早々に見切りをつけられたほどだ。
「それはそれで可愛いが、測ったのは五大魔術だけだろう? 他に適性があるかもしれないから、帰ってから受けてみたらどうだ?」
「あー、考えたこともありませんでしたが、その可能性もあるんですね」
「あぁ、それに魔力量が足りないならちょうどいい物がある」
そう言って指先で空間を裂き、腕を突っ込んで何かを探っている。この光景も見慣れてきて、ああいう術が使えるなら便利なのにと思っていると、目当てのものがあったのか腕を引き抜いた。あの状態でどうやって見つけているのかが不思議だ。
「これ、小さな魔水晶がついたネックレスなんだが、魔力を増幅してくれるんだ。つけておくといい」
「そっか、魔力量が少なければ補えばいいんですね」
手渡されたネックレスには小指の爪ぐらいの緑の石がついていて、台座には細かい装飾がついていた。洗練された美しいデザインで、シェラにつけてもらえば魔王は満足そうに笑みを濃くした。
「そこには俺の魔力が貯められているから、質はいいぞ。それに術を込められた魔石も売られているから、それを持っておくのも手だ」
魔石は魔術が使えなくても、特定の術を発動させられるのだけどその分いい値段がする。庶民には手が届かない品だし、使うところもないので選択肢の中にもなかった。
「ありがとうございます。明日、市場で魔王様から見えなくなるような魔術がないか探してきますね」
「はっ!? え、えぇっ!?」
冗談で言っただけなのに、魔王は目に見えて狼狽えて声をあげて笑ってしまう。そして、何か言葉を繋げようとしているのか、迷っている魔王に給仕に徹していたシェラが声をかける。
「魔王様」
「あっ、そうだな。そのネックレスは外に出る時は必ずつけてくれ」
「魔王様」
なぜかシェラはもう一度魔王の名を呼んでいて、怒られている子どものような魔王が可愛らしい。たくさん笑ったので気分がよく、私は小さく息を吐くと空になったカップをテーブルに置いた。
「では、私は部屋に戻りますね。今日いくつか本を買ったので早く読みたいんです」
「あー、いいな。本を読むことはいいことだ。また明日、本の感想を聞かせてくれ」
「はい。おやすみなさい」
立ち上がると軽く礼をする。
「リリア様、私は少し魔王様とお話があるので先に戻っていただいてもよろしいですか。部屋に侍女は待機させておりますので」
「かまわないわ。ゆっくりどうぞ」
魔王が悲壮な顔になったので、きっとお説教なんだろう。この部屋から私の部屋は近く、廊下にも一人護衛の兵士が立っている。そして部屋に入ればシェラが言っていた侍女が礼をして迎えてくれた。
「リリア様、ようこそお戻りくださいました」
いつもと違う言葉に、懐かしさを感じる。アイラディーテの王宮でよく聞いた固い言い回しだ。
「私は本を読むから、適当に待機してくれていたらいいわ」
指示を出しておかないと甲斐甲斐しく世話を焼かれてしまう。侍女はきれいなお辞儀をしてドアの近くに下がると、鍵をしめた。
え? 鍵?
今まで部屋の鍵を侍女が閉めたことなんてなかった。小さな違和感にその侍女から目を離せずにいると、ゆるく弧を描いている口が開く。
「リリア・デグーリュ、探したぞ」
発せられた声は男のもので、見た目との差に脳がすぐに受け取れなかった。だが体は強張り、その感覚が声の主を導き出す。大股で近づいてくるその人は、瞬きの合間に姿を変えていた。
「アイラディーテへ戻れ」
その顔が目に入ったとたん、心臓が掴まれたように苦しくなり鼓動が早くなる。あの舞踏会の一幕が蘇って、息が浅くなった。一瞬で、アイラディーテへいた頃の自分へと戻る。乾いた口で、なんとか言葉を振り絞った。
「どう、して……ここにいらっしゃるのですか。ルーディッヒ様」
私に婚約破棄をつきつけた、第二王子が目の前にいた。




