57.ケヴェルンについておしゃべり
夕食を食べた後、食休みも兼ねて魔王と話をすることになった。ケヴェルンに来てから魔王は忙しそうで、なかなかゆっくり話す時間がとれなかったから久しぶりのような気もする。場所は宿の一室で、魔王が泊まる宿ともなれば歓談のための小部屋も豪華だった。
今日は魔王好みの茶葉らしく、独特の香りがカップから立ち上っている。時々魔王からも感じる香りで、すっかり覚えてしまった。味も嫌いじゃない。
「リリア、昨日今日と見てケヴェルンはどうだった?」
丸テーブルの向かいに座る魔王は、カップを片手に視線をこちらに向けていた。こういう時、お酒を飲むことも多いのだけど魔王は夕食の時もほとんど飲まない。きっと自分も周りも酔うと面倒なことになると分かっているのだろう。ふと黄色い百合を贈られた時のことを思い出しそうになり、慌てて思考から追い出した。
「えっと……住みやすそうだなとは思いました。人が温かくて受け入れてくれる感じがします」
「ケヴェルンは人の流入が多い分、自衛意識が高いからな。暮らしを守るためのお節介だが、よく機能している」
シェラからも聞いたが、政治的視点で返してくる魔王はやはり為政者なのだと感じる。今日も朝から夕方まで公務が詰まっていたようで、少し疲れた表情をしていた。
「王都や見てきた町とはずいぶん違うので新鮮さはありますね。王都に来た時も思いましたが、世界って広いんだなぁって思います」
魔族なんて物語の世界ぐらい遠いものだった。それが、今や魔族の国で共に暮らし、魔族と人間が混ざっていく様を目の当たりにしている。
「そうだな、世界はとても広んだ」
しみじみと噛みしめるように呟いた魔王はカップに視線を落とした。その目は昔を見ているようで、子供の頃部屋から憧れた外の世界を思い出しているのかもしれない。
「その世界を、リリアと一緒に見られたら最高だろうな」
穏やかな声音のままそんな願望を口にするので、思わず「いいですね」と答えそうになったが踏みとどまる。言質を取られたら、絶対連れていかれるのは確実だ。代わりにお淑やかな令嬢の微笑みを浮かべておく。こういう時は下手に口を開かないほうがいい。
「まぁ、そこはおいおいその気にさせるとして、仕事もいくつか見たのだろう? そちらはどうだった?」
魔王が諦めのないのはいつものことで、無駄に前向きな言葉でくくったあと話を変えた。
「えっと……私には難しい仕事もありますが、いくつかはできるかなと思います。役所の人がすごく来てほしそうでした」
熱烈に勧誘してきた役所の女性を思い出し、くすりと笑ってしまう。その笑みにつられるように魔王も笑うが、少し寂しさが混ざるものだった。
「首長にも簡単にリリアのことを話したが、ぜひ定住をと言っていたよ。役所のリリア……俺が訪問した時に付いてくれる可能性もあるわけか」
しみじみと呟き、「悪くない」と何かを想像した魔王に剣呑な視線を向ける。
「何を勝手に想像したんですか」
「ん? こう……キリッと俺の仕事をサポートしてくれる書記官」
「本当に思考が残念です」
「俺への遠慮が無くなって嬉しいなぁ」
はははと笑ってお茶を口に運ぶ魔王は、所作と顔だけはいいのに中身が残念過ぎる。魔王はカップをテーブルに置くと、優しい眼差しで言葉を続けた。
「リリアは案外気が強くて負けず嫌いなところがあっただろ?」
「えぇ、まぁ。一方的に見られて把握されていることにもやっとしますが、そうですね」
子供の頃は友達とよくケンカして、大人相手に言い返すこともあった。それをやめたのは伯爵家に引き取られてからで、仮面が分厚くなりすぎて淑女の微笑が外せなくなっていた。本音は全て抑えこんで、物置で一人呪詛のように呟くしかなかったのだ。
棘のある言い方なのに、魔王は気分を害した様子も無く満足そうに微笑んでいる。
「やっぱり、”ありのまま”が一番だよ」
黄色い百合の、この国での花言葉。
なんだかいい話をしている雰囲気だが、言っているのがこの魔王なのでまっすぐ心には響かない。たしかに”ありのまま”いられるなら素敵だが、認めたくない”ありのまま“もある。
「魔王様のストーカーはやめて欲しい“ありのまま”です」
「いい切り返し、いっそ俺専属の書記官にならない?」
「なりません」
ポンポンと弾むように会話が進む。それが心地よかった。冷めて飲みやすくなったお茶が、楽しい時間が過ぎていることを教えてくれる。落ち着いた沈黙が流れ、他の話題を思い出していると魔王が何か言いたげな表情をしていることに気付いた。王都を出てから度々している顔で、よほど言い出しにくいことなのかなと身構える。
う~ん。ケヴェルンへの定住を進められるのかしら。
はかりかねて黙って魔王が話し出すのを待っていると、渋い顔をしていた魔王が「あのさ」と覚悟を決めた表情で切り出した。




