56.ケヴェルンの町を歩く
今日はケヴェルンの人間が多い地区を見てまわることになっていた。天気がよく歩いているとじんわり汗をかくぐらいだ。
街並みが昔住んでいた下町に似ていて、屋台や店から漂う香りも懐かしさを感じるものが多い。古くから住んでいる人と、移住してきた人が混ざっている上に、アイラディーテ中の人がいるため幅広い地域の特色が見られた。
建物はアイラディーテ風のものが多いが、道行く人には魔族も混血であるケーヴェもいて、ここが特別な場所なんだと強く感じさせてくれる。魔族と人間という組み合わせも珍しくなく、私とシェラはすんなりと風景に溶け込んでいた。
「リリア様、あそこのシャーベットがおいしいらしいですよ」
「シャーベット?」
初めて聞く名前に興味津々で、シェラが指さす先へと視線を向ければ賑わっている屋台があった。
「果汁や蜜を入れた水を凍らせて削ったものです」
「あ、氷菓子ね! 今日は少し暑いからぴったりだわ」
氷菓子は氷結の魔術が使えれば作れるので庶民でも食べられる甘味だ。それでも下町にいた頃はひと夏に数度の贅沢で、銅貨を握りしめて買いに行ったのを覚えている。
「少し休みましょう」
店先にはベンチがいくつかあって、涼を求める人たちがたくさんいた。シェラにベンチで待っているように言われたが、自分で注文したいので一緒に行く。店先でメニューを見ながら考えるのも楽しい時間だからだ。
「すごい。私が知っている氷菓子を何倍も上等にしたものだわ」
お客さんが食べているのは、昔食べたガリガリと噛み砕いて食べるものではなく、ふんわりとした新雪のような氷だった。しかも果物のシロップやナッツのトッピングもあって、格段においしそうだ。
「最近人気のスタイルだそうです」
「へ~。雪菓子って感じね。ん~。ミルクベースに苺もいいし、レモンベースに柑橘のシロップも捨てがたいわ」
スーと一緒なら一口分け合えるけど、さすがにシェラにするとはしたないと窘められそうだし……。
「お嬢さん、悩んでるならハーフアンドハーフもできるよ」
メニュー表とにらめっこしていたら、シャーベットを作っている恰幅のいいおじさんが声をかけてくれた。
ハーフアンドハーフ……聞いたことないけど、たぶん半分ずつということね!
魔族特有の言い回しも慣れれば意味を取りやすくなる。ここは両方いただこうと、それを頼んだ。シェラは紅茶をベースにレモンソースをかけたシャーベットにしていた。
「最近ケヴェルンに来たのかい?」
回転する刃で氷を削りながらおじさんがそう聞いた。昔見た機械は手で回していたが、これは風魔法で回しているようで高速回転している。
「はい。どんなところなのか見に来たんです」
「お嬢さんのような可愛い子は大歓迎だよ。もう役所には行ったのかい?」
「はい、説明を受けています」
気さくに話しかけてくれたおじさんはよく見ればケーヴェのようで、角が短く耳が丸い。手際よくシロップとトッピングを乗せて手渡してくれた。船のような横に長い木皿に小盛のシャーベットが二つ乗っている。
店先のベンチに座れば周囲にいた人たちからも「ケヴェルンへようこそ」と笑顔で声をかけられたて、今までの町ではない経験に少し戸惑ってしまう。余所者として目立っている感じではなく、受け入れて関わろうとしてくれる。
「ケヴェルンは外から訪れる人が多いので、住民たちが自衛のためにも声をかけているんですよ」
なぜと疑問が浮かんだが、スプーンで白い氷ですくい口に入れた瞬間雪が溶けたように理解した。口の中にミルクと砂糖の甘さが広がり、苺の酸味が引き締めてくれる。
「おいしい」
味の感想が先について出、遅れてシェラに言葉を返す。
「そっか、何か企んでいる人は注目されたらできないものね」
声をかけコミュニティの中に入れることで、暗に見ているというメッセージを伝えることができる。それは時に、剣を持った守護団が巡回するよりも強力な抑止力になることがあるのだ。
「そうです。逆に王都は人が多く広いため、あまり効果は上がらなかったんです」
「そうなのね……あら、このシャーベット、頭が痛くならないわ」
シェラに話を聞きながらおいしくて何口も食べてしまったが、いつもなら来るはずの頭痛がない。不思議に思ってお皿に目を落とした。
「このシャーベットはとても氷が細かいので頭が痛くならないんです。まあ、あの痛みも風物詩という感じで悪くはありませんが」
「すごいわね。面白いわ」
今度はレモンの方を一すくい口にいれれば、すっきりとした酸味を果肉が入った柑橘のシロップが和らげてくれる。ミルクベースと混ざったところもおいしくて、子どもの時とは比べ物にならなかった。
ほんと、人生何が起こるか分からないものね。こんなところで、シャーベットを食べているなんて。ここでの暮らすのも悪くはないわよね。
店先のベンチに座って雑踏を眺めると、人々が生活している息遣いが感じられる。買い物をする住人、金物屋の職人に売り子、仕込みの材料を買いに来ている料理人。誰も種族のことを気にしていなくて、まるで別世界に来たようだ。
ここで仕事をして、種族も今までのことも気にせずに生活して生きていく。
行きかう人達の中には家族連れもいて、自分もそうやって誰かと家族になる道もあるのだろう。第二王子と形だけの結婚をすると思っていたから、普通の家族を作るなんて考えたこともなかった。
きっと、人々が言う幸せってああいう形なのよね。
小説の英雄譚ではない、ごく一般的な暮らし。前に魔王から幸せになって欲しいと言われてから、時々幸せについて考えるようになっていた。まだその形は見えていないけれど、温かさは感じる。
私、何がしたいんだろ。
堂々巡りに入りかけた時、シャーベットが最後の一口になっていた。考え事をしながら無心で食べていて、もっと味わえばよかったと少し後悔する。
「シェラ、帰るまでにまた食べに来ましょう」
そう器を返してくれるシェラに頼むほどおいしかった。今度は違う味も試してみたい。
「えぇ、そうですね」
シェラは嬉しそうに微笑んで、器を返しに行った。ついでにこの周辺の情報を聞いているようで、さっきのおじさんと近くにいた人たちと話している。私は引き続き大通りを眺めていて、雑貨屋に目を留めた。
あ、スーにお土産を買わないと。
今までの町でも珍しいものや面白いものをちょくちょく買っている。もちろん一緒に仕事をしている人間研究部の人たちにもだ。仕事を始める時に、当面必要なお金は支給されていて、管理はシェラがしてくれていた。
本当にいい天気……眠くなりそう。
ぼーっとしかけた時、「リリア?」と名前を呼ばれた気がした。
反射的に背筋が伸びてキョロキョロと声の主を探すが、私を見ている人は誰もいない。
気のせいかしら……。まさか魔王様、声を届けられるようになったんじゃ。
見ているんじゃないかと今度は魔王の水晶を探すがどこにもない。このことについては今晩聞いてみることにして、戻って来たシェラと町の散策を再開した。行く先々で住人に声をかけられおしゃべりを楽しむことになるのだった。




