55.宝物に伝えるのは勇気がいる
ゼファルは瞬間移動で宿の自室に戻ると、ふぅと息を吐いた。ケヴェルンの首長と会談を終えて一度戻っていたのだが、定期連絡をヒュリスと取ったところ急ぎの案件があるということで城へ帰っていたのだ。そちらを片付けて帰れば、すでに夜遅く日付が変わりそうだった。
さすがに疲労を感じ、上着をソファーに投げかけて自分も腰を下ろす。侍女を呼ぼうかと考えると同時にノックの音がして、優秀だなと思いつつ入室の許可を出した。入ってきたのはシェラで、すでにリリアは寝ているのだろう。
「おかえりなさいませ。リリア様はお疲れになったようで、今日は早めにお休みになられました」
「そうか……今日は夕食を共にできなかったが、ケヴェルンはどうだったんだろう。住みたいと思ったんだろうか」
疲れもあるのかゼファルの声には力がなく、寂しさを感じ取ったシェラは仕方がない人だと眉尻を下げる。
「まだお決めになっていませんよ。迷われているようです」
それを聞いたゼファルの顔がパッと明るくなって、分かりやすいと思いながらシェラはお茶の用意をした。
「首長にも、リリアが定住することになればよろしく頼むと言ってあるし、ケヴェルンの治安はいいようだから心配はしていない……」
公務に私用を入れているところを窘めるか迷うシェラだが、リリアの益になることなので見逃すことにした。シェラも受け入れ担当の役人に事情を説明しているので、そちらからも情報は行くだろう。
「急ぐことではありませんし、焦らなくてもよいと思いますよ」
心配していないと口にしながらも、別の意味で不安になっているゼファルにお茶を出した。ゼファルがお気に入りの茶葉は独特の香りがあり、それがアロマのように部屋に広がる。
「そうだな……。どんな選択であれ、リリアが選んだものなら……」
一口飲んだゼファルは小さく息を吐くと、視線を落としたまま呟いた。
「受け入れるが……それでも側にいてほしいと思うのは、俺のエゴだよな。以前は見ているだけでよかったのに」
素直に気持ちを吐露するゼファルに、茶にお酒は垂らしていないはずと一瞬疑ってしまったシェラだ。どうも話を聞いてほしそうなので、ここはつきあうことにする。
「何かあったんですか?」
城に行くまでは普通の様子だったので、向こうで何かあったのかと推測しているとゼファルは宙に視線を飛ばした。
「仕事の方は問題なく終わったんだが……ヴァネッサが来て進捗を問い詰められた」
「あぁ、リリア様に力のことを伝えるという。何度か試みていらっしゃいましたね。リリア様もさすがに感づいていらっしゃいますよ? そんなに難しいことではないでしょうに」
シェラは伝えようとして日和るゼファルにやきもきしていたため、少し言葉に棘が出てしまった。ヴァネッサは棘ではなく、槍先ほどの鋭さがあったのだろう。ゼファルは刺された傷が痛むような苦い顔になって、もう一口お茶を飲んだ。
「……こればかりは、俺が意図的に隠していたから反応が怖いというか。あの力を究められたら太刀打ちできないというか」
親に悪戯を隠して怒られるのを怖がっている子どものようだ。シェラはため息をつきたくなるのを我慢し、追い打ちをかけるのも思いとどまった。どうも、こってり姉に絞られたようだからだ。
「それほどリリア様の力は強いのですか?」
シェラはリリアが特殊な魔術を使えることは知っているが、詳しくは分かっていない。
「強いというか……極端かな。なにより俺と相性が悪いのがまずい」
首を傾げるシェラに、魔王はリリアに伝える練習も兼ねて詳細を口にした。ヴァネッサが護身のためにも鍛えた方がいいとうるさい術。
「リリアの術は、空間の狭間に隠れるものなんだ……。一度そこに入れば、誰からも見つからなくなる。この俺でもな」
「なるほど……だから、あの時体が一瞬消えかけたんですね」
ヴァネッサに役に立つことについて問い詰められた時、リリアの顔が強張ったかと思えばドアが閉じるように姿が見えなくなっていった。ヴァネッサが消える寸前で腕を掴まなければ、いなくなっていたのではと思う。
「あぁ、俺のように障壁を張るのではなく、存在ごと消えるんだ。瞬間移動は空間の狭間を通っていると言われるが、そこに留まることはできない。リリアは特別だな」
「そんな術、聞いたことがありませんが……」
「いくつか文献を当たったが、術として確立されていないんだ。不思議な現象として報告があった、突然人が消えたり、周りが自分を無視したりするというのがこれに当たると思うのだが、こればかりは本人に聞かないと分からない」
「そういうことですか」と納得したシェラは、ならばと厳しい目をゼファルに向ける。
「なおさら伝えた方がいいですね。同じ空間魔術ということで、魔王様が教えれば一緒にいられる時間も増えてよいのではありませんか?」
リリアと一緒にいられるとなれば、ゼファルは喜んで飛びつくのだが今回ばかりは渋い顔のままだ。
「使えない術をどう教えろと……万が一リリアが狭間から戻れなくなったらどうするんだ」
「それはたしかに……。ですが、コントロールできるようにならないと、無意識に発動するほうが危険ではありませんか?」
「そうだな。……しかたない。明日、ケヴェルンについて聞くついでに魔術について話してみるか。これ以上引き伸ばすと、ヴァネッサに攫われかねん」
シェラはあの方ならやりかねませんと苦笑いだ。シェラはヴァネッサが幼い頃に教育係を務めていたので、その性格は重々知っている。
「明日はケヴェルンの人間が多い地区を見学する予定ですので、ちょうどいいかと」
「ケヴェルンにいる間は、ほとんど見ることができないからくれぐれも頼んだぞ」
「かしこまりました」
シェラは頭を下げ、お茶のお代わりをいれる。
そして魔王は話が一通り終わると、日課である『今日のリリア』を書き記し始めた。旅先でも欠かすことはなく、15冊目になっていた。実際にリリアがいる分筆が進む進む。多忙であるゼファルがベッドに横になったのは、さらに一時間が過ぎたころであった。




