54.ケヴェルン見学
昼食を取り終えると、魔王は公務があると名残惜しそうに別れて行った。私はシェラと一緒に人間の受け入れを見学する予定だった。ケヴェルンでは移住するか迷っている人間が期限付きで滞在することも可能らしい。そのため、今回私は定住を考えている出国者として、数人の人間と一緒に説明を受けることになった。
施設は正門のすぐそばにあり、両国の様式が混ざった三階建ての建物だった。ここでは受け入れの審査や教育、短期間の宿泊といったサービスを行っているらしい。
移住の説明を受けるために案内された部屋はには、場所的に荒くれ物の人間が来ることも多いからか、3人の警備がいた。私以外の人間は4人で、村人の夫婦と楽器を持った旅人っぽい若者、そしていかにも荒事に身を置いていそうな人相の悪い男だった。
さすがに魔族であるシェラが隣にいると変なので、影人形をつけてもらっている。
けっこういろんな人がアイラディーテを出ているのね。不思議な感じ……。
彼らの表情には国を追われたような悲壮感はなく、期待感すら見える。
ほどなくして若い男の役人が入って来て、説明を始めた。
「ケヴェルンへようこそ」
朗らかな挨拶から始まった説明は、あまり学がない人でも分かるよう非常に簡単だった。
「ケヴェルンでの定住をお考えの方には、まずここでの暮らし方を教えた後で、一人ずつ話を聞いて仕事を紹介します。収入が安定すれば、正式にケヴェルンへの定住が認められ、住民登録をしてもらいます。税金はありますが、保障や公共施設の利用が認められるよさもあります」
いくつか事前に聞いていたものもあったが、具体的で分かりやすく今後の暮らしが想像できた。ケヴェルンの制度で興味深かったのが、貴族がいないというものだ。もちろん富を持っているものはいるが特権階級ではなく、そもそもケヴェルンには享受できるほどの特権がない。首長は役人の中でも交渉に長けたものがつくことになっているということだ。
「もし、政治に関わりたければ役人の仕事を選んでください。役所は常に人手不足なので」
と、役人は笑いを交えて勧誘していたが見ているだけでも大変そうな仕事だ。そして、ミグルドの歴史と文化、ケヴェルンでの貨幣制度や規則を教わった後は面談となった。
ここで個人の略歴、とくに犯罪歴がないかどうかを調べるのだろう。冤罪とはいえ国外追放となっていることをどう言ったものかと思っていると、個室に案内されたところにシェラがいた。見るからに役人の女性が恐縮していて、予め話を通してくれたんだろうけど申し訳なくなる。
「リリア様、いくつか求人のあるよい職場があるので、見学に行きましょうか」
「せっ、僭越ながら、わたくしがご案内いたします!」
緊張して固くなっている女性に案内され、いくつかの職場を案内してもらうことになった。移動中に面談と職業の斡旋について尋ねてみると、その人の経歴にあった仕事を紹介しているらしい。先ほど説明を受けていた人たちだと、村人の夫婦には食糧生産、旅人風の青年は楽器ができるので宿を巡業する音楽家の仕事もあるという。
そして、犯罪歴のありそうな人に対する面談は厳しく、受け入れを拒否する場合もあるそうだ。また、受け入れても監視がついて、土木工事などきつい仕事しか紹介されないらしい。
「まあ、そういう人はたいてい雰囲気と所持金で分かるんですけどね」
「そうなんですね。定住希望の人間はけっこう多いんですか?」
「そうですね……国境に近い村は生活が厳しいところが多く、ここの噂を聞いたといらっしゃる人が増えましたね。そういえば、少し前にリリア様のように教養が高そうな方もいらして、珍しいって少し話題になったんです」
数としては一週間に数人とそれほど多くはないが、じわじわとアイラディーテからの人口流出が起こっている。人口は国の存続に影響するため、妃教育の一環で政治を学んだ時にかなり詳しく学ばされたのを覚えている。
まあ、関係のない国だけど……。そう考えると、人口の急増を見越してケヴェルンは町づくりをしているから、その点はすごいわよね。
塔から見た増築された外壁と内壁の間には広大な土地があり、農作地も居住区もまだまだ余裕がある。
そんなことを話していると最初の目的地についたようで馬車が止まった。役人の女性がドアを開けながら、仕事の内容を簡単に説明してくれる。
「リリア様は教養があるので、先生として働かれるのもいいかもしれませんよ」
と、紹介されたのは先生の派遣組合だった。ケヴェルンには地区ごとに誰でも読み書きや算術を学べる施設があり、そこに先生を派遣しているらしい。ほとんどが地区の有志なのだが、技術を持った人は町から先生という仕事が認められる。
「礼儀作法や話し方など、最近はケヴェルンの外と交流する機会も増えたので行商人など礼儀作法を身につけたい方がいらっしゃるんです」
施設だけでなく個人への派遣もしているらしく、いわゆる家庭教師だ。伯爵家にいた頃は厳しい先生が来ていたし、今もシェラには教えてもらっているのでどんな仕事かはだいたい分かる。
そこの施設の説明を受け、先生として働いている人と話したあと別の場所へと向かう。次はカフェ、宿屋、雑貨屋などの店、服や小物を仕立てる工房を巡った。いくつか私ではできそうにない仕事が入っていたけど、シェラが小声で魔王のおすすめだったことを教えてくれた。
最後に役所に戻り、役人の仕事も勧められた。女性の圧が一番強くて、移動中私が以前貴族として教育を受けていて、現在王宮で仕事を手伝っていると聞いてからは熱烈に勧誘してきたのだ。なんでも、人間側の政治を知っている人は貴重らしい。
「種族間でトラブルになることもあるので、人間の視点を持った職員が欲しいんです! 役所勤めだったら、いい家を用意してもらえますし、お昼は食堂もありますよ! リリア様なら即採用間違いなしです!」
と、太鼓判を押されてしまった。たしかに今日紹介された仕事の中では、一番今していることに近い。そして今日の予定はここで終わりとなり、もし仕事に就きたいものが決まればまた来て欲しいと言われた。私の場合、仮住まいとはいえ王都に住んでいることになっていて、身元も保障されているので、通常の手続きとは別らしい。
濃厚で長い一日が終わり、帰りの馬車に揺られていると疲労感が押し寄せてきた。窓の外に視線を向けて、見学した仕事を思い返す。
――私、何がしたいのかしら。
以前、魔王に何がしたいのかと問われて答えられなかった。今日いくつか仕事を見たけれど、働いている姿は想像できても強くやりたいと思ったわけではない。正直に言えば、できそう、やってみてもいいかな、ぐらいだ。
ぐるぐると考えが巡る。
――役に立てること。
今までは役に立たないといけなかった。ヴァネッサ様に指摘されてから、少し距離を置いて考えられるようになったけれど、役に立ちたいという気持ちは強い。やっぱり、何かをして相手が喜んでくれたり、お礼を言われたりした時が一番嬉しいからだ。
「リリア様、焦らずともゆっくりお決めになったらよろしいですよ」
「シェラ……」
シェラにはお見通しのようで、母親のような優しい笑みを向けていた。
「リリア様がお決めになったなら、それが一番なんですから」
「そうね……今は、選べるのだもの」
今までは選択することなんてできなくて、言われるまま受け入れ流されてきた。それに比べると、今選べることの自由さと難しさを感じる。
王宮での今の暮らし、王都の活気と人々の様子、ケヴェルンの受け入れられやすさ。どこにも他にはない特徴があって、自分の人生は大きく変わるだろう。
明日からもケヴェルンを回る予定だから、しっかり考えなくちゃ。私の選択には、いろんな人が関わっているのだから……。
思案にふける私を乗せ、馬車は夕暮れのケヴェルンを宿へと進むのだった。




