53.笑顔と変化
「やった~! 俺が一番!」
そう叫んだのは青い髪をした少年で、近くにいたシェラに驚いたがすぐに興味をなくして座り込んだ。半袖半ズボンの元気っ子という感じで、ぜぇぜぇと肩で息をしている。
「くっそ~」
続いて出てきた緑の髪をした少年は悔しそうな顔を先着した少年に向けると、弾かれたように旗が立てられている台を見た途端走り出す。
「塔の一番上はここだし!」
「はぁ!? ずっる。卑怯だぞ、魔族の誇りはどうした!」
「ふっるいなぁ。最後に勝った方が正義なんだよ。勝って終わりと思うなってな!」
速さ比べをしていたらしい少年たちは息を切らして顔を赤くしている。微笑ましく、子どもの頃友達を思い出した。ああやって今となってはくだらない言い合いを、真剣にしていた。
懐かしさに浸っていると、魔王が耳元に顔を寄せて小声で囁いてくる。
「あの子、ケーヴェだ」
ケーヴェとは魔族と人間の間に生まれた子で、ここではいわゆる混血をケヴェルンの名にちなんでケーヴェと呼ぶのだという。そう言われて注意深く見ると、緑色の髪をした少年は角が無く、耳が魔族と人間の間ぐらいの長さで耳の先の鋭さもあまりない。
初めて見たわ……。ここでは魔族と人間が普通に結婚して、一緒に暮らしているのね。
二人を眺めている魔王の表情は柔らかく、ふっと笑った。
「魔族の誇りが古い……か。耳が痛いな。ケヴェルンは価値観の変化が徐々に起こっていると聞いたが、目の当たりにすると衝撃がある。王都もこう変わっていくんだろうか」
「さすがに、すぐとはいかないとは思いますが……影響は受けるでしょうね」
魔族は正々堂々、正面切って戦うことを誇りにしている。それを基盤に社会が成り立っていることは、王位の継承戦からも明らかだ。さっきの速さ比べのように、勝手に勝利条件を変えるのは卑怯と言われるだろう。それが変わることがよいことなのかは分からないが、興味深くはある。
私たちにじっと見つめられていることに気付いた子供たちは、少し気まずそうな顔になって見つめ合うと、青い髪の少年が立ち上がった。
「次はどっちが下まで速く下りられるかで勝負だ!」
そう言うなり踏み切って階段を下りていく少年を、緑髪の少年が慌てて追う。
「あ、ずるい!」
「勝てば正義なんだろ!」
声と足音が遠ざかって行き、見守っていたいような温かい気持ちが残る。
本当に魔族と人間が共存してるのね……。これも、あの国を出なかったら知ることもできなかったわ。
私を連れ出してくれた魔王を見上げると、目が合って気恥ずかしくなる。眼鏡と帽子という魔王がいつもと違うからか、そわそわして視線を外したところに甘い声が届いた。
「リリアの子どもも、あんな風に元気で可愛いんだろうな……」
「へ?」
予想外の言葉に思わず見上げれば、向こうも驚いた表情をしていた。心の声が漏れたという顔をしていて、慌てて言葉を続ける。
「ちが、えっと、深い意味はないというか。将来子どもが生まれたら、見たいというか見ているというか、それは別に俺とどうこうってわけじゃなくて……。ごめん、何を言ってるか分かんなくなってきた」
しどろもどろになっている魔王が可愛くて、声をあげて笑ってしまった。貴族令嬢らしからぬ笑い方は、少年たちの姿に子どもの頃を思い出したからかもしれない。
しばらく笑っていると魔王が静かなことに気付いて、視線を向ければ涙ぐんでいてぎょっとする。
「え、魔王様?」
「……俺、そうやって笑うリリアを好きになったんだ。やっと見られて、嬉しい」
「あ……」
下町にいた頃はよく笑っていた。大変だったからこそ、笑って力にしていた。それが消えたのは、お母さんが死んで伯爵家に連れていかれてから。大口を開けて笑うなんてもってのほかで、所作を間違えれば躾のための棒で手を何回も叩かれて……。いつしか、本音を隠す微笑を仮面のようにつけるようになっていたのだ。
「リリア、もっと笑って。走り回りたかったら、走ればいいんだ。好きに、自由に生きて欲しい」
眦に浮かんだ涙をぬぐった魔王は、心配してくれていたんだろう。魔王の優しさと深い愛情が伝わって来て、胸が温かくなる。
「一人で走るのは恥ずかしいので、その時は魔王様も一緒ですよ」
そう言って、昔のように歯を見せて笑ったら、魔王は「リリア!」と感情を高ぶらせて切り裂いた空間に手を突っ込んだ。突拍子のない行動に目を丸くしていると、中に何かが入った透明なキューブを取り出し空に勢いよくほうり投げる。つられて視線で追えばキューブが弾け、五連の花火が上がった。
「リリアが笑った! 可愛い! 俺が大好きな笑顔、最高! ケヴェルンよ、祝え!」
「近所迷惑!」
その後、今にも踊りだしそうなほど上機嫌な魔王を落ち着かせるのに、多少時間と労力を使うことになったのだった。




