50.姉弟の宝物を巡る攻防
「この件はもういい。それと、兄たちに変わりはないか?」
兄二人も程度は違えどアイラディーテの侵攻に賛同しており、その動きには最大限の警戒をしている。継承戦で敗れれば引くのが強者に絶対の魔族とはいえ、まるっきり安心しているわけではない。
ヴァネッサはお茶のお代わりを自分で注ぐと、足を組みかえる。
「東西は頻繁に部族との小競り合いが起こってるし、ほどほどに発散出来て楽しんでいるみたいよ? 休養が明けたら遊びに行こうかと思ったけど、リリアちゃんのほうが面白そうだからしばらく王都にいるわ」
「は? さっさと遠征に行けよ、戦闘狂だろ」
「嫌よ。リリアちゃん、騎士服や軽鎧も似合うと思わない? 子供の頃下町を走り回って、伯爵家でも雑用をしていたから基礎体力はあるし、鍛えたらいい線行くんじゃないかしら」
武の方向へ育てようとするヴァネッサに、ゼファルは真っ向から異を唱える。
「リリアの可能性を否定するわけではないが、剣を振るうリリアはリリアじゃない! むろんリリアが望むなら、俺は涙を飲んで応援するが!」
苦渋の選択を強いられているような表情に変わったゼファルに対し、ヴァネッサは少し引き気味だ。
「うわぁ……さすがに剣士にはしないわ。あんたに襲われても隙をついて逃げられるよう護身術くらいよ」
「なるほど。身を守る術を持つのはいいことだな。俺に使われる前に受け入れてもらえる関係性になるが」
リリアのこととなると会話の知能指数が低くなる弟に、ヴァネッサはため息をついてお茶を喉に流し込む。
「こんなのにつきまとわれているリリアちゃんが可愛そう。今度、将来有望な貴族を紹介するのもありね」
「姉上……俺はそいつを消すがいいのか?」
「真顔はやめて」
ヴァネッサは頭が痛いと眉間を揉むと、カップを机に置く。
「にしても、そんなに大好きで昔っから執着していたリリアちゃんを連れてきたのに、なんでさっさとものにしないの?」
ヴァネッサは心底不思議そうで、お茶のお代わりを注ぐと上着の内ポケットに忍ばせていた小瓶からお酒を数滴垂らす。こんな話、お酒がないとやってられなかった。
「なっ……お前までそんなことを言うのか」
思ったよりつっかかってこなかった弟に視線を向ければ頬が赤くて、何事にも動じないと言われているヴァネッサは目を瞬かせた。
「あー、箱庭育ちで純情君だったわね。その年でキラキラした恋愛に夢見てるの? 攫っといて?」
ヴァネッサの言い方はヒュリスよりも容赦なく、魔王の心に突き刺さっていく。
「……うるさい。無理やりしたって意味ないだろ」
「まーたしかに。流されやすいところあるものね。型にはまりやすいというか。私はしっかり鏡のあの子を見てないけど、子どものころはあんな風に笑う子じゃなかったでしょ」
ヴァネッサが暇つぶしにゼファルにちょっかいを出しに行くと、たいてい鏡で少女を見ていた。ヴァネッサがひたすら剣で斬りつけても、槍で刺しても、平然と鏡から視線をそらさなかったのだ。
その時見た少女は、土で汚れた服を着て大笑いし、同い年ぐらいの子どもとはしゃいでいた。それが今となっては、淑女の鑑のような微笑を浮かべている。
「だからだよ」
「何が?」
ゼファルは不愉快だと言わんばかりに苦い顔をしており、空気にピリッとした魔力が走る。
「リリアにはたくさん枷がある……俺が好きになった笑顔は奪われたままだ。それを取り返さないと、先には進めない」
「そうねぇ。溜め込みやすいというか、不安定というか……じゃあ、あの子に力のことを教えていないのは、機を見てるってこと?」
お茶を飲むゼファルの手がピタリと止まり、訪れた沈黙にヴァネッサは怪訝そうな表情になる。
「そこまで知ってるのか……」
その洞察力に、ゼファルは違う意味で苦い顔になる。後ろ暗いところがありそうな顔で、ヴァネッサは目を細めた。ヴァネッサが将軍になったのは武力だけではなく、その観察眼も大きい。彼女の追及から逃れられるものはいない。
「目の前で発動しそうになったからね……。まさか、わざとなの? あの子、ちゃんと鍛えれば相当強いわよ?」
正面から非難され、自覚があるゼファルは何も反論できない。出てくるのは言い訳だけだ。
「……だって、俺と相性が悪すぎる。あの術を使われたら、見つけられなくなって俺が死ぬ」
「はぁ? あの子の枷を外すんじゃないの? うわぁ、結局あんたが一番の枷になってるじゃない。やっぱり私のところで育てるべきよ」
「嫌だ! 絶対そのうち話すから……姉上、俺が対抗できる術を作るまで猶予をくれ」
懇願するゼファルには魔王としての威厳はなく、姉に弱みを握られた哀れな弟だった。
「そこまでして見たいの? もう変態を通り越して、クズね」
ヴァネッサは蔑みがこもった目をしており、カップを置くと立ち上がった。
「もう話すことはないわ。あとは報告書にまとめて上げさせるから、あんたはさっさと覚悟を決めなさい。もうすぐケヴェルン視察で話す機会はいくらでもあるでしょ」
それに対してゼファルは舌打ちで返す。
「その態度もリリアちゃんに伝えておくから」
「ごめんなさい」
姉弟の顔はそこで終わり、魔王も立ち上がると別々のドアから出て行った。執務室に近いドアと、訓練場へと続くドア。廊下に出れば魔王と将軍の顔つきであり、それぞれの職務へと戻るのである。




