48.嫌だったこともたまには役に立つ
歓声が上がり、ヴァネッサ様の手招きで私は先ほどから青白くなって固まっていたスーの背中を片手で押しながら進んだ。スーは訓練場を埋め尽くす騎士たちの迫力に視線が定まっておらず、その気持ちも分かるので背中を撫でてあげた。
……そりゃ、普通に生きてたらこんだけ多くの人を前にして立つ経験なんてないわよね。
お飾りであっても第二王子の婚約者として政務に同行したこともあったので、人前に立つことの場数だけは踏んでいる。
私は令嬢としての微笑みを浮かべ、軽く手を振った。スーは何度も頭を下げている。
「この二人は王都で奴隷として捕まえようとされたところを撃退捕縛し、此度の一掃に寄与してくれた。その功績は大きく、さらなる被害を防げたことで恩恵も大きい。皆、この二人の勇気ある行動に拍手を!」
まさに万雷と表するのがふさわしく、素手とガントレットの合奏だ。スーはますます縮こまっていた。私は右手でスーの左手を握り、空いた左手を振って歓声にこたえる。こういう時だけは厳しかった淑女教育や妃教育に感謝だ。
ヴァネッサ様が手で制すると歓声は止み、続きを口にする。
「そして、今回は魔王様からの勅命でもあるが、リリア殿からの頼みでもある。私は強きものが好きであり、戦いこそ至高だ。そしてリリア殿からは戦士と同じ心の強さと気高さを感じた。今回黄色い百合の軍旗を共に掲げたのは敬意を表するためだ。さてリリア殿、任務を終えた彼らに言葉をかけてやって欲しい」
突然の難題を悪びれない笑顔で言い放ったヴァネッサ様は、私がそれらしい振る舞いをできると分かってのことなのだろう。魔王が心配そうな視線を投げかけて来ているが、大丈夫と頷いた。
いいわ……やってやるわよ!
場の空気に当てられたからか、少し気持ちが大きくなっていた。軍を慰問した時の王子を思い出し、その振る舞いと言葉を記憶から引っ張り出す。一歩前に進み、騎士たちを見回した。
深呼吸をし高鳴る心臓を感じながら、お腹に力を入れる。
「まずは戦いに身を投じてくださった皆様に感謝をいたします。人間との友和を目指そうとしているこの国で、あのような悲しいことが起こっているのは胸が痛みました。その解決の一助となったこと、さらには皆が尽力されたことを誇りに思います。ヴァネッサ様は私の心が強いとおっしゃいましたが、私は危険に立ち向かえる皆様と、悪を許さず正義の剣を振るわれるヴァネッサ様の強さに尊敬を抱いております。この度は本当にありがとうございました」
最後にカーテシーをすると拍手が返って来た。言葉が届いたようで静かに息を吐いて身を起こす。ちらりとスーに目線を向けると、キラキラと尊敬のまなざしで拍手していた。照れくさくなって、口元が緩みそうになるのを我慢した。
「最後に、この戦いで功の多きかった者を称える。王国騎士、ロウ・バスティン前へ」
「はっ!」
威勢のいい声を挙げて、一人の若者が前に出てきた。黒髪前髪を撫でつけていて、こめかみの辺りから後ろへ流線型の角が両側についている。下げている剣は立派で、身につけている鎧も使い込まれ、騎士として鍛え上げられた風格があった。近づいてくると顔が見えるようになり、頬の傷が目を引く。なぜか見覚えがあるような気がして記憶をたどっていると、すぐ隣でスーが小さく呟いた。
「……あ。軍務卿の」
それだけで、アーヤさんが愚痴を言っていた軍務卿の息子なのだと分かる。
……あ! 彼、前に廊下でぶつかりそうになった人だわ! そういえば人間に対して否定的だったわね。
彼は右手を胸に当て顔を上げており、私とも目が合った。右頬に傷のある表情は変わらないので公私は分けられる人なんだろう。
ヴァネッサ様のよく通る声が響く。
「ロウ・バスティンは逃走していた貴族を捕縛し、少ない資料から奴隷の監禁場所を突き止めた。武のみならず知も優れており、将来王国軍を背負える男となるだろう。見事だった」
「もったいなきお言葉光栄でございます。そのお言葉が恥とならぬよう精進してまいります」
明朗な声で所作には優美さがある。立ち居振る舞いは好青年という印象で、魔族は役者なのかもしれない。隣でぽけーっと見入っているスーはいつも通りで、なんだか安心した。
ロウと呼ばれた軍務卿の息子は一礼すると列へと戻る。
そこでこの場は終わりとなり、私たちは魔王と共にバルコニーを後にした。放心状態のスーの手を引いて廊下を進み、一息入れようと近くの部屋へと入ったところで緊張の糸が切れたスーが床に座り込んだ。
「も、もう無理……」
「スーお疲れ様」
隣で両膝をつき、背中を優しく撫でる。するとスーはじっと視線を向けてきて、しょんぼりと眉尻を下げる。
「リリアすごいね。突然振られても堂々とスピーチしてて、私は立ってるだけで精一杯だったよ……」
「私はちょっと経験があっただけよ、気にすることないわ。ほら、帰ってお茶を飲んで一休みしよ」
「それがいい。二人ともゆっくり休んでくれ。俺はこの後詳細な報告を受けるから送れないが、二人で帰れるか?」
そう魔王に声をかけられ、スーは慌てて立ち上がりスカートを両手で払う。
「大丈夫です! この区画でも手伝いをしたことがあるので帰れます!」
「そうか、なら問題ないな。気を付けて帰ってくれ」
送り出してくれた魔王の表情は硬く、この後が大変なのだろうと伺える。先ほどは具体的な被害や成果は発表されなかった。おそらく全て終われば教えてもらえるのだろう。
私はよろしくお願いしますの気持ちを込めて頭を下げ、気疲れしたスーと共に人間研究部へと戻るのである。そして帰るなり興奮冷めやらぬアーヤさんに出迎えられ、「かっこよかったです~!」と絶賛された。どこからか見ていたようで、メモをびっしり埋め尽くす一字一句違わぬスピーチを読み上げられ、羞恥心でスーの胸に飛び込んだのだった。




