43.魔王の部屋
目的地についたのに魔王は私の手首を離そうとしなくて、不思議に思って顔を向ければ固い表情で見つめている魔王と目が合った。何かを気にしているような目つきで、こちらも怪訝な表情になってしまう。
「……その、リリア。あいつから何か聞いたか?」
しばしの沈黙の後、絞るように発せられた言葉は不安の色を持っていた。いつものふざけた様子もないので、私も真面目に答える。
「何かと言われましても……継承戦の話を伺ったぐらいです」
「そうか……その前については?」
どうやらそれが魔王の気にかかっていることのようで、首を横に振れば分かりやすく安堵の息を吐いていた。
「あぁ、それならいいんだ。さっきは突然現れてすまなかった。水晶を出したらあいつが映ったから、思わず飛び出してしまった」
眉尻を下げて笑う魔王は私の手を取りなおすと歩き出した。こちらの国では男性が女性をエスコートする習慣はないと聞いていたので少し驚く。おそらく私を見ている中で覚えたのだろう。
「ちょうどいい機会だから、少し話をしてもいいか? 他の人から聞かれるよりは、自分で話したいから」
半歩前を行く魔王の声は重く、今までにない真剣さを帯びていた。ヴァネッサ様やスーの話から魔王が魔族の中でも外れた存在であることは薄々察していたけれど、直接聞かされることになるとは思わなかった。
私に話すってことは、多少は関係があるということなのかしら……。
魔王から緊張感が伝わってきて、私まで気が張り詰めてきたところでメインルームの隣にある部屋へと入った。ここは小部屋で真ん中にテーブルがあり、壁には花の絵画が、チェストの上にはやや色がくすんだぬいぐるみが置かれている。
成人男性にしては可愛らしい内装の部屋で、椅子にエスコートされて座った後も視線を巡らせてしまった。
「今お茶を淹れるから少し待っていてくれ」
「え、それなら私も……」
魔王はこの部屋のさらに奥にあるドアを抜けて、その先で何かをしているらしく物音が聞こえている。手伝いますと言えるほどの腕前ではないことを思いだしたが、じっとしているわけにもいかずに魔王がいる部屋を覗いた。すると、そこは小さめながらも本格的な厨房で目を丸くしてしまう。
「わぁ、すごい。立派な厨房ですね」
一般的に部屋に備え付けられていることはなく、もしや相当の料理好きなのかと隅々まで目を飛ばすと違和感に気付く。
あれ……でもその割にはあまり使われていなさそう? 調味料や食材もないし……。
伯爵家では厨房の手伝いをすることもあったので、広さの違いはあってもだいたいの勝手は分かる。食材は保管庫が別にあるにしても、すぐに使えるものはいくつか厨房にも置いていることが多いのだが、ここはきれいすぎた。
「今は使っていないけどな。まぁ、お茶くらいは淹れられる」
魔王は鍋にお湯を沸かしていて、戸棚からティーセットと茶葉を取り出した。すでに鍋の中では水が沸騰していて、その火元を見れば不自然さが目に付く。かまどから出ているというよりは、鍋を包んでいるようだ。
「もとは薪を入れて使うんだが、時間がかかるから手持ちの火魔法を使った。いくつか大きさの違う火を保管していると、こういう時に便利だ」
私がじっと火を見ていることに気付いたのか、魔王は鍋を火から下ろして茶器に注ぎながら教えてくれた。よく見えれば火は浮いていて、空間魔法で固定されているのが分かる。その火は魔王が手をかざすと一瞬で消えてしまった。
茶器の温めが終わったようで、魔王は一式をトレーに乗せて持ち上げる。
「リリアはそこのお菓子を持ってきてくれ」
何もせず見ているしかできなかった私を気遣ってくれたのか、中央のテーブルに置かれた籠を目で示す。喜んで手伝い、魔王に続いて小部屋へと戻った。
そして、お茶を淹れ終えた魔王が向かいの席に座り、紅茶の香りの中に緊張を含んだ沈黙が流れる。魔王は一口紅茶を飲むと、私に視線を向けてから口を開いた。
「俺の部屋は、子どもっぽいだろう?」
「まぁ……多少は」
飾られているものや、棚を埋めているおもちゃなど、子どもっぽいというよりは子供の頃使っていたものがそのまま置いてあるという印象だ。どれも使い古されたものばかりで、年月を感じさせる。
魔王は一呼吸置くと、自嘲に近い笑みを浮かべてカップに視線を落とした。
「全て子供だった俺が外に出なくていいように、用意されたものだ。おもちゃも、広い部屋も。俺にとってこの部屋は一生出られない牢獄だった」
予想以上の内容にカップを持ったまま動けなくなった。話の暗さとは裏腹に魔王の声は落ち着いていて、その境遇に対する感情は通り過ぎた後であることを感じさせる。ただただ息を飲んで言葉の続きを待つ。
「予言があったんだ。俺が生まれる少し前に……国の要となる者が王家に生まれるってな」
そうして語られたのは、この部屋で過ごした彼が魔王になるまでの話だった。




