42.姉は強い
「あら、ゼファル。趣味悪くまた覗いたの?」
突然現れた魔王にも動じず、ヴァネッサ様は肩越しに振り返り魔王へと顔を向けた。
「今はちゃんと許可を取ってる……が、お前がいたから、少し省略して来させてもらった。リリアに悪影響が出るからさっさと離宮に帰れ」
二人の間で火花が散った気がする。この姉弟は仲が悪いとまでは言わないけれど、顔を合わせる度に言い合いをしているのだとシェラが言っていた。
ヴァネッサ様は私に顔を戻すと、面倒そうな表情で口を開く。
「リリアちゃん、こいつに助けられたからって情に流されて絆されちゃだめよ?」
「え……あ、はい」
「口を挟まないでくれるか? それと将軍ヴァネッサ、勅令だ。少数精鋭でことに当たれ」
魔王は指先で空間を割き、巻かれた魔獣皮紙をヴァネッサに投げ渡した。相手が受け取ったかも確認せずに私へと歩み寄ると、ヴァネッサ様と向かい合うように傍に立つ。
ヴァネッサ様はなんなく取ったそれを開いて伸ばすと、険しい表情で目を通していた。公的な雰囲気にこの場にいていいものか分からず、身の置き場がなくてそわそわしてしまう。読み進めるヴァネッサ様はある一点で目の動きを止めると、弾かれたように私に視線を向けた。
「王都でならず者に襲われた!? ゼファルは何してたのよ!」
「ちゃんと読め。もちろん助けた。取引先の貴族に奴隷商の元締めを吐かせたから、一掃する。陣頭指揮は任せたぞ」
「昨日リリアちゃんが言ってたのはこれだったのね……」
そのやり取りで、勅令が私が襲われたことで発覚した人間を奴隷として売っている組織の壊滅だと理解する。あれから3日しか経っておらず、事態の進展の早さに驚きを隠せない。
「もう突き止めたのですか……」
「怪しい人や場所は俺が視れるからな。リリアは安心して吉報を待ってくれ。必ず安全な国にするから」
そう言葉を返す魔王は嬉しそうで、ヴァネッサ様との対応の温度差がすごい。そして満面の笑みを浮かべ、言葉を続ける。
「リリア、頑張ったから褒めてくれ」
みじんも恥ずかしさを出さずにそう頼めるのも、ある意味すごかった。
「す、すごいです……」
突然褒めてと言われても、長い言葉は出てこず棒読みに近かった。だが魔王は満足したのか、嬉しそうに破顔している。対照的にヴァネッサ様は露骨に嫌そうな顔をしていた。
「うわぁ……やる気がなくなったわ。ゼファルのために動くなんて嫌。これ、違う将軍でもよくない?」
やる気、もとい殺る気がないと、ヴァネッサ様は丸めた魔獣皮紙をテーブルに投げ置く。その態度に魔王は表情を一変させ目くじらを立てた。
「は? 反逆の意思ありで軍法会議にかけるぞ。この件は王族であるお前が動くことに意味があることくらい分かるだろうが」
「それがお姉様に頼みごとをする態度なの? ちょっと全力の障壁張りなさいよ。躾け直してあげるわ」
再び険悪な雰囲気になり、私はおろおろと魔王とヴァネッサ様の間で視線を行き来させる。シェラは慣れているのか巻き込まれないように茶器を移動させていた。このままでは本当に喧嘩に発展しそうで、私は怖くなって震える声を出す。
「あ、あの!」
その声で、二人はピタリと荒げていた声を止めて私に顔を向けた。二人から視線を向けられるとまた違う意味で怖い。似た顔立ちの美形が並ぶと圧力が倍増するのだ。
「あぁ、リリアすまない。つい頭に血が上って、怖がらせてしまったな」
「リリアちゃんごめんね。ちょっと目を瞑ってくれたら、この馬鹿の性根を叩きなおすから」
「は? お前の攻撃が通ると思っているのか?」
だが再び視線がかち合い、一触即発となる。これはもうあきらめるしかないのかしらと思っていると、ヴァネッサ様がハッと何かに気付いた顔になって私に顔を向けた。加虐的な色が滲む瞳の輝きに、嫌な予感がする。
「そうだわ。これはリリアちゃんが巻き込まれた事件が発端なのだから、リリアちゃんが頼んでくれる?」
「……えっと、どういうことでしょうか」
突然話を向けられても、つながりが見えないし何をして欲しいのかも分からない。
「リリアちゃんにお願いされたら、私頑張っちゃう。それに、リリアちゃんがきっかけとなって今回の討伐が起こっているのだから無関係でもないし、無辜の人間が奴隷となっているのはかわいそうでしょう?」
「それは、そうですね……」
攫われそうになった時の恐怖やあの男の表情はまだ脳裏に残っていて、ふとした瞬間に思い出すこともある。それに王都ではそれ以上の苦しみと痛みに耐えている人もいると考えれば胸も痛む。
「リリア、耳を貸す必要はない」
魔王は刺々しい声でそう言うが、私の心は決まった。期待に彩られた、魔王によく似た目を見つめ返す。
「いえ……ヴァネッサ様、私からお願いするのはおこがましいですが、苦しむ人たちを助けてください。これが、人間と魔族とが手を取り合って歩める新たな一歩になることを願っております」
思いのほか言葉がすらすら出て来て、自分でも少し驚く。形だけに過ぎなかった淑女教育に自分の気持ちが重なった気がする。
「たしかに承ったわ。リリアちゃん、十分王族としても振舞っていけそうね。その調子で、ゼファルを懲らしめて欲しくなったら言ってちょうだい」
ヴァネッサ様は満足そうに口角を上げ、勝ち誇った顔を魔王に向けた。
「この軍事作戦が終わったら、次は遠方に飛ばす。年単位で帰って来られない地へ行かせるからな」
「あらそれは残念。北の平定の報酬として、隊全体でたっぷり休暇をいただくから、どれくらい先になるか」
ああ言えばこう言うの応酬で、我慢の限界が来たのか顔を引きつらせた魔王が私の手首を掴んで立ち上がらせた。
「もう埒が明かない。リリアは連れていく。早々にここを去れ」
そう吐き捨てたと思えば、視界が歪んで浮遊感に襲われた。すぐに瞬間移動だと分かるが、慣れる物ではなく心臓が飛び跳ねる。
切り替わった景色は、覚えてしまった魔王の部屋だった。




