4.宰相様は仕事ができる
……逃げたわ。え、何あれ。本当に魔王なの?
色々と理解が追い付かない。別の意味で甘い物が欲しかった。
「リリアさん、魔王様が申し訳ありません」
宰相は眉尻を下げて、軽く頭を下げた。心の底から謝罪をしてくれているのが分かる。改めて見れば彼もなかなか整った顔立ちをしていて、魔族は顔がいいのかもしれない。魔王よりは年上に見えて、人間で言う30代っぽい。
本当は軽々しく頭を下げていい人ではないだろうに、人の良さが伝わって来て好感度の上昇が止まらない。
「いえ……私も平手打ちをしてしまい、申し訳ありません」
だからこちらも頭を下げて謝罪をする。誠意には誠意を返すのは当然だもの。
「謝る必要はありませんよ。むしろ拳を入れてもよかったくらいです」
「さすがにそれは……」
もう一発分は拳で殴ろうとしていたけれど、ここは淑女の笑みを浮かべておく。だけど、宰相は渋い顔で首を横に振った。
「それぐらいしても許されますよ。普段はもう少しまともなのですが、憧れの人に会えて浮かれる子どもだと思ってください」
「子ども……魔王様は何歳ですか?」
「25ですね」
「私より5つ上……」
微妙な沈黙が流れた。お互いの顔に「あれで25か……」と書いてあって、乾いた笑みが零れる。
「もしかして、魔族は人間より成長が遅かったりします?」
一縷の望みをその質問にかけてみたけれど、
「いえ、人間と同じですね」
バッサリと斬られた。魔族と人間の年の取り方が同じというのは初知りだ。
言葉の端々から宰相の日頃の苦労が感じられて親近感を抱いていると、彼は「さて」と真面目な表情になった。
「今後について話をしたいのですが、リリアさんはどうされたいですか?」
「どうって……」
突然今後の身の振り方を聞かれて、答えに詰まった。考えてみれば、伯爵家に引き取られてから自分の意思を聞かれたのは初めてかもしれない。正直今後のことは想像ができないから、今の気持ちを答える。
「そうですね……。冤罪とはいえ国外追放で貴族位も剥奪されたので、帰れませんし帰りたくもありません。かといって、あの国の外でどう生きればいいかもわからないという状態でして……。外に人間っているんですか?」
「そうですね……。大森林や荒野に部族の集落がありますが、閉鎖的で独自の文化を持っているので馴染むのは難しいでしょう。大河の手前には人間と魔族が住んでいる町があるので、そこなら受け入れてもらえるとは思います」
「そうなんですか……」
部族も人間と魔族が住む町も初めて知った。そこでの生活は想像もできなくて、じわじわと国外追放をされた重みがのしかかって来て不安になる。10歳までは母と下町で暮らしていたのと、伯爵家でもお嬢様として扱われなかったから身の回りのことはできるけれど、見知らぬ土地で生きていく自信はない。
「それと、王都でもこの数年で人間を受け入れるようになっています。まだ少ないですが、選択肢の一つとしてはありますよ」
「王都ですか……」
この国の中心ならば、賑わっていて人も多いだろう。私にできる仕事も何かあるかもしれないけれど、人づきあいが得意とは言えないのでそこが心配だ。どれも情報が少なく、見通しが立たなさ過ぎて一歩が踏み出せなかった。
すると、私の顔に滲む不安に気づいたのか、宰相は明るい声で「リリアさん」と私の名を呼んだ。
「何も分からない状態では選ぶこともできないでしょう。しばらくは客賓として城に留まってはどうですか? 私たちとしてもリリアさんから人間の国や暮らしについて話を聞きたいですし、遠慮はいりませんよ」
本当に有能な人だわ……この頭の回転のよさや心づかいの欠片でも、第二王子にあればよかったのに。
宰相のおかげでだいぶ落ち着き、冷静に考える余裕ができてくればその提案が最良に思えてきた。
そうね、この国のことを知って考える時間が必要だわ。それに、前向きに考えれば、国外追放になって荒野に放り出されるよりは、文明のあるこの国に来られてよかったのかもしれない。
そう考えると未来が明るく思えてきた。
「宰相様、ではお言葉に甘えてお世話になります」
「えぇ、歓迎します。それと私のことはヒュリスとお呼びください。そろそろ、魔王様がお戻りになると思いますから、先にゲストルームにご案内しますね。ここでの生活については、お茶を飲みながらお話ししましょう」
「はい、何から何までありがとうございます、ヒュリス様」
こういうさりげない距離の詰め方が上手で、ヒュリス様の株は上がりっぱなしだ。そして私はヒュリス様に先導され、ゲストルームへと向かう。
この部屋は魔王の私室だったらしく、少し好奇心をくすぐられたのでドアから出るまでにぐるっと観察してみた。こんなところに入る機会なんてめったにない。
おそらく今いるところがメインルームのようで、入口を除いてもドアが4つもある。彼個人の部屋だけで、私が下町で住んでいた家よりも広い。窓辺の棚には盤上遊戯やカード、遊び方が分からない遊具がいくつか転がっているので、娯楽が好きなのかもしれない。
なんか、子ども部屋っぽいわ。
さすがに他人様の部屋をとやかく言うわけにはいかないので、感想は胸にしまって部屋を出る。ヒュリス様が閉めたドアはさすが王族の部屋というか、立派なもので思わず見入ってしまう。
……あら、すごく傷がついてる。
ドアノブを挟んで上と下の部分がえぐり取られたようになっていて、よく見ればそれとつながるように壁から何かが取り外された跡があった。
何かつけていたのかしら。
疑問に感じるが、聞けるような雰囲気でもないので歩き出したヒュリス様の後を追う。すぐに興味は魔族の城の造りへと移って、私は広い廊下に視線を飛ばした。