38.魔王と姫将軍
「リリア、無事か!」
階段から部屋を突っ切りバルコニーに飛び出してきた魔王は、足を止めると肩で息をしながら、信じられないという目つきで私たちを交互に見ていた。
「……すっごく、くつろいでる」
ヴァネッサ様はお茶請けの干した果物をつまんでいて、私とくれば朗らかな笑みを浮かべてお茶を飲んでいる。完全にお茶会での聞き役になってしまっていた。
「心配、したのに……」
魔王は気が抜けたのか、体力の限界が来たのか、その場で膝から崩れ落ちた。
「あれぐらいで息を切らすなんて、鍛錬が足りないんじゃない? もっとうちと演習したらどう?」
床に座り込んだ魔王に、容赦ない追い打ちが刺さる。
「あれは、演習なんて、もんじゃ……なかったぞ」
「あぁ……そういえば、突然だったから全員には演習って伝えてなかったわね。実践的だったでしょ?」
「もはや、実践じゃないか!」
体に傷は無く煤一つついていないが、額に滲む汗から激闘ぶりが伝わる。少し可哀そうになってきて、おずおずと声をかけた。
「なんだか、ごめんなさい……」
「リリアが無事なら、いいんだ」
魔王は心底安心したというように、表情を柔らかくした。だがそれは、私の向かいに座るヴァネッサ様に向けられた瞬間、氷の刃のようになる。呼吸を整えて立ち上がると、静かに近づいていく。
「それで、お前はリリアを連れ去ってどうするつもりなんだ。返答によっては軍法会議にかけるぞ」
声音も打って変わって、威圧的になっていた。
「最初に連れ去ってきたのはあんたでしょ。王族の居住区で監視の水晶がついたリリアちゃんを見つけたから、軟禁されているのかと思って保護したの。ここなら女しかいないし、異常者の側にいるよりはずっといいわ」
「リリアちゃん? 馴れ馴れしい。お前のような戦闘狂の側にいるほうが、リリアには悪影響だ。というか、なぜ居住区に? 用なんてないだろ」
安全だと思っていた居住区から攫われたとあって、魔王の眉間の皺は深い。
「私も王族だから入っても問題ないはずでしょ? それに、私の馬を他の気性の荒いやつと同じ厩舎に預けたくないもの。あそこの庭園がお気に入りなの」
「相変わらず口が減らないな。そもそも人間が嫌いだろ。なぜ首を突っ込む」
二人の言い合いは真剣で斬り合うような鋭さがある。魔王は手を伸ばせばヴァネッサ様に届くぐらいまで近づくと、テーブルに右手をついた。
振動で揺れた茶器に目を落としたヴァネッサ様は、不快そうに眉をひそめて顔だけ横に向けて魔王を睨みつける。両者の間に火花。
「別に嫌いってわけではないわよ?」
「は? 昔から俺がリリアを見ていたら恐ろしい形相で睨んできて、挙句には邪魔してきただろ」
「そりゃ、何の罪もない少女を覗いてたら、嫌悪感を抱くのも当然でしょ。気持ち悪いったらないわ」
思わず、うんと頷いてしまった。
魔王は反撃ができないのか盛大に舌打ちをすると、「なら」と違う方向から攻める。
「五年前アイラディーテに侵攻する第一部隊に名乗りをあげていたのはなぜだ」
「あの時の過激派が先陣を切ったら、非戦闘員まで皆殺しにされたからよ。私が求めるのは強者のいる戦闘であって、殺戮じゃないもの」
きっと彼女の美学なんだろう。強くて恐ろしい人だと思うけれど、信念を持っている人は尊敬ができる。
「だが、人間嫌いだと思われているが?」
「好きになれるほど人間を知らないし、戦記には卑劣な戦いも残っているから印象は悪いわ。好意的な態度は取ってこなかったわね」
「じゃあ、小さい頃から俺に殴りかかってきたのは、人間憎しではなかったと?」
「それは鬱憤がたまった時の気晴らしよ。最強の守護障壁に勝てるかなって」
国の軍事作戦から個人の恨みまで、幅広い姉弟のいざこざが見えて気が遠くなってきた。しかもさっきからちょくちょく母国の危機が紛れていて、耳を塞ぎたくなっている。
「ということは、心変わりして過激派に属したわけではないんだな。リリアを交渉の材料に使うのかと危惧した」
警戒を緩めない魔王に対し、ヴァネッサ様は嫌そうに顔を歪める。
「心外。ゼファル、あんた人間社会を見過ぎて人間っぽくなってない? 私が過激派だったら、魔族の誇りに則って代替わりの決戦を申し込むわよ。魔王の座について堂々とアイラディーテを滅ぼすわ」
「戦闘狂に変わりはないじゃないか!」
「失礼ね。ストーカーよりましよ!」
言葉の刃で正面から突き刺された魔王は、「ぐっ」と短く呻く。姉に言い負かされる弟の姿に、子どもの頃の友達たちの姿が重なって口元が緩んだ。
そうやって傍観者を決め込んでいたら、ふとヴァネッサ様と目が合って表情を引き締める。
「ねえリリアちゃん。むさくるしい王宮よりここで暮らしましょうよ。貧相なこいつを打ちのめせるくらい強くしてあげるわ」
矛先がこちらに向いたが、とっさに答えることができずに固まる。
「ばっ! リリアを懐柔するつもりか!? リリアも城のほうがいいよな!?」
魔王は風が立つ勢いで振り返り、切羽詰まった表情を見せる。
え……急に言われても、分からないわ。それに、スーに会えなくなるのは嫌だし。でも、少しぐらい強くなれば城の外でも生きやすくなるかしら。いや、運動得意ではないわね。
選択肢の中に入れて並べてみても心は惹かれなかったが、ヴァネッサ様の鋭い眼光を受けてはっきり断る勇気はなかった。
「……えっと、すぐには決められませんし、魔王様にはお世話になっていると言いますか。……城には仲良くなった人もいるので、もう少し役に立って、何がしたいか決まるまでは城に置いてもらおうかなと」
我ながら苦しい言い方だけど、捨てられそうな子犬のような目を魔王から向けられれば、そう答えるほかなかった。
「リリアちゃん、あんた……」
「リリアもこう言っているから、金輪際関わってくるな!」
ヴァネッサ様の表情が陰って見透かされるような眼差しを向けられたが、魔王が言葉を遮る。そして大股で私に歩み寄ると手首を掴まれ、立ち上がらされた。
「俺たちは帰る」
「あ、はい。え?」
「……まあ、いいわ。リリアちゃん、またおしゃべりしに行くから待ってて」
「拒否する! 姉上はこの離宮で大人しくしていてくれ」
そう魔王が怒りを露わにして吐き捨てると同時に、浮遊感に襲われて靴の裏の感触が変わる。柔らかいカーペットに重厚な作りの机、部屋数が多く広い部屋に棚に詰まったおもちゃの数々。魔王の私室だった。




