36.女騎士VS魔王様
緊張が高まり、手が小刻みに震えている。
騎士の一人に先導され、私は姫将軍と共に二階のバルコニーへと上がり、手すりの側に用意されていた席に座った。そこはちょうど玄関の上で、外が一望できる。そして、私が庭園だと思った場所は植垣があっただけの訓練場だったようで、噴水も花も見られなかった。騎士団の駐屯地と言われればしっくりきそうだ。
外の様子を見ていると、女騎士たちが続々と隊列を組んで並んでいく。玄関の手前に指揮官がいて、声を張り上げていた。それをまさに見物するという態度で、彼女は悠々とお茶を飲みながら見下ろしていた。
これから何が始まるのか気が気でない私は出された紅茶に手をつけることもできず、おろおろと視線をさまよわせる。
「少し落ち着きなさい」
カップをテーブルに置いた姫将軍は、灰色の瞳をこちらに向けた。私は肉食獣に狙いを定められた心地になって、動きを止める。それがおかしかったのか、彼女は吹き出すと声を上げて笑った。武人らしい豪快な笑い方だ。
「そう怯えないで。何も取って食おうってわけじゃないわ」
そして、「あぁ」と思い出した表情になると、すました微笑を作った。
「名乗るのが遅れたけど、私はヴァネッサ・アーロンディ。姫将軍と言えばわかる?」
「あっ、はい。えっと、私はリリアといいまして、人間です!」
「そう、リリアというの……。あの馬鹿は何でいきなり。アイラディーテに攻め入る気になったのかしら」
魔王を馬鹿呼ばわりする姫将軍に、身内特有の気安さを感じて「あら」と彼女の顔立ちを注意深く見る。よく見れば褐色の肌と目元が似ているような気がするし、自信はないけれど魔王もアーロンディを名乗ったような……。
すると気品のある所作でお茶を飲んでいた姫将軍が、ふと視線を外に向けて口角を上げた。
「ほら、来た」
「姉上えぇぇぇぇ! リリアを返せ!」
開け放たれた門の先に、黒馬に乗った魔王が見えた。ひらりと飛び降りると、剣を構えている騎士たちへと近づいていく。それに対し、やっぱり姉だった姫将軍は立ち上がると手のひらに炎の玉を浮かび上がらせた。その熱風が彼女の髪を巻き上げる。
「お黙り。か弱い女の子を攫い、手籠めにしようなんて言語道断。総員、かかりなさい!」
号令をかけると、開戦の合図だと言わんばかりに炎の玉を魔王へと放った。まっすぐと飛んで行った火の玉は魔王に直撃する。
「魔王様!?」
思わず声を上げてバルコニーの手すりに駆け寄り身を乗り出してしまった。黒煙が揺らぎ、半透明の球に包まれた魔王が姿を見えて安堵から息を吐く。おそらくあれが、防壁の役割を果たしているんだろう。
「び、びっくりしたぁ」
「あんた……なんで攫ったやつの心配なんてしてるのよ。攻撃魔術が使えるなら、ここからお見舞いしてやりなさい」
「いや……それは」
さすがに致死級の攻撃を受けていれば、いくらストーカー魔王であっても心配ぐらいする。今も四方から魔術やら剣やらの攻撃を受けていて、それを弾きながら進んできている。術が爆ぜる音と金属音は途絶えることがなく、土煙に魔王の姿が見え隠れしていた。
この状況で攻撃とかできないわ。そもそも、あそこまで火の玉飛ばないし。
返答が形にならず黙っていると、姫将軍の表情がみるみる険しくなって私の側に歩み寄ってきた。おのずと見上げる形になり、顔を押し上げるように掴まれて目を丸くしてしまった。
「まさか、これが誘拐された犯人を好きになるという病? あのクズは、ここまで追い込むなんて……丸焼きね」
「え……えぇ?」
顔を固定され、視線も動かせない。美人が凄むとさらに迫力があって、ちょっと涙ぐんでしまった。
「貴様ヴァネッサ! リリアから手を離せ!」
「ゼファル、口の利き方から躾け直さないといけないようね。この子は返さないわ。洗脳を解いて、まともな状態にしないと」
……ん? 洗脳?
姫将軍は魔王を挑発するように私を抱き寄せると、空いている左手の五指に火の玉を浮かばせ、薙ぎ払うように飛ばした。5つの玉は変則的な軌道を描き、確実に着弾する。魔王はすぐ下まで来ていて、熱風が頬を撫でた。
「リリア、待ってろ。すぐ助けるからな!」
魔王はそう叫ぶと、斬りかかってくる女騎士たちを振り払いながら玄関へと消えて行った。戦場が建物の中へと移ったようで、金属音と指揮官の指示がバルコニーへと続く階段のほうから聞こえてくる。
「あ、あの!」
魔王様が戦っている。なら、私も頑張らないと!
勇気を振り絞り、私は姫将軍から離れるとその鋭い眼差しを正面から受けた。
「なに?」
「わ、私、洗脳なんてされていません! 魔王様は私を助けてくれたんです!」
言葉の端々から彼女が誤解しているような気がして、私は精一杯の主張をする。だけど、姫将軍は怪訝そうで、「魅了もかけられている可能性が」と信じてくれない。
「違うんです! 本当に魔王様は、追放処分になった私を救ってくれて、この前も町で襲われそうになったのを助けてくれて!」
「……本当に? 無理やり言わされてるんじゃない?」
「大丈夫です!」
必死に訴えたのが届いたのか、姫将軍は半信半疑という様子で椅子に腰を下ろした。私にも座るように手で促す。そして、見透かすような視線を向けてきた彼女の唇が、愉快そうに弧を描いた。
「ふ~ん。じゃあ、どうしてあんたがここにいるのか、教えてくれる?」
「……かしこまりました」
剣戟の音はまだ遠い。私は、きっかけとなった婚約破棄のところから、説明を始めるのだった。




