35.姫将軍に連れ去られ
天馬を見たのも初めてなら乗ったのも初めてで、そもそも普通の馬にすら乗ったことがなかった。王宮のバルコニー以上の高さを経験したことのない私は、足元を流れる王都の景色と地面の遠さに震えて声もでない。
いやぁぁぁ! 死ぬ! 落ちたら死ぬわ!
前に乗せられたが鞍には掴まれるところもなく、後ろに体重をかけるわけにもいかないので、私は馬の首筋にしがみついていた。そのせいで、見たくもないのに恐怖の景色が目の前を通り過ぎていく。
というか何でこんなことになってるの!? この人誰!?
混乱する頭で懸命に考えれば、一つの可能性に行きつく。
もしかして、この人が姫将軍?
装いは武人って感じだし、私を快く思ってなさそうだし……。
出て行けと言われて、連れだされてしまった。もしかしたらこのまま、どこかの山にでも捨てられるのかもしれない。
どうしよう……。少しお城に慣れてきて、お友達もできたのに。魔王様にも迷惑がかかるかしら。
気を付けるように言われていたのに、現在問題が起こっている。下を流れる景色は町から草原に変わっていて、捨てられる可能性が濃厚だ。せめて方角だけでも覚えていようと、首を後ろに向けるとずり落ちそうになった。
「きゃぁっ」
「おっと危ない」
後ろからお腹に腕が回されて抱き寄せられる。命の危険を感じて、心臓は早鐘を打っていた。体が近くなり、緊張が高まって硬直する。
身動きができないでいるうちに、天馬は高度を下げて行き前方に建物が見えだした。草原にはそこに伸びる道が一本あり、その建物は王宮と似ている。そしてみるみるうちに近くなり、風が止まったと思えば天馬は地面に着地していた。振動がほとんどなくて、地面がある安心感に全身の力が抜ける。
「来い」
短くそう命じられ、私は急いで後を追う。鞍から降りる方法なんて知らないので、ずるずると滑るように降りるしかなかった。
ここ、どこ?
降りた先は門の中で、歩いていく先には立派な玄関がそびえている。屋敷というより小さな城で、玄関に続く道の両側には庭園もあった。
ここに軟禁されるとか!? もしくは、魔王との交渉材料にされる?
逃げられるところを探すけれど、見えてきた玄関の左右には槍を持った兵士が立っていて、振り返れば門の先にも鎧を着た人が見えた。
自力での脱出は絶望的で背中に嫌な汗が滲んでくる。大きな玄関がまるで私を飲み込む獅子の口のように思えてきた。その扉が手前にいた兵士二人によって開かれる。
あぁぁぁ、逃げたい! でも無理!
私の心を見透かしたのか、女性が振り向いてきて表情が固まる。私が追い付くのを待つと、出迎えの人影が見える玄関に足を踏み入れた。
広いホールには、女性の騎士たちが向かい合って一列に並んでいて、剣を抜くと顔の前に掲げる。
「お帰りなさいませ! ヴァネッサ様」
張りのある声が押し寄せ、剣が鈍い光を返す様に圧倒された。侍女たちに出迎えられるのは想像がつく。だけど、これは予想外すぎた
「すぐにゼファルが来るから、丁重にもてなしてあげて。猛火の姫騎士団の実力、見せてやりなさい。それと、上のバルコニーにお茶の用意を」
「はっ!」
全員の声が揃い、一斉に剣を鞘に納めて踵を返した。そして、姫騎士という名称から、彼女が姫将軍であることが確定的になる。
待って、待って!? 戦うの? どういうこと? 内乱!?
断片的な情報では全く理解できず、不安だけが加速していく。だけど欠片も聞けるような雰囲気ではない。
私が青ざめていると、姫将軍は肩越しに振り返って口角を上げる。
「さぁ、私たちは高みの見物とでもいこうじゃない」
獰猛な肉食獣を思い起こすような笑みに、私はか細い声で「はい」と答えるので精いっぱいだった。




