34.人間嫌いの姫将軍
「リリア、突然すまないが3,4日ほど居住区から出ないでほしい」
部屋に着くなり、魔王はいたって真面目な表情で要件を話し出した。いつもの軽口がないところからも、よほど緊急事態なのだと分かる。
「えっと、姫将軍と関係があるんですよね」
「さすがリリア、耳が早いな。北の平定を終えて戻ってくるという報が昨日届いたんだが、本人は天馬ですでに王都に入っているらしい。すぐにでも着くようだったから、リリアには先に避難してもらった」
避難という言い方から、魔王がその人物を危険視していることを察することができる。
まぁ、人間を快く思わない魔族もいるわよね……。
いい人ばかりではないのは、王都の一件でも身に染みて理解していた。
「そんなに危険な方なんですか?」
そう尋ねると、魔王は苦々しい顔になる。いつも笑っている魔王にしては珍しい表情で、関係性はあまりよくなさそうだ。
「人間が嫌いというか……昔から俺がリリアを見ていると、虫けらを見るような目を向けられていた。それに戦闘狂で、戦では先陣を切るようなやつだ。人間と開戦すれば、嬉々として攻め込むだろうよ」
私の中で筋骨隆々の大斧を持った将軍像が浮かぶ。
いや、姫だから女の人かしら。
「だから、リリアに会ったら何をするか分からない。不便をかけるが、しばらくはここにいてくれ。最近はよく本を読んでいるようだから、流行りの本も増やしておく」
「わかりました。大人しくしているから心配しないでください」
正直スーに会えないのは残念だけど、こればかりは仕方がない。私がそう答えると、魔王は安心した顔になって微笑んだ。
「ありがとう。なるべく早くあいつを遠ざけるから心配しないで。じゃ、俺はこれで」
そう言いおくと、すぐに魔王は消えた。
なんだか大変そうね……。
派閥や権力争いは貴族の中では日常茶飯事で、きっと魔族の間でも同じなんだろう。私は言われた通りにしていようと、読みかけの本を持ってきてソファーで読み始める。すぐにシェラがお茶を持って入って来て、私が過ごしやすい環境を整えてくれた。
なんだか嵐が来たような感じだけど、私はここから出ないし大丈夫でしょう。
この部屋は王族の居住区の中でも奥まったところにある。廊下の先は庭園で、最近はそこを散歩するのが日課になっていた。
読み終わったら散歩でもしようかしら。
そんなことを考えながら、魔族の間で人気だという冒険小説の世界に入っていった。
集中して読んでいたらあっという間に時間は過ぎる。私は最後のページをめくり、読み終えると本を閉じた。思わず読了後のため息が出てしまう。
この話面白いわ。続きが気になる! たしか続きは書庫だったわね。
「リリア様、続きを取ってまいりましょうか」
シェラは茶器の手入れをしていたが、私が読みえたのに気づくとすぐに気を効かして申し出てくれた。
「自分で行くわ。ちょっと庭園も歩きたいし。シェラは気にせず続けて」
「では、先程魔王様の水晶が現れたので、つけて行ってください」
どこに? と思っていたら、シェラがテーブルの上に被せられていた茶器を磨く布を取ると、水晶が浮いて私の近くに寄って来た。私が読書をしていたから、シェラが邪魔をしないように待たせてくれていたのだろう。
私が歩けばその後ろをついて来ていて、犬を連想させる。
「じゃあ、行ってくるわね」
「はい。何かありましたら、すぐにお呼びください」
シェラは立ち上がると一礼して見送ってくれる。気遣いといい所作といい一流の侍女で、私にはもったいなさすぎる。
読み終えた本を持って部屋を出て、まずは書庫の方へと向かう。この区画は王族の居住区というだけあって、部屋ごとの間隔は広くドアも大きい。だが、シェラから聞いた話ではここに住んでいるのは魔王だけで、使われている部屋も数えるほどらしい。そのため、世話をする侍女も必要最低限しかおらず、廊下を歩いていてもほとんどすれ違わなかった。
書庫は私の部屋より二つ廊下を進んだところにあって、魔王の部屋はさらに先。区画の中では端と端ぐらい離れている。
魔王って、ストーカーなのに律儀なとこがあるわよね……。
そんなことを考えていれば書庫が見えてきた。それと同時に、廊下の先に人影があることに気付く。赤い色味がことさら目を引いた。
あら、珍しい。
近づけば女性ということが分かって来て、このまま進めば書庫の手前ですれ違いそうだ。
騎士の方?
遠目でも腰に剣をはいているのが分かって、少し緊張してしまう。朝つっかかってきた男を思い出した。彼よりも身にまとっている服が高級であることが感じ取れるまで近づいた時、赤毛の女性と目があった。
オレンジに近い赤い髪が腰まで伸びていて、褐色の肌には健康そうな張りがある。研ぎ澄ました剣のような美しい人だなぁと思いつつ、会釈をしようとすれば先に彼女が立ち止まった。
「ちょっと……もしかして人間?」
剣を爪ではじいたようなよく通る声が、不愉快そうな響きを持っている。朝の二の舞かと嫌なものが胸に広がりかけた時、彼女は目を見開いて私に駆け寄ってきた。
「あんた、鏡の少女じゃない! なんでここにいるのよ!」
女性の背は高く、見下ろされれば威圧感がある。さらに詰問されれば体が強張った。
「えっと……連れて来られたからです」
正直に答えれば、美しい顔が強烈に歪む。
「ゼファルのやつ、私が遠征でいない隙に勝手なことをして!」
大型犬が牙をむいたような怒りの表し方で、その剣幕に肩を震わせてしまった。そして、私の後ろに浮かぶ水晶に目を留めると、眉を吊り上げる。
「監視の水晶じゃない! あの陰湿な男がしそうなこと!」
そう吐き捨てた次の瞬間、目の前から女性は消えていた。遅れて風を頬に感じ、何かが割れる音がする。驚いて振り返れば、水晶を斬り捨てたところだった。
「……え?」
「これで邪魔するものはいないわ。人間の女、ここから出ていきなさい」
そう言うなり私の腕を掴んで引き寄せると、楽々と片手で担ぎ上げた。
「ひぇ!?」
肩に担がれた次の瞬間には景色が遠ざかる。伝わる振動から彼女が走っていることに気付いたのが数秒後、そして自分がまた攫われていることに気付いたのは庭園に出た時だ。なぜか噴水の手前に天馬がいて、私たちを見ると一鳴きした。
え、えぇぇぇ!?
助けを呼ぶこともできず、私は遠ざかる城を天馬の上から見ていることしかできないのだった。




