32.宝物がいるだけで今日も頑張れる
リリアの部屋から執務室へと移動したゼファルは、持ち運び用の鏡にリリアを映したまま執務を始めた。ちょうどスーが訪ねてきた時であり、ゼファルは鏡に手をかざして拡大していく。水晶は二人からは遠い棚の上に置いてあった。
そして、ゼファルが二人の様子を気にしつつ書類に判を押していると、ノックに続いてヒュリスが入ってくる。
「おはようございます。昨日の件で調査が進んだのですが、今よろしいですか?」
「あぁ、最優先事項だからな」
昨日の犯人二人は、城の刑務官に引き渡して王都で横行していると思われる人間の奴隷取引について尋問させていた。ヒュリスは数枚の書類を持っており、ゼファルは読んでいた書類を横に置いて、それを渡すよう手を伸ばす。
「主に一人で入国した人間を狙っていたようで、あの幻術を使う男が顔見知りに成りすまして攫うのが手口だったようです」
ゼファルは数枚にまとめられている情報に目を通し、眉間に皺を寄せる。少なくともゼファルが魔王に就任したころから行われていたようで、足元がおろそかになっていたことに歯噛みする。
「しかも組織ぐるみの犯罪のようですね。あいつらは末端で、残念ながら首謀者までたどり着けませんでした。魔族側の客を数人吐かせたので、そちらから当たろうかと思います」
「あぁ……胸糞悪いな。こんな奴らが王都にのさばっていると思うだけで虫唾が走る」
奴隷が魔族に売られた先のことは書かれていないが、それまででさえまともな扱いはしていなかった。買ったとされる魔族の名を目にしたゼファルは眉を顰める。
「予想はしていたが、過激派の連中か……。大人しくしていると思ったら裏でこんなことを。兄たちと軍務卿は噛んでないよな」
「はい、そこは念入りに調べました。今回の一斉検挙であちらを刺激するとは思いますが話はつけます」
「それならいい」
そこで資料から目を離したゼファルは、固い表情のままヒュリスに問いかける。
「それで対応はどうなっている」
「はい、警備隊の人員を増やし、夜間のパトロールを行います。また、人間が入国する際は注意喚起をするよう通達をしました」
「早期対応はそんなものか。敵の拠点が分かり次第一掃する。怪しい場所や人がいれば、俺が視るからあげろ。それと保護した人間が療養できる場所の確保も頼む」
的確に判断し、指示を出していく魔王は為政者にふさわしい顔つきで、ヒュリスはそれをどの部署の誰に割り振るかを瞬時に決めていく。
「かしこまりました。それと、根本的に解決するためには、以前から議題に上がっていた入国審査の厳重化や住民登録を考える必要があるかと」
「あぁ……。住民登録はまだしも、入国審査はあちらの国が国外追放者のリストをくれるはずがないから非現実的だという理由で見送られていただろ。まったく、俺の国をごみ捨て場にしやがって」
現状、王都における人間の受け入れはほとんど無条件で行っている。数週間分の資金と仕事のできる体があればよく、入国の際に名前のみ控えていた。だがそれも、名を変えられれば追跡不可能となる。
「今までは警備隊や自警団がトラブルを解決していましたが、そろそろ限界でしょう。ケヴェルンのように、人間を組み入れた政策を……魔王様?」
突然ゼファルが机の一点を見つめて動かなくなったので、不審に思ったヒュリスは一歩近づいて魔王の視線の先を覗き込む。
「うわっ、もう約束破って覗いてるんですか!?」
「失礼な! これは、リリアが拒否していないから、そのまま繋いでいるだけだ!」
「でもこの様子じゃ、リリアさん見られていると思ってませんよね?」
書類の山に隠すように立てかけられていた鏡には、リリアと昨日の事件に巻き込まれたスーの姿がある。口元はよく見えないのでヒュリスには話の内容までは分からないが、にこやかに話しているようだ。
「あー、それは。リリアうっかりしているとこがあるからな」
「最低ですよ。リリアさんに好かれたいと思ってるんですか?」
「好かれたい! だが、今はそれ以上にリリアが傷つかないか心配……」
歯に衣着せずリリアの分まで魔王を責めるヒュリス。ゼファルは嘘偽りない本音を叫ぶと、言葉を切って鏡の向こうに集中した。ゼファルは力を使って集中すれば音を拾うこともできる。
そこでは、リリアが「スーが一番」だと友達に満面の笑みを見せていたところだった。ゼファルは思わず、ギリッと奥歯を噛む。
「……俺は今、リリアが友達と楽しそうにはしゃいでいるのを喜ぶべきか、俺への好感度が低いことに悲しむべきか、スーに嫉妬すべきか葛藤している」
「いや、お顔に嫉妬が色濃く出ていますけど? あっ、気づいたんじゃありません?」
二人とも、鏡の中のリリアと目が合った。表情が少し険しくなった気がする。
「あー、怒るよな。いや、怒られるのも嬉しいけど……は? プレゼント? リリアからの初プレゼント?」
ゼファルが鏡に手をかざしてさらに拡大すれば、リリアはスーに黄色いリボンの髪飾りをあげていた。スーは喜んでいて、見ているヒュリスも和やかないい気分になる。リリアは立ち上がり、付けてあげるようだ。
一方、ゼファルは不幸を煮詰めたような絶望的な表情をしている。
「そ、そんな……。羨ましい。黄色いリボンだなんて、リリアみたいじゃないか。俺も友達になりたい。友達だったら、プレゼントしてもらえるか?」
半分うわ言のように呟くゼファルに、常は辛辣な言葉も吐くヒュリスもさすがに不憫になってきた。そこに追い打ちをかけるように、鏡の中のリリアが睨みつけてくる。これは完全に見ているのがバレている。
そして拒絶のバツ印が送られ、ゼファルはのけ反った。その衝撃で術の制御が乱れたのか、鏡の視界がブレて消えた。そこに映るのは意気消沈したゼファルだけ。
「これ、絶対リリア怒ってるよな。乗り込んできそう。いや、ここは会いに来てくれて嬉しいと考えるべき」
ゼファルは特技ポジティブシンキングを行うが、苦し紛れでしかない。それは本人が一番よく分かっており、情けない表情をヒュリスに向ける。
「ヒュリス~。助けて!」
それに対してヒュリスはため息を返し、冷たい笑みを浮かべた。
「甘いですね。リリア様は直談判する前に、私とシェラさんに話をされると思うので、三人で絞り上げます」
ゼファルはその未来をありありと想像できてしまい、顔を引きつらせて懇願する。
「頼むよヒュリス! 俺からリリアを取り上げないで! 俺がどんだけリリアに救われたか知ってるだろ!?」
「それはご自分でリリアさんに訴えてください。ほら、処刑時刻までになるべく仕事を終わらせてくださいな」
ヒュリスは魔王が端に寄せていた書類を引き寄せ、判を催促する。ゼファルは処刑台に上る前の死刑囚のような顔で、書類をめくった。重い空気の中ゼファルが判を押し、紙をめくる音だけが聞こえる。
だが、ふとその音の中に無機質な何かを叩くような音が混じって、二人は耳を澄ませた。ゼファルが動きを止めれば音の方向が明確になり、窓へと顔を向ける。
「げぇっ、軍の伝書魔鳥。ってことはまさか」
窓の外に黒い鳥がおり、先程から嘴で窓をつついて知らせていたようだ。窓を開ければ一度の羽ばたきで机の上に下り立ち、その風圧で書類が散乱した。だが、ゼファルは書類に構うことなく、その足に巻き付けられている筒から、細長い紙を引っ張り出して慌てて読む。
黒の立派な体躯をした魔鳥の首には、北に遠征中の部隊を示す赤いリボンがついている。
ゼファルは短いその文面を読み終えると、苦渋に満ちた顔をヒュリスに向けた。
「まずい、あいつが帰ってくる。……リリアを隠さないと大変なことになるぞ」
窓の外には他にも数羽黒い鳥が飛んでおり、各部署へと伝達に下り立つ。
ほどなく王国軍の凱旋を知らせる空砲が二発響いた。
最強戦力の一人である猛火の姫将軍が、北の平定を終えて帰還するという知らせである。




