30.空間魔術は心臓に悪い
翌朝、いつもと同じ時間に目を覚まして、シェラに朝の身支度を手伝ってもらう。昨日は、護衛の身でありながら守り切れなかったことを悔やみ、申し訳ないと平身低頭謝っていたが、今は元通りの態度に戻っている。相当自分を責めていたから心配していたけれど、持ち直したようでよかった。
マッサージやお化粧にいつも以上の気合が入っているような気もするが、ささいなことだ。部屋には昨日の夜から続いて、リラックス効果があるアロマが焚かれていて、シェラの心遣いが感じられる。
そして、朝食を食べ終えて一息ついたところに、見慣れてしまった水晶が姿を現した。突然現れても驚かなくなってきた自分が毒されているようで悔しい。
「昨日のこともあったものね……」
顔を見ておきたいということなのかなと思ったので、バツの印は送らなかった。すると、次の瞬間、目の前の空間が裂けた。
「きゃぁ! ……いたっ!」
思わず距離を取ろうと椅子から腰を浮かしたら、テーブルの端で右手を打った。予期せぬ痛みに顔をしかめ、元凶を見れば魔王が立っている。
「おはよ……リリア!? どうしたんだ。どこか痛むのか! まさか、昨日の!?」
爽やかな笑顔でドアから入ったように自然と挨拶をしかけた魔王が、血相を変えて私に駆け寄った。幸い軽く打っただけなので痛みはひどくなく、左手でさすりながら恨みがましい目を向ける。
「今、魔王様が突然現れたからです。さっきまでは、いたって健康でしたわ」
「なっ……それは、すまない」
魔王は私の右手に視線を落とすと、手に取って怪我無いかを確認し始めた。少し赤くなっているのを見て、ショックを受けた顔をしている。
こんなの、昨日受けそうになったものに比べたら何でもないのに……。
赤くなったところよりも、指先のささくれの跡や切り傷の跡が目につき、気恥ずかしくなって手を引っ込める。
「リリア、本当に無事でよかった。どうしても仕事の前に直接顔を見ておきたかったんだ」
「そうですか……。私はこの通り元気なので、気にせずお仕事をしてください」
魔王のまっすぐな眼差しを受けきれなくて、つい視線をそらしてしまう。
「ありがと。リリアに応援されたら、二倍速で仕事ができそうだ。早く終わったら遊びに来るね」
遊びには来なくていいかな……。
私はゆっくり仕事をしてくださいという思いを込め、微笑みを浮かべて軽く手を振った。
「ではまた」
魔王は片手を挙げて挨拶をすると、来た時と同じように裂けた空間から消えた。静かになった部屋で軽く息を吐いた私に、シェラが気づかわしげに声をかけてくる。
「あの、リリア様……。続けてで申し訳ないのですが、スーから面会の申し込みがありまして」
その名前を聞いたとたん、私は顔をシェラに向けて飛びつくように言葉を返した。
「会うわ! 昨日から気になっていたの」
「では、こちらにお招きしましょうか? 応接室もございますが」
「ここにお願い」
「かしこまりました。呼んでまいりますね」
そう言ってシェラが出て行けば、とたんに落ち着かなくなってきた。部屋の隅にある姿見で服装と髪型に変なところがないかを確認する。
きっと昨日のことよね。スー、大丈夫だったのかしら。私のせいだわ。どうしよう、友達やめたいって言われたら……。
鏡の中の自分は不安そうな顔になっていて、慌てて微笑を作る。
だめだめ、弱気になってるわ。初めてできた友達だもの、これからも友達でいてほしい。だから、先に謝らないと。
考えてみれば友達を部屋に招くなんて初めてで、どうしたらいいのか分からない。そわそわしだして、部屋の中を歩き回ってしまう。
あ、そうだわ。昨日買ったやつを……。
私は昨日買った物を思い出して、寝室に取りに行きスカートのポケットに入れた。スーとの仲が悪くなったとしても、これだけは渡したい。
そして、不安が募る中ノックの音がして、茶器を乗せたカートを押したシェラがスーを連れて戻って来たのだった。
キョロキョロと周りを伺いながら部屋に入ってきたスーは気まずそうで、私も同じような顔をしてしまっていると思う。
「おはよう、スー。よく眠れた?」
「あ、うん。リリアは?」
「よく眠れたわ」
ちょっとぎこちない気もするけど、口調はカフェの時と同じで友達になったあの時間は嘘じゃなかったことに安心する。シェラに窓際のティーテーブルに案内され、お茶を淹れてもらう。スーは緊張しているのか口数が少なくて、謝るタイミングを探るけどきっかけがつかめない。
目が合った瞬間に謝るんだったわ……。
シェラは気を回してくれたのか、お茶を淹れ終え茶請けのお菓子が乗ったお皿を出すと、「ゆっくりしていってくださいね」と下がって行った。




