3.魔王様が怖い
「……あの、見ていたって?」
「もちろん全部をだよ!」
食い気味に魔王が答えたけれど、私が聞きたいのはそれじゃない。というか、全部というのも意味が分からない。表情が険しくなりかけた私に、できる男宰相が言いにくそうに説明をしてくれる。
「えっと……魔王様はそこの鏡で人間の様子を見るのがお好きと言いますか」
「人間じゃない。リリアをだ」
「黙りなさい」
笑顔のまま宰相が魔王のわき腹をすごい速さで小突いた。痛そうな音がして、魔王はやせ我慢をしているのか引きつった笑みになっている。攫われた側としてはいい気味だ。そして聞き捨てならない言葉があったので、じっと目力を入れて魔王を見つめる。
「それで、私を見ていたって、どういうことですか?」
「え、知りたい? 俺、空間魔術の天才だからいつでも見たいところを見られるんだ」
なぜか照れて頬を赤くした魔王は、小走りで鏡に近づき手をかざした。
「こうやって念じるだけで、その場所が映るんだよ。ほら、馬鹿な人間たちが右往左往してる。いい気味だな」
魔王に顎で見るように促され、鏡に近づくとドレスを着た人たちが映っていた。鏡のはずなのに、遠視の術で使う水晶のように風景を映している。でも、私が知っている術よりも、もっと高度で複雑だ。手を動かすだけで視点を変えたり、拡大したりと自在らしい。
「さっきまでの広間だわ……」
よく見れば第二王子が衛兵に何か指示を飛ばしていた。顔を青くしている両親もいる。さっきまでそこにいたはずなのに、現実味がない。
「わぁ、見事にかき回しましたね。魔王らしいといえばそうですが、抗議文が来ますかねぇ。さすがに宣戦布告はないと思いますが」
落ち着いた口調でさらりと恐ろしいことを言っている宰相に、私は驚いて顔を向ける。冤罪と婚約破棄に国外追放と散々な目に遭った国だが、それでも攫われたせいで戦争とかたまったもんじゃない。
「あの、戦争、するんですか……」
「しませんよ、馬鹿馬鹿しい。それに口を読んでいる感じでは、もともとあなたは国外追放が決まっていたので、騒ぎにはしない方向で進めるようです」
「すごい、読唇術」
「俺には音も聞こえているぞ。胸糞悪いから消しているけどな」
張り合いたいのか魔王が割り込んできた。
なんで魔王なのに、こんなに子供っぽいんだろ……。じゃないわ。問題の大きさに、そもそもの発端を忘れるところだった。
「それで、こうやって私を見ていたと?」
改めて左隣に立つ魔王を見上げれば、彼は照れくさそうにはにかむ。
「リリアを見ているのが癒しだったんだ。我慢して努力して、だけど一人の時は悪態をついて泣いて、それでも強く生きる姿に何度胸を打たれたか!」
「ちょっと理解ができません……」
何やら熱い思いをぶつけてくれるのだけど、私の好感度は急降下だ。もともと攫われたことであったものじゃない好感度の底が抜けて、マイナス記録を更新している。
「それ、監視というか盗視ですよね。え、というか、どこまで見てたんですか?」
一日の生活には当然人に見られたくない部分がある。その疑いが伝わったのか、魔王は慌てて両手を前に突き出した。
「違う! 俺は紳士だからな。着替えとか風呂とか、そういうところは映らないように術を改良した!」
「改良ってことは、最初は見えていたと?」
「あ、いや。ずっと小さい時だ!」
「……は? そんなに小さい時から、見ていたんですか? 私を?」
腹の底から響くような低い声が出て、自分でも驚いた。誰かに対してこれほど感情をあらわにしたのは久しぶりかもしれない。先ほどから寒気で鳥肌が立っている。
窮地を救ってくれた感謝とか、顔の良さとか、美声とか、全てが吹き飛んだ。軽蔑の目で見ているのに、一向に魔王は怯む様子がない。
「うん、だから安心して。絶対リリアを辛い目に合わせないし、悲しませない」
いや、怖い怖い怖い! 言葉が通じてない!
しかも、魔王は両手を広げて近づいてきたものだから……。
「変態!」
私は本能的に魔王の頬を引っぱたいていた。薄い絹の手袋越しだから音はくぐもっていたが、掌に確かな感触と遅れて熱を伴った痛みが走る。
「へ、ん……たい?」
魔王は驚愕した表情で、ビンタされた頬を押さえて両膝から崩れ落ちた。
「リリアに触ってもらえた……痛い」
もう一発入れてもいいかしら。
治まらない怒りを察知したのか、魔王は肩を跳ねさせて私を見上げる。
「あ……リリア。怒った時はおいしい紅茶とケーキがいいよ。俺、厨房から持ってくる!」
そう言って立ち上がるなり魔王は転移術を発動させ、目の前から姿を消した。