22.宝物の気持ちが聞けた
「リリアが、リリアが拒否したぁぁぁ」
ヒュリスに引きずられ、名残惜しいリリアとの時間を終わらせて執務室に戻ったゼファルは、約束通り水晶を通してリリアの姿を見ようとして撃沈していた。
「頭の上でバツを作るリリアは可愛いけど辛い! 俺は何を糧に午後の仕事を頑張ればいいんだ……」
ゼファルは黒檀の重厚感ある机に突っ伏し、うず高く積まれた書類に目をやる。単調で眠くなる書類仕事の時は、持ち運び用の鏡でリリアの姿を見ながら片づけていたのだ。こっそり盗視することは簡単だが、良心も倫理観もあると主張するゼファルは約束を破る気などなかった。
「ヒュリス、もう無理だ……俺は、もう仕事ができない」
「何をおっしゃっているんですか。さっさと終わらせて会いに行けばいいでしょう」
ヒュリスは呆れ顔で魔王の隣に立つと、体を起こさせて優先順位の高い書類を魔王の前に置く。山の上から順に早急に決済が必要なもの並べていて、できる宰相である。
「お前には分からないんだよ。ふとした時に、鏡を見るとリリアがいるだけで頑張れるんだって」
「では、リリア様の姿絵を描かせてもらって置いておけばいいのでは?」
「動かないリリアを見ても……いや、姿絵も欲しいけど」
リリアのこととなると欲が止まるところを知らないゼファルだが、書類に目を落とすと統治者の顔つきになり引き出しから印璽を取り出す。持ち主の魔力でのみ印章が写され効力を持つもので、代々魔王に引き継がれている代物だ。
ゼファルは数枚の書類に目を通し終えると、意味ありげな視線をヒュリスに向けた。
「俺への当てつけか?」
「ストーカー罪の法案は最優先課題の一つでもありますので。魔王様、くれぐれも抵触しないようにお願いします」
ゼファルは舌打ちをすると、もう一度条文をすみずみまで確認する。法律の穴をかいくぐるためではなく、加害者の逃げ道を塞ぐために。
「この定義に、被害者が精神的苦痛を被っていることを付け加えたらどうだ? なかなか証拠を押さえられないと指摘があっただろう」
「あぁ……確かにそうですね。それがあると、訴えやすくなりますが……魔王様訴えられますよ?」
リリアが精神的な苦痛とまで感じているかは分からないが、少なくとも嫌がってはいた。
「施行されるまでには必ず合意の上にするから安心しろ」
「努力の方向性が間違っています」
「あと、過剰なつきまとい行為がある例が数件あっただろう。加害者は執念深く、逆恨みをする可能性もあるから、被害者の保護や情報の秘匿などの対応も同時に徹底させろ」
「さすが、加害者心理を熟知されていますね。担当部署に通達しておきます」
ゼファルはいくつか文言を付け加え、修正箇所に印を入れると差し戻しの箱に入れる。すると即座にヒュリスが次を置いており、休む間はない。紙ではない、封がされたままの巻物を見たゼファルは「ほう」と声を漏らす。
「アイラディーテ王国から返書が来たのか。思ったより早かったな」
「はい。今回のことは国外追放処分となった罪人であるため、外交問題にはしないとのことです。これを両国の共通認識とし、干渉しない旨も交わしております」
ゼファルはリリアを連れて来てすぐに、密使を飛ばしていた。ヒュリスの報告を聞きながら、アイラディーテ王国の印で封をされた魔獣皮紙の巻物を広げれば、同じことが書かれている。
「な? 問題にならなかっただろ?」
「結果論ですよ。くれぐれも今後は慎重に」
「分かってるよ。この件は今日の夕食時に伝えるとしよう」
ゼファルは得意げに返書を巻くと、管理庫行きの木箱に入れる。そして次に置かれた書類の冒頭に書かれた文字を見て、表情が明るくなった。
「いよいよ二週間後か」
書類はケヴェルン視察に関するものであり、日程に視察内容、予算と綿密に練られていた。ふと企画立案者の名前に目をやるとヒュリスの名もあり、ゼファルはもの言いたげな目を向ける。
「魔王様には限られた日数を有効活用してもらわねばなりませんので」
「けど、リリアと別行動が多すぎないか? 二人でお菓子屋巡りしたり、雑貨屋に行ったり、観光スポットで浮かれたい!」
「願望がむき出しすぎます。魔王様には魔王様の仕事がありますので、お遊びはその後です」
「血も涙もない……」
魔王は不満と大きく顔に出したまま、書類に判をして決裁済みの箱に入れた。二週間後はリリアと旅行だと考えると、少し気分が晴れる。やる気が出てきたゼファルは、ヒュリスに出されるまま次々と書類をさばいていく。
王都の水路工事や、商会からの嘆願への対応、周辺の町からの税収の推移、北の平定をしている王国軍の報告など、魔王が目を通さなければいけないものは多岐に渡る。それらに区切りがつき急ぎの書類が積まれた山が無くなったところで、ゼファルは大きく伸びをした。
「あ~! リリアが足りない! もう無理!」
そして限界だとリリアの側に水晶を出現させ、その姿を映し出す。手のひら大の鏡に映ったのは驚き顔のリリアで、バツを作ろうとした手が途中で止まっていた。水晶に“仕事を頑張ったので癒しをください”と書いたのが功を制したようだ。
リリアは複雑そうな顔で「私は愛玩動物なの?」と呟いていた。本を読んでいたようで、驚いて落としたのだろう。足元の本を拾い上げると、ちらりと浮かぶ水晶を気にしてから視線を本に戻す。
「あぁぁぁ、リリアが本を読んでる。俺が選んだ本だ……読んでくれて嬉しい」
ゼファルはうっとりした表情で、愛おしそうに鏡のリリアを撫でる。その姿を見るだけで仕事の疲れが溶けていった。鏡を見つめて動かないゼファルを、いつものことだとヒュリスは気にすることなく書類が積まれた木箱を3つ重ねた。それぞれ担当部署に渡して細かな指示を与えるのがヒュリスの役割だ。すでに窓の向こうは夕焼けで赤くなっており、ずいぶん時間が経っていた。
重ねた木箱を持ち上げてゼファルに背を向けたヒュリスの耳に、優しい、慈しみの響きを持った声が届く。
「リリアが、嫌って言ってくれてよかったな……。自分に嘘をつかなかった」
ヒュリスが肩越しに振り返ると、魔王の視線は鏡に釘付けになったまま。その表情は寂しそうではあるが、どこか嬉しそうだ。
「もっとリリアの気持ちを知りたい。感情を隠さずに見せて欲しい……幸せに、なってほしいんだ」
そこにいるのは愛しい人を大切に想う一人の男で、夕日が髪をさらに紅く見せ、褐色の肌に朱をさす。そのまま絵姿として売られそうな美しさだ。
「今日は祝い酒だな。おいしいワインを開けよう」
「……魔王様は酔うと面倒なんですから、ほどほどにしてくださいね?」
ヒュリスはそう言い残し、軽く頭を下げて執務室を後にする。以前お酒に付き合った時は、つい飲ませすぎてリリア談義を3時間聞かされ面倒な思いをした。
ヒュリスはもう一仕事と、重い書類が入った箱を持ち直して廊下を進むのだった。




