20.魔王の趣味……?
「リリアさんお待たせしました。少し会議が長引きまして」
「いえ、お仕事お疲れ様です」
部屋に入ってきたヒュリス様は、魔王が部屋の真ん中で立っているのを見ると不思議そうな顔をする。
「先に召し上がってくださいと言いましたのに」
「リリアがシェラから地理を教わっていてな。俺の国に興味を持ってくれることが嬉しくて、感動に浸っていたから声をかけられなかったんだ。王都のリリア、ケヴェルンのリリア、雪山や谷のリリアも素敵だと思わないか?」
瞬く間に通常の魔王に戻っていて、私は半目になってしまった。都合よく私とシェラのことは抜かして話している。
ヒュリス様は相手にせず、魔王の横を通り過ぎてバルコニーの席についた。シェラはすでに給仕の準備を始めていて、私も席に座った。
「ねぇシェラ、今日のお昼は何?」
「岩ハサミエビの酒蒸しと、5種のキノコスープです。パンはクルミ入りですよ」
「おいしそうね」
聞いたことのない食材に胸が躍る。食事の楽しさをこちらに来てから知った。
「リリアにはこちらの食材を色々と食べて、お気に入りを見つけて欲しいから幅広く料理してもらっている。気に入ったものがあればすぐに言ってくれ」
無視されてもめげない魔王は、自然に会話に入って来て私の左手に座る。すっかりそこが定位置になったみたいだ。魔王が席に着くと同時に、食事が並べられいい香りが漂い始めた。
魔王が食べ始めるのを見て、私もスプーンに手を伸ばす。おいしい食事の時間が始まった。
「リリアさんは、人間研究部に行かれていたんですよね。どうでしたか?」
「とても楽しかったですよ。色々と勉強もできました」
ヒュリス様に話題を向けられた私は、スープを飲むスプーンの手を止めて答えた。スーさんとの話を思い出すと、自然と笑みも零れる。すると、左手から「ぐふっ」と変な声がした。驚いて顔を向けると、口元を押さえている魔王。シェラがすっと拭くものを手渡していた。
「……かわいい」
「うわぁ……」
しまった、思わず声が出てしまった。魔王は熱っぽい視線を向けていて、嬉しそうに声を弾ませる。
「自然に笑うリリア、素敵だ。よかった……本当によかった」
「……私だって普通に笑う時ぐらいあります」
あちらの国では終始作り笑いだったから、たぶん、が後ろにつくけれど……。よく見ると魔王は目を潤ませていて、ずっと傍で見守っていた家族のような雰囲気を出しているが、鏡で見ていただけだ。
「できればその様子を一部始終見ていたかった……」
悔しさが滲み出る表情で、セリフが違えばせっかくの顔立ちも生かせるのにと残念に思う。「記録できるように術を改良できないか」とぶつぶつ言っている魔王を相手にせず、冷めないうちにとスープを飲む。キノコの芳醇な香りを楽しんでいると、ふと聞き流した言葉がひっかかった。
「ずっと見ていたわけではないんですね」
思案顔で大きなハサミを持ったエビを切り分けていた魔王は、悩まし気にため息をついた。
「今日はずっと謁見やら会議やらがあったからな。今日見られたのはシェラと一緒に衣裳部屋を見ていたところぐらいだ」
「やっぱり見てるんじゃないですか。というか何ですかあのドレスの山……ちょっと恐怖を感じたんですけど」
人間研究部の衝撃が強くて忘れていたけど、朝にも大変なことがあったんだった。魔王に一言物申さないと気が済まない。
朝起きて身支度を整えると、シェラから「今後のためにも、リリア様のドレスの好みを教えてください」と頼まれた。いつも継母のお下がりだったから、ドレスを選ぶ経験なんてなくて子供のようにワクワクしたのだ。
だけど、ドレスの見本があるからと、二つ隣の部屋に移動した私は絶句した。壁四面では足らず、書庫の本棚のように通路を確保してドレスがつられている光景は、衣裳部屋の限度を超えている気がする。箱もうず高く積まれていて、圧迫感がすごかった。
「すごいでしょう。リリア様に似合いそうだったり、気に入りそうだったりしたドレスを仕立てて集めているんです」と説明するシェラも、少し引き気味だった。会えも贈れもしない相手のためにドレスを仕立てるなど、無駄でしかない。シェラにいくつかタイプと用途の違うドレスを見せてもらい、どれが好きかと訊かれたけど正直困った。
全部私の好みだったからだ。言わずもがな生地は上質で、デザインはシンプルの中に可愛さがあるものばかり。今着ているものも動きやすく、上品なデザインのカジュアルドレスだ。そしてなぜかサイズがぴったり合う。
朝の驚きと怒りをぶつけるも、魔王は「怒っているリリアも可愛い。そのドレスも似合ってる」と、全く響かなかった。だから矛先をヒュリス様に変える。
「あの、ヒュリス様。あれは魔王としていかがなものかと思うんですが。無駄の固まりのような気がします」
ヒュリス様はエビをきれいに食べ終えており、フォークとナイフを置くと「そうですねぇ」と困り顔になった。
「あれは魔王様の趣味ですし、経済にも服飾産業にもいい影響を与えているので多めに見ていただければ……。心が痛まれるのであれば、全て着てあげてください」
いや、心が痛んでいるわけではないのだけど……。
ヒュリス様に諫めて欲しかったのに、私が頑張ればいいみたいな話になってしまった。嫌な感じがして魔王に視線をやると、期待に目を輝かせている。
「なんなら、朝、昼、夜と着替えてもいいぞ。見る度に違う服を着るリリアというのも、楽しみが倍になるからな。むしろ、もっと欲しい物を言ってくれ」
シェラも頷いていて、着替えさせるのが面倒だとは思っていないようだった。
「いえ、だから……」
テンポのいい会話に、するりと「見られるのが嫌なんです」と拒絶の言葉が出そうになって、寸前で口をつぐんだ。拒否すれば魔王の怒りに触れるのではと不安に駆られるが、当の本人は満面の笑みで私の言葉を待っている。
いい……のかしら。言っても怒られない?
言葉にしようとすれば、急に口が渇いて心臓が掴まれたようになる。その笑顔が豹変するのではないかと思うと怖い。
だけど、大丈夫よね。
それでも、そう思えるくらいには、魔王の優しさを理解していた。わざわざ私に選択肢を用意して、何がしたいかを聞いてくれることも気づいている。
だから、魔王の目を見つめ返して、うるさい心臓に負けないように冷や汗が滲んだ手を握り込んだ。
「……その、勝手に見るのを、やめてほしいんですが」




