2.婚約破棄をされたら、攫われました
尊大な口調に、会場の人々はざわついて声の主を探す。私も思わず足を止めて、顔を上げた。
「都合よく婚約破棄に国外追放とはありがたい」
空間が裂けていた。高度な空間転移術を後ろにして宙に浮いていたのは、褐色の肌と赤い髪をした男。詰襟の軍服に似た高貴さを感じさせる衣裳に身を包み、マントが威厳を醸し出している。
え、誰?
思わず状況を忘れて呆けてしまった。この国では珍しい肌と髪色の次に、その整った顔に目がいく。そして遅れて、頭の横にねじれた角が二つあるのに気づいた。角があるのは魔族の印だ。
あれが、魔族……。本当に存在したんだ。
驚きも通り越せば冷静になるというか、ぼんやりとそんなことを思った。
「魔族だ!」
「襲撃か!?」
それに気づいた人たちが口々に叫び、槍と剣を構えた衛兵が私と魔族を取り囲む。
「えっ、ちょっと、私も!?」
このままでは国外追放どころか処刑されそうな勢いに、どうしようと視線をあちこちに向ける。驚いた顔、逃げ出す人、衛兵の後ろに隠れる人と武器の冷たい光。いらない情報ばかり飛び込んできて、助かる道が見えてこない。焦りで鼓動は早くなって、頭がこんがらがっている。
だから、腕を掴まれるまで魔族の男が隣に立っていたことにも気づかなかった。
「え?」
反射的に顔を向けると、すぐ近くに褐色の端正な顔があった。赤い髪から尖った耳が覗いている。瞳は蕩ける蜂蜜色で、人のよさそうな優しい微笑みを見せていた。
「俺はゼファル・アーロンディ。今代の魔王だ。嘘つきは魔王に連れていかれるのだろう? だから、お前を攫ってやる」
耳元で囁かれた甘く低い声に、心臓が跳ねあがる。長い手袋の上から掴まれた腕は痛くないのにビクともしない。
今、魔王って言った? 魔王って、あの昔話に出てくる?
「あの、それって、どういう……」
なんだか嫌な感じがして一歩下がった瞬間、ぐにゃりと景色が歪んだ。眩暈に似た感覚に目をつぶったら音が消える。そして、再び目を開けたら、広間ではなかった。
「……ひぇ?」
自分でも聞いたことのないような間の抜けた声が出た。
え、何ここ。え、どうなったの? 悪い夢!?
夢でよくある、つぎはぎで理解できないことの連続。呆然と顔も動かせずにいると、正面に大きな姿見があることに気付いた。そこには変な顔の私がいて、その隣に、私をここに連れてきたと思われる張本人の自称魔王がいる。
「ねぇ、これってどういう……」
恐る恐る視線を隣に向けると同時に、掴んでいた男の手が滑り落ち手を取られた。彼は流れるように片膝をつき、熱のこもった視線を向けてくる。まるで話に聞く劇のようだ。
「結婚を前提に友達から始めてくれないか?」
「攫っておいて友達とかないと思います。結婚を前提って何ですか」
人間極限状態になると素が出る。本音が零れたことに気付いたのは、全部口にした後だった。
いやぁぁぁ! つい口が滑ったわ! 殺される!?
一瞬固まった魔王は怒ると思ったけど、ぱっと顔を輝かせて私の手を両手で握り込んできた。
「こんなに早く本当のリリアが見られるなんて、俺に心を許してくれたのか!? 俺には好きなだけいつものように悪態をついてくれていいからな!」
「ちょっと、離してください! 何ですか悪態って!」
強引に振り払おうとした時、ドアが開く音がした。新たな状況に目が回る。
「魔王様~。お休みのところ……は?」
ばっちり目が合った。政務官っぽい服装で、藍色の髪に額から一本角が生えている。書類の束を小脇に抱えた男は、顔を引きつらせて大股で近づき私を指さした。
「なんで鏡の中の子が立体化してるんですか!? この魔王! 見ているだけじゃ飽き足らず、とうとう作ったんですか!?」
なかなかの声量に圧倒された私は、魔王の手を振りほどくのも忘れて棒立ちになっていた。魔王は立ち上がると、掴んだままの片手を高々と掲げる。
「だれがそんな虚しいことをするか。本物だ」
片手を上げた勝利のポーズのようなのに、捕獲された感じになっている。いや、この状況は拉致と捕縛そのものだ。
状況について行けず、蚊帳の外に放り出されて逆に落ち着いてきた。
悪びれた様子もなく、むしろ誇らしげな魔王に男は目を剥いて口泡を飛ばす。
「馬鹿ですか!? 元いたところに戻してきなさい! 人間を魔王が攫ったら外交問題、下手すれば戦争ですよ!」
「安心しろ。こいつは国外追放されたから、ここにいても何の問題もない」
「いや、そういう問題……え、そうなんですか?」
目を吊り上げていた男は、そこで初めて私に視線を向けた。緑色の瞳が私を観察するようにとらえていて、小さく唸る。
「お見苦しいものをお見せしました。私はヒュリス・ナーガ。この国の宰相として、政治を主導的に行っております」
「……主導的に」
補佐じゃないんだと思わず呟いてしまった。魔王よりもこの宰相の方が頼りになる気がする。丁寧に頭を下げて挨拶をしてくれたので、私も魔王に掴まれたままだった手を引き抜き、ドレスをつまんで挨拶を返した。
「お初にお目にかかります。リリアとお呼びください。家も追い出されたので、名乗る姓はございません」
「ヒュリスずるい! 俺、まだ挨拶をしてもらってないのに!」
「リリアさん、魔王様が勝手をしたのでしょうが、訳ありのご様子。よろしければ事情を教えてもらえませんか」
華麗に魔王を無視する宰相とは話が通じそうなので、ほっとして小さく息を吐いた。遅れて肩に力が入っていたことに気付く。そして、今日あったことをかいつまんで説明すると、彼は表情を曇らせ最後には魔王に非難めいた眼差しを向けた。
「冤罪、婚約破棄、国外追放に誘拐……。しかも瞬間移動を使ったと……」
「だ、だって、見てたら助けないとってなるだろ! リリアは悪くないのに!」
「だとしても、もう少し穏便にできたでしょう。国から出るのを待って迎えを出すとか。どうせ、見ていて衝動的に行動したんでしょう」
図星だったようで、魔王が「うっ」と小さく呻き、「だって」とあれこれ言い訳を並べている。普段の力関係がよく分かるやりとりだけど、そんなことより気になることがあった。
見てたって、どういうこと?
これは、聞くしかない。