19.バルコニーから地理の勉強を
シェラに連れられてやってきたのは、昨日と同じバルコニーだった。部屋から続いていて、中でも食事ができるようになっている。
城でも高い位置にあるここからは、城下町が一望できた。まだ魔王たちは来ていなくて、時間つぶしにとシェラがこの国、ミグルド王国の地理を教えてくれる。
シェラは私が頼んでから折を見て、この国の常識や文化、歴史を教えてくれていた。知識が豊富で、教え方も分かりやすい。
「あちらの方向がアイラディーテ王国で、山を二つと一つの町を超えた辺りに境界の町、ケヴェルンがあります。馬で五日ほどかかるでしょうか」
「向こうでは地図も正確なものではなかったのよね。この国はあっちより広いのかしら」
教養の一環としてアイラディーテ王国の地理や風土は勉強させられていた。その中で、本に載っていた大陸図も見たが、大河より上が魔族の領域ぐらいにしか書かれていなかったのだ。
素朴な疑問だったのだけど、シェラは困ったように口元に手を当てた。すぐに答えを返してくれるシェラにしては珍しい。
「その……広さだけでいえば、おそらくこの国の方が広いのですが……実は、ミグルド王国には明確な国境線がないのです。あ、もちろん、南の大河は人間の国とを分ける国境なのですが、他の三方向は曖昧なんです」
「そんなことがあるの?」
アイラディーテ王国の王都は北寄りにあり、直轄地以外は貴族が治めている。明確な境界線があり、土地を巡って争った歴史もあった。国境である大河の手前には大森林が広がっており、そこよりさらに前に高い壁が築かれている。そこから先に出されるのが国外追放であり、未開の土地扱いで実際人は住んでいないと聞いていた。
「アイラディーテと比べると、全体的に土地が豊かではないんです。だから、住める場所が限られていて、町や集落を中心に管理できる範囲を領地にしています。そして、北は雪山、東は谷、西は火山地帯となっているのですが、そこには強い部族が住んでいて度々小競り合いが起きているんです」
「へぇ」
「だから、北、東、西には強い将が領主に着任して、部族の侵攻に備えています。部族も多数ありますから、屈服させれば領地は増えますし、侵攻を受けて領地が減ることもあるんです。ちょうど今は、将軍の一人が北の平定にでているので、順調にいけば領地は増えますね」
「だから屈強な兵士が多いのね。顔つきが違うもの」
第二王子の政務を手伝うため、訓練中の兵士を慰問したことがあった。彼らと比べると、式典で見た兵士たちの鍛え方は雲泥の差だ。もし戦争になれば、あっさり負けてしまうだろう。
そして、いくつか質問するとそれにも的確に答えてくれる。
「興味を持たれたようなので、周辺の町の情報が載った本を集めておきますね。観光案内に役立つ本があったはずですから、それを見て行きたい場所を決めるのもいいですよ」
「ありがとう。本当にシェラは先生みたいね」
「あら、ありがとうございます」
シェラは気恥ずかしそうに笑っていて、そんな顔初めて見たわと思っていたら、声が割って入ってきた。
「シェラは俺の教育係でもあったからな。とても怖い先生だった」
驚いて振り返ればいつの間にか苦い顔をした魔王がいた。
「ゼファル様、そのように女性を無言で見つめるのは無粋ですよ」
「悪かったな。リリアの邪魔はしたくなくて」
魔王が素直だわ……。シェラって実はとても身分が高かったり、すごく頭がよかったりするのかしら。
王族の教育係ができるのはごく一部に限られる。ますます気を引き締めて過ごさないといけないわと思っていると、目が合ったシェラが申し訳なさそうな顔になった。
「あの、リリア様。実はその時のことで、謝らないといけないことがありまして」
「えっと、何かしら」
その目はたまに私に向けてくるもので、警戒しつつも優しい声音で続きを促す。風通しのいい関係を築くためにも、胸の内に抱えていることは出してもらったほうがいい。
シェラは一度魔王に視線を向けると、心苦しそうな表情で核心を切り出した。
「ゼファル様は勤勉とは言えない態度で、勉学はあまり身に入らない方だったんです」
たしかに、そんな感じがするわね。
とは、口にはできないので、相づちを打ちつつ心の中に留めておいた。
「そればかりか、隙あらばリリア様を盗み見ようとするので、今日の課題が終わればリリア様を見ていいと報酬のように使ってしまっていたのです。本当に申し訳ありませんでした」
そう言うと、シェラは深々と頭を下げた。
「勉学よりリリアを見ている方が有意義だからな」
シェラが誠意を込めて謝っているのに、微塵も悪びれない魔王。私は魔王には一瞥もくれずに、身を小さくしているシェラに微笑みかけた。
「気にしないで、シェラの役に立てたなら嬉しいわ。この魔王様に根気強く教えたのでしょう? 私、シェラのことを尊敬するもの」
「リリア様……ありがとうございます」
顔を上げたシェラは嬉しそうで、胸のつかえが取れたのか晴れやかな表情になっていた。
「いいな。俺もリリアに微笑まれたい。尊敬されたい」
二人でにこやかに見つめ合っていたら、面白くなさそうな顔の魔王が割り込んできた。思わず冷ややかな目を向けてしまう。
「残念ながら、持ち合わせておりません」
「え……あ、今から積みあがっていくんだな?」
「ちょっと自信がありませんね」
驚き、自信が顔をよぎり、悲壮な表情と、魔王はコロコロと表情を変えた。その様子にシェラを視線を合わせと、どちらからでもなく小さく笑いだす。やがて魔王が不機嫌そうな顔になった時、遅れてヒュリス様が入ってきた。