168.現状報告
ゼファル様と恋人関係になるにあたっての諸条件を詰め終わった後、ゼファル様は各部隊からの報告を聞きに行き、私が来たことを知って飛び込んできたシェラに髪を切りそろえてもらい湯あみをして休むことになった。シェラは涙を流して私の無事を喜んでくれた。
ゼファル様と再び会ったのは夕食の席で、ヒュリス様、ヴァネッサ様も一緒だ。ゼファル様は障壁の核となっている執務室兼自室から長く離れられないので、先ほどのギャラリーにテーブルを運んでいた。
この場でそれぞれ現状を報告することになっていたのだけど、食事が始まるなり向かいに座るヴァネッサ様が好奇心に彩られた視線を向けてきた。
「それでリリアちゃん、うまくいったの?」
「えっ、あ、はい。なんとか」
私の左に座っている魔王様の手が止まった。不思議に思って顔を向けると、口をゆがめてヴァネッサ様を見ている。
「まさか、知っているのか」
「当たり前。何のためにリリアちゃんをここに連れてきたと思ってんのよ」
「最悪だ」
心底嫌そうに吐き捨て、羊肉のシチューに匙を入れる。私も一口食べ、懐かしい味に頬が緩んだ。慣れ親しんだ香草の香りが食欲を引き出す。ケヴェルンの食糧事情を心配していたけど、湯あみの時にシェラに聞けばもともと壁の中で自給自足が成り立っていたので、食糧不足はまだ起こっていないらしい。避難した住民もいるため、消費量が減ったことも一因だそうだ。
「え、何が?」
一人話についていけないヒュリスに、ヴァネッサ様が耳打ちする。ヒュリス様は目を見開き、ゼファル様、そして私に視線を移すと困惑の表情を浮かべた。
「リリア殿、魔王様は相当危険ですよ? 今からでも考え直したほうがいいのでは……。なんなら、リリア様に会えなかった間の奇行をすべて教えましょうか?」
真剣に私を心配してくれていて、日ごろのゼファル様の行いの悪さが逆に気になってくる。交渉材料として知りたい。
「ぜひお願いします」
「リリアやめてくれ!?」
上ずった叫び声を笑い声が追いかける。今が非常事態だと忘れてしまう雰囲気を、ヴァネッサ様の「さて」という一言が現実に引き戻した。
「今後の対策をとるためにも、互い情報をすり合わせたいのだがいいかしら」
全員頭を仕事モードに切り替え、ヒュリス様がケヴェルンに移った日から今までの流れと、今後の予測を話した。私に軍事の細かい部分は分からないけれど、事前にヴァネッサ様が想定していたことと大きく変わらなかった。
ただ、そこからこちら側の話になったとたん、空気が変わった。
「ローが軍務卿に代替わりの決戦を!?」
「お待ちください。王都から過激派の援軍が一週間前に出たと聞いています。なら、いったい誰が率いているのですか!?」
「えっ!?」
王都からそんな軍が出ていることは知らず、思わずヴァネッサ様に顔を向けてしまった。王都の動向を探っていたヴァネッサ様が知らないはずがない。目が合ったヴァネッサ様は顔色一つ変えず、「あぁ」と事も無げに返す。
「私もそこは掴めていなくて、リリアちゃんをいたずらに不安にさせたくなかったから言わなかったの。ごめんね」
「あ、いえ」
素直に謝られれば、それ以上何も言えない。つまり、ローのその後は分からないということだ。王都を出た軍は3000で、残りは今も王城を制圧しているらしい。王都を出た時の話の流れで、反乱軍の中にあの馬鹿、ルーディッヒがいることも伝えれば、ゼファル様は目を剥いた。
「やっぱりあの時殺しておくべきだったんだ! リリアに迷惑をかけやがって」
「次会っても、この指輪もありますし、絶対出し抜いてみせます」
「その調子だリリア!」
そこからはさらに衝撃を与えるだろうから、さくさくと軽く話した。が。
「アイラディーテに行って、援軍を交渉した!? リリアが? そんなっ、あんな辛い場所に戻ったのか? 捕まるかもしれなかったのに。待って、理解が追いつかない。4万の援軍と食糧が向かっている? 希望の光だ。神だ。これは何としても勝って、リリアの戦の女神にした戦記を書かなくてはいけない。そして絵本にして子供に教え込み、脚本を作って劇場で公演させよう。歌もいる! あぁ、浮かんだ! 題名は黄色いユリの戦女神だ!」
「やめてください!」
まともな反応が転がり落ちるように狂気じみていった。ヒュリス様が「すごいですね」と拍手を送ってくれる。
「いやぁ、思わずシーンが浮かびました。絵も描かせましょう」
「ヒュリス様まで何を言ってるんですか! ねぇ、ヴァネッサ様!」
だめだ。この二人は疲れで正常な判断ができなくなっている。今この場で唯一の常識人、ヴァネッサ様に助けを求めると、ワインを飲み干し不思議そうな顔を返された。
「戦が劇になるのは当然でしょう? 無論、私も勝利を収めた将軍として出してもらうわ」
あれ? 私がおかしいの?
私を置いて劇化の話に花が咲いていた。
うん、デザートがおいしい。
これは止められないとおいしいケーキを食べていたら、話題が先ほどの襲撃へと移っていった。ゼファル様からは、襲撃したのは第二王子ナディスの部隊で、背後にあの馬鹿、ルーディッヒがいる可能性が高いこと、そしてゼファル様を守っていた結界が消えた原因が、第一王子の陣営から放たれた魔法攻撃だったことが報告された。
ルーディッヒの名を聞くと気が重くなり、ゼファル様に剣が迫っていた光景を思い出して肝が冷える。シェラが淹れてくれた紅茶が温かいのが、何よりも救いだ。
「リリア、思いつめなくていい」
いつの間にか減ったカップの中を見つめていて、我に返った私は笑顔を作ってゼファル様に向ける。
「いえ、そんなことは……」
「無理しなくていいから」
カップを置いた私の右手をゼファル様が上から握った。見つめてくる瞳は優しくて、気恥ずかしくなる。前までは平気だったのに、なんだか落ち着かない。
「リリア、話はもう終わりだ。この後、俺の部屋でもう少し話そう。まだ、全然足りないんだ」
魔王様の手が手のひらに滑りこみ、ゆっくりと引かれ手の甲に口づけをされた。
「いいだろ?」
ちろりと上目遣いで見つめられ、叫ぼうにも声が出なかった。恥ずかしさと嬉しさがごちゃまぜになった未知の感情。
なんなの! ゼファル様のくせに、ゼファル様のくせに!
たまに意識から消えるけれど、ゼファル様は顔がいい。私は真っ赤になってうなずくしかできなくて、遅れて向かいから刺さる視線に気づき俯く。二人の方を見られない。
「ちょっと岩塩持って来てくれない? ゼファルにぶつけたい」
「それは当たり所が悪ければ死ぬので、素手でお願いします」
「素手でも当たり所が悪かったら死ぬぞ! ここにいては殺される。リリア行こう!」
そう言うなりゼファル様は立ち上がり、私を引っ張る。
「ではな、よい夜を」
「えっ、え? おやすみなさい?」
ゼファル様はいい笑顔で私を連れて部屋から出ていった。