161.ミグルドへ
アイラディーテへの援軍が決定されてから3日後、私とヴァネッサ様は行商に扮した軍用馬車でケヴェルンへと向かっていた。前に二人、行商人に扮した兵士が馬を走らせていて、荷馬車部分の幌は四方を布で覆い、外からは中が見えないようになっている。幌の中は前後に分かれ、前部分に私たちが座り、後ろは実際に荷物が入れられ夜はそこで眠れるようになっていた。
検問があっても私たちが座っているところは隠れ見えないようになっている。その分座席は狭く、ヴァネッサ様と並んで座らなくてはいけないが横に広いので十分なほどだ。元が軍用とあって、機能性が優れており振動をほとんど感じない。ヴァネッサ様が難なく本を読めるほどで、酔わないんだと感心してしまった。
やっとケヴェルンへ迎えるわ……
アイラディーテにいた一週間は長く感じられた。魔鳥が毎日情報を持って来て、まだ開戦されていないと知っていても実際に見ているわけではないから気は急く。その情報を受け取った瞬間に、戦いが始まっていないとは言い切れないからだ。
幌にある細い隙間から見える景色は穀倉地帯で、作業をしている人たちが遠くに見える。馬車の周りを追走して護衛してくれているのは10名の兵士。後続の馬車にはアイラディーテの使者に加え、軍と内政から二名ずつ要人が乗っている。その後ろに軍の姿はない。
援軍が決まった後、どのように行軍するかという話の中で極力人の目につかないようにすることになったのだ。正面から人間の軍隊が入ってこれば侵攻と取られ、いらぬ戦闘を招きかねない。また、敵に知られれば先手を打たれる可能性もある。
切り札は最後の最後まで伏せておくべきというのが、ヴァネッサ様をはじめとした軍関係者の意見だった。そのため、私たちは援軍を伝える使者として先行し、援軍は二手に分かれ騎馬隊は東の山岳地帯から、歩兵は西の森を通ってケヴェルンを目指すことになったのだ。このあたりのことを決めるのにも一日かかっており、長い会議を思い出して思わず顔が曇る。しかも私がいても何か意見が言えるわけでもないから、私が参加したのはその一日だけで、あとはヴァネッサ様に任せていた。
間に合って……いえ、間に合わせるのよ
平坦な道ではないため、平野を進めばアイラディーテからケヴェルンまで5日のところが、1週間以上かかることになる。開戦まであと2週間と見ているから、間に合いはするけれど早まる可能性もあるから気が気ではなかった。
正直この差は痛いけれど、敵に見つかって到着前につぶされては元も子もない。何より、援軍の被害が大きくなればその後のアイラディーテとの関係も良好とはいかなくなる。
私たちがケヴェルンに入ったらまずは……
頭の中でヴァネッサ様たちと練った計画を繰り返す。失敗は許されないから、昨日から何度も段取りを確認していた。
「リリアちゃん」
次に、ケヴェルンの城につながる抜け道を使って……
「リリアちゃん!」
「え? あっ、はい!」
集中しててヴァネッサ様に呼ばれていたことに気付くのが遅くなり、慌てて返事をすれば呆れ顔を向けられた。
「まだアイラディーテを出て半日も経ってないわよ? 今からそんな思いつめた顔をしていたら身が持たないわ」
「え、そんなひどい顔してました?」
「百面相もいいところよ。まるで初陣の兵……って、初陣だから間違ってないか」
初陣。その言葉が重く鉛のように胸に沈んだ。今から行くのは戦場になるところ。そこに私は4万の人間の兵士を連れていく。そう思えば自分の行動に伴う責任の重さに吐きそうになった。
「リリアちゃん」
ヴァネッサ様の鋭い声が聞こえたと思うと、彼女の手が近づいてきて額を小突かれた。
「ひゃあっ!?」
痛くはなかったけど、不意を突かれたから情けない声が出た。
「どうかされましたか!?」
外にも聞こえたようで、何事かと並走している兵士の一人が声をかけてきた。恥ずかしさに顔を赤くして身を小さくする。
「なんでもないです!」
その様子をヴァネッサ様は大口を開けて笑って見ていた。兵士も問題ないと判断したようで、馬が離れていく。
「ひどいですよ」
「あまりにもリリアちゃんが固くなっているから、力を抜いてあげようと思ってね」
「それは、ありがたいですけど……」
それでも他にやりようがあったんじゃないかと思う。抗議の視線を送っていると、宙に浮いていたヴァネッサ様の手がまた近づいてきて、頭をなでられた。優しい触り方で、安心する。
「リリアちゃんは、自分の気持ちに正直でいればいいのよ。ほかのことは気にしないで。援軍のことは私たちに任せて、ゼファルのことだけを考えていて」
「でも……」
援軍を頼むと決めたのは自分なのだから、甘えたことは言ってられない。
「でもも、だってもないの」
その口調は厳しくて、将軍としての顔に口をつぐむ。
「ここから先は、将軍である私の領分よ。リリアちゃんのような非戦闘員に重荷を背負わせるのは矜持が許さない。それに、勝てるとは限らないのよ? 自分が大切なものを第一に考えてちょうだい」
真剣に私のことを考えてくれていることがわかるから、私は素直にうなずく。きっと何も考えないことも、何かあったときに自責の念に駆られないことも無理だとは思うけれど、考えすぎないようにはしよう。
「わかりました。ありがとうございます」
そう答えたら、ヴァネッサ様はいたずらっぽい笑顔を浮かべた。
「それに、リリアちゃんには今回の作戦の全貌は教えてないから、悩むだけ無駄。リリアちゃんの役割は、ゼファルを救うことなんだから」
茶目っ気のある話し方が軽く思わせるけれど、事態も役割も重いものだ。また考え込みそうになったところで、先ほどのヴァネッサ様の言葉を思い出してとどまる。しっかり顔を上げてヴァネッサ様の目を見ると、お腹に力を入れる。
「はい! 頑張ります!」
「う~ん、わかってないわね。まあそれがリリアちゃんのいいところか」
なんだかまた呆れられたけれど、ヴァネッサ様は「仕方ないわね」とつぶやく。そして、私の気を和ませようとしてくれているのか、話題はとりとめのないものへと移っていった。
道中休憩を取り、夜は後ろで眠る。アイラディーテの国境を抜け、ミグルドに入ってからはケヴェルンに行こうとしている何も知らない農民を装って道を進んだ。幸い新たな検問所が作られていることもなく、人目のつかない道を選んでケヴェルンへと急いだ。
その間、開戦の報はなかった。
順調に進め、ケヴェルンが見えてきたのはアイラディーテを出て5日目。同時にケヴェルンの北に広がる平原に軍隊の黒い影も見えてきた。
とうとう、来たわ。ゼファル様。
反乱から19日が経った。まだ戦いは始まっていない。私は自分を奮い立たせて、ケヴェルンの城壁の向こうに見える城に目を向けたのだった。