160.我儘
私一人が我慢すればうまくいくなら、昔の私だったら条件を飲んでいた。ただ頷いて、俯いて、時が過ぎるのを待っていた。
でも、今の私は自分の心の声に耳を傾けられる。ゼファル様が私の本音を引き出して、受け止めてくれたから。私は自分の気持ちを正直に口に出せるようになった。そう思えばなんだかくすぐったくて口の端が上がってしまう。
王は私が断ると思っていなかったのか、虚を突かれた表情からすぐに怪訝そうな顔になった。
「断る? となれば、援軍はなくてもよいと?」
低く、考え直しを迫る口調。脅しとも取れる言葉は、援軍を頼みにアイラディーテへ行こうと決めた直後の私なら揺らいでいた。援軍は喉から手が出るほどほしい。
だけど、自分の心に嘘はつけない。
ここに来るまでの道のりで、何度も私がアイラディーテに残る可能性を考えた。その度に、刺さった棘が拒絶感を主張したのだ。
「はい。私はミグルドを、魔王様を助けるためにここに来ました。ですが、それはあくまで私がミグルドで生きることが前提です」
王と宰相は困惑した表情を浮かべ、王妃様は目を細め厳しい顔つきになった。三人からの圧は強く、身を固くする。弱い心が後悔の渦に呑まれそうになるのを、大丈夫、大丈夫と自分に言い聞かせて踏ん張った。
そこに、王妃様の透き通った芯のある声が響く。
「援軍が得られない場合、貴女はどうするつもり?」
「一刻も早く、魔王様のいるケヴェルンに向かい、共に戦います」
「死にに行くようなものよ。それなら、魔王のためにもここで両国の友好の礎となるべきではない?」
王妃様の口調は決して強くない。なのに声質のせいか、圧倒的な説得力がある。それでも屈せずにすんでいるのは、すでに自分の中に譲れないものがあるから。
「理性的に、現実的に考えればそうなのでしょう」
自分一人で大切な人たちと10万の人々が助かるなら安いものだ。
「ですからこれは、我儘なのです」
本心に目を向ければ、心に刺さっていた棘が消えてなくなる。
「私はできた人間ではありません。私が我慢して魔王様たちが生き残るより、最後の時まで一緒にいたいと思います」
拒絶感が行くつく先はそこだった。単純明快。ゼファル様に会えなくなるなら、一緒に死にたい。ヴァネッサ様にそう言った時、眉間に皺を寄せた彼女から死を軽く見るなと苦言をもらった。その直前には後悔して考えが変わるのかもしれない。
ただ、そう思ってしまったのだ。
「ですので、もし交渉が決裂した場合は、すぐさまここを立ちます。止められても、閉じ込められても、必ず」
譲れないだけに、口調は固く、言葉は重くなる。沈黙が流れた。空気が止まったのを再び動かしたのは王妃様で、落とすように静かに問われた。
「それほど、ここは嫌なところだったの?」
私は一瞬虚を突かれ、正直に首を横に振った。
「いえ、嫌いではありません。確かにいい思い出は少ないですが、生母と暮らした日々はかけがえないものでした。ですが、今の私にはミグルドに大切なものがたくさんできたのです。だから、ミグルドで生きていきます」
私を支えてくれている芯は、ゼファル様やみんなが作ってくれたもの。今だって、ゼファル様やアーヤ、シェラたちの顔が浮かんで辛くなってくる。
「そう……魔王は、それほどの人なのね。あなたの覚悟、よくわかりました」
王妃様は顔を王と最初に向けると一つ頷いた。王は低く唸ると、鋭い視線を私に向ける。
「ここに交渉の余地はないな。それに、リリア殿が条件を飲んで残っても、また魔王に連れ去られてはそれこそ戦争になる。わが国としても本意ではない。……致し方ない、リリア殿を条件から外し援軍を出せるよう調整を進めることにする」
その決定に、宰相は頭を下げる。私はほっとしたのを悟られないように、表情を引き締めた。光が見え始めてきたが、油断してはいけない。
王は力強い眼差しを向けたまま、口角を上げる。こちらの要求が通ったはずなのに、わずかでも勝ったような気になれなかった。
「リリア殿の覚悟は分かった。そして王を前にして怯まず交渉できる度胸もある。婚約者の間にその才能を見いだせなかったことが惜しいな。明日よりその弁舌を大臣、貴族たちの前で振るうといい」
「は、え……えぇ?」
はいと答えそうになって、寸前で留まる。声が上ずった。
「あの、それは会議に出ろとおっしゃるのですか?」
「時間がないのだろう? 当事者が訴えかけるのが一番早い」
それは一理あるし、待っているだけというのは、思考だけが空回りして落ち着かない。
婚約者時代に頭に叩き込まれた有力貴族たちの顔が、一気に浮かんで気が遠くなる。一癖も二癖もある人たちばかりだ。
「……分かりました。尽力いたします」
頭を下げ、了承したところで謁見は終了となった。そして、王の言葉通り、翌日からヴァネッサ様と共にミグルドの使者として会議で、会食で、または個別に有力者たちに援軍の必要性を説いた。朝から晩まで人と会い、時折尋ねてくる両親は事情を理解してくれた王宮の兵士や侍女たちが門前払いをしてくれた。
多忙な一日を繰り返し、アイラディーテに来てから五日が経った朝。ようやくケヴェルンに向けた援軍、4万の決定が下された。




