158.アイラディーテの朝
翌朝。ヴァネッサ様と朝食を食べていると、魔鳥が飛び込んで来た。昨晩は危うく物見の兵士に撃ち落されそうになるという事件が起こったけれど、情報を共有することを条件に許可が下りたのだ。
朝食を取っている小部屋には絵画が飾られ、私たちが食事をしている丸テーブルも凝った装飾が施されている。ヴァネッサ様にはそれらが新鮮に映るようで、部屋に入ったときにあれこれ私や侍女に聞いていた。
そのヴァネッサ様は魔鳥の足から報告書を抜き取ると、細長い紙に目を通す。さっきまでスパイスが足りない不満を表していた渋い顔がさらにしかめられた。不吉なものを感じて顔が強張る。
何が……まさか。
もう侵攻が始まったのかと胸が騒めくが、怖くて何も聞けない。ヴァネッサ様は紙をアイラディーテの近衛兵に渡すと、私に顔を向けた。
「リリアちゃん。ケヴェルンに行くタイミングはよく見極めたほうがよさそうよ」
「えっ、どういう意味ですか?」
よい知らせではなかったことは確実だ。私は息を飲んでその続きを待つ。
「ケヴェルンでも王宮でも反乱軍側のスパイが見つかったって。まあ、当然潜んでいるわ。ゼファルがリリアちゃんをケヴェルンに連れて行かなかった理由の一つね」
「スパイ……」
戦いではいかに相手の情報を掴むかが勝敗を分けるといっても過言ではない。アイラディーテにもミグルドにも諜報活動を行う部署があると聞くぐらい重要な役割だ。だが逆に、身近に潜みこまれているということは、命の危機があるということ。
「ゼファル様は大丈夫なんですか!?」
もしかして暗殺未遂でも起こったのかと身を乗り出せば、肘をテーブルに打ち付けてしまった。痛みに肘を抑える私の頭を、向かいに座るヴァネッサ様が撫でてくれる。
「心配ないわ。いざとなればあいつは自分の身は守れる。だけど、リリアちゃんはそうもいかないでしょ?」
戦時中、危険なのは戦場だけではない。暗殺、毒殺に始まり、誘拐、監禁と少し歴史を思い浮かべただけでも例には困らない。武術の心得がない私は、黙って頷く。幸い守りの小部屋という奥の手はあるけれど、常時発動させるわけにもいかないし、万能でもない。
「さすがに予言に関係しているリリアちゃんを害そうとはしないだろうけど、危険を招く必要はないもの。ケヴェルンに入るのは開戦の直前が理想ね」
なんで? 一刻も早くケヴェルンに行きたいのに。
その気持ちが顔に出たのだろう。ヴァネッサ様はクスリと笑って、もう一度優しく私の頭を撫でると手を引いた。
「リリアちゃんの気持ちは嬉しいけれど、今ゼファルたちは城にリリアちゃんがいないことで反乱軍に対して優位に立てているの。あいつのことだから、地下室にでもリリアちゃんを閉じ込めているように装ってスパイをおびき寄せているんじゃないかしら。そんな状況で本人がいれば、守るための労力が何十倍にもなるわ」
ヴァネッサ様は少ない情報でもケヴェルンの状況が目に浮かんでいるように的確に分析していく。
「そう、ですね……」
「そう浮かない顔をしてないで、しっかり食べなさい。ケヴェルンには必ず行くのだから、強行軍に耐えられるよう体力をつけて」
「はい!」
そう促され、刺されたまま忘れられていたお肉を口に入れる。すっかり冷めて固くなってしまった。アイラディーテに多い甘酸っぱいソースが口に広がるが、私もスパイスが恋しくなってしまう。
「それに交渉は始まったばかりなんだから、思いつめていたら心労で倒れてしまうわ。そうだ。せっかくアイラディーテの王城に来たのだから、案内してもらいましょうか。問題がないなら、訓練に混ぜてもらってもいいわね」
「それは……いいかもしれませんね」
一瞬間が空いたのは、ヴァネッサ様が城の兵士を叩きのめす絵が浮かんだからだが、ミグルドとの戦力差を突きつけるにはいいかもしれないと思い直す。朝食が終わったら外に出られないか聞いてみよう。
スープを飲み、肉を喉の奥に流し込んでからパンをちぎる。どれも一級品のはずなのに、おいしさを感じないのはそんな余裕がないからだろう。
いつ、援軍の返事がもらえるかしら……。
今朝起きてからはそればかりが頭の中をぐるぐる巡っている。昨日今日で結論が出る話ではないことは重々承知だ。だけど、気が急いてしかたがない。何より、待つしかできないことが辛かった。
「私も、もっとできることがないか考えてみます」
そして、朝食後は許された範囲を散歩し、ヴァネッサ様にアイラディーテの文化や建築様式について話した。ヴァネッサ様はその後、軍務卿に呼ばれていった。私の方には文官が二人やってきて、ミグルド王国のことを聞かれた。貴重な情報源なので、この機会に記録を残そうということらしい。
何を話すにも、ゼファル様や知り合いの顔が浮かんで、何度も言葉を詰まらせてしまった。この聞き取りから解放されたのが昼過ぎで、一休みをした私のところに両陛下から呼ばれていると知らせが来たのは、日が落ちたころだった。