152.謁見に臨む
天馬で翔けること四日。上空から見たアイラディーテの王都は、自分でも驚くほど懐かしさを感じなかった。ここに住んでいたことがずいぶん昔のような、全く別の場所になったような思いを抱いた。中央に聳える王城は守護障壁で包まれていて、そこに残る思い出もあって王都は冷たい色をしている。
昨日来た魔鳥の知らせで、ゼファル様はケヴェルンに王都と同じ守護障壁を展開して防御を固めたと聞いた。戦いの準備をしているのだ。私も頑張らないといけない。
「リリアちゃん、さすがにこのまま王宮に突っ込むと捕縛されかねないから、術を解いて城壁の門番に取り次いでもらおうか」
「……はい」
口の中は渇き、返事をした声はかすれている。緊張しているのが丸わかりで、後ろにいるヴァネッサ様に頭を撫でられた。
「大丈夫。うまくいく」
「はい、必ず」
私は深呼吸をし、術を解いた。それと同時に天馬はゆっくり高度を下げていき、城壁と十分な距離を取って着地する。すでに門兵は私たちに気付いており、騒がしくなっていた。
近づけば当然槍を持った兵士たちに囲まれ、通行証の提示を求められたがそんなもの持っているはずもない。さらにヴァネッサ様が魔族だと気づくや否や、上を下への大騒ぎになり城壁近くの屯所で留め置かれた。ミグルドからの使者ということは伝えたのだけど、そのまま一日が過ぎ、私の身元の確認が済み、王への謁見が許されたのは昼が過ぎてからだった。
「遅すぎる。非常時の対応が遅いのは命取りだ」
馬車の向かいに座るヴァネッサ様は、退屈そうに頬杖を突いていた。馬車の窓にはカーテンがかかり、私たちを外から見えないようにしているのだ。見えずとも聞こえてくる喧騒には、さすがに懐かしさを覚えた。町や食べ物の匂いは、そう簡単に忘れられるものではない。だけど、それらは私の心を温めることはなく、不安と陰鬱な気持ちが胸の奥に巣くっていた。
私の身元照会が済んだってことは、デグーリュ家の人たちが知ったってことよね……。
できれば顔も見たくないが、今日明日で帰れるとは思えないためどこかで顔を合わす可能性はある。馬車に揺られていれば、嫌でも緊張感が高まってきた。ヴァネッサ様はそんな私の緊張をほぐそうと話題を出してくえるが、どれも長く続かなかった。
沈黙の中、車輪の音だけが響き、やがて止まる。下ろされたところは、人目の付かない場所で、完全武装の近衛兵たちに囲まれ無言のまま案内される。空気が張り詰めているのは向こうも同じで、深くかぶった兜の下から視線が向けられているのを感じた。二人とも拘束されないところを見ると、一応使者として扱ってもらえるのだろう。
とうとうここまで来たわ……。がんばらないと。やるのよ私!
城内に入る前に気合を入れ、自分を奮い立たせる。
ゼファル様たちも戦っている。だから、私もここで戦うんだ!
勇む心で近衛兵の後に続いて進むのは、謁見の間へと続く広い廊下。人気は無く、静寂の中靴音と鎧が擦れる音だけが響く。城に入ってから隣を歩くヴァネッサ様は一言も発さず、それがさらに緊張感を高めた。ずっと臨戦態勢なのだ。
廊下は白を基調としているが、床のタイルにも壁にも、天井にも細かな絵が描かれている。ドーム型の高い天井からつり下がるシャンデリアが煌びやかな光を返していて、圧倒される。だけど、その華やかさとは裏腹に、ここと結びついている感情は憂鬱なものだった。
ここを歩くたびに自分がみすぼらしく思えたっけ……
始めた歩いたのは、第二王子との婚約が決まり、父親と挨拶に伺った時だ。屋敷では着ることなんか許されない上等なドレスの重さに足を取らせそうになったのを覚えている。場違いな感じはしていたけど、婚約が何かを変えてくれるんじゃないかと淡い期待も抱いていた。
今思えばそんな期待持つだけ無駄なのに
あの時の絶望は今でも色濃く覚えている。始めて見る王の表情は渋く、第二王子からは侮蔑がありありと伝わってきた。読み上げられた婚約条件に書かれた私は置物で、わずかでも期待した自分が惨めで、心がきしんだ。その時の痛みを思い出して、視線が下がる。
その痛みが、思い出の中に潜む他の痛みも引きずり出していく。形だけの婚約者として同行した政務では空気のように扱われ、義務から参加した茶会や夜会では陰口を叩かれた。家にも城にも味方はいなくて、居場所もなかった。
気が重くなり、奮い立たせていた気持ちが奪われていく。
あぁ……どうしよう。
しかも、謁見の間に続く大きな扉が見え、心臓は早鐘を打つ。
怖い。この交渉が、ゼファル様の、ミグルドの運命を決めるかもしれない。そんなこと、本当に私にできるの?
急激に不安が胸の内を埋め尽くす。手先が冷たく、口の中が渇く。足取りが重くなった。
「リリアちゃん」
その時、力強い声と共に背中に手が当てられた。突然のことに肩が跳ね、ついで首を横に向ける。ヴァネッサ様はいつも通り不敵な笑みを浮かべていて、心が軽くなった。
「力を抜いて。何かあっても私がついている。リリアちゃんの心に正直に動けばいいわ」
軽く背中を叩かれ、優しい激励をもらう。笑顔につられて私も微笑めば、なんだかうまくいくような気がしてくる。
そうね……。私は、私にできることを精一杯するだけ。
近衛兵が立ち止まった。謁見の間は目の前で、私たちの到着が告げられる。
いよいよだ。
深く息を吸い込み、胸に手を当てる。鼓動は相変わらず早い。掌には汗が滲んでいる。
それでも、やりきるんだと前を見据え、開けられたドアの向こうへと視線を向けた。




