141.私が選ぶ道
触れられないと分かっていて伸ばされた、黒手袋がはまった手。
「ロウ……」
視線が交差する。
その手は、私の行く道を大きく二つに分けている。
「逃げるって、どこへ?」
「人がいないところだ。ずっとその空間に閉じこもっているわけにもいかないだろう。少なくとも、反乱の決着がつくまでは身を潜めるしかない」
反乱の決着。それはつまり、ゼファル様が勝つか……。
最悪の結果を想像しただけで身震いがし、涙が滲む。安全を考えれば、そういう選択肢もあるのだろう。だけど、瞬間的に沸き起こった感情に背けない。
「嫌……」
上ずった声で否定の言葉を口にすれば、ロウの眉間に皺が寄り手が下ろされる。
「何?」
口にすれば、さらにはっきりと自分の気持ちが分かってしまった。何が、嫌なのか。私は何をしたいのか。すでに答えは決まっている。
まっすぐ、ロウの視線を受け止めた。
「私、ケヴェルンへ行くわ」
「馬鹿か!? 捕まえてくれと言ってるようなものだぞ! 今回ばかりは魔王様だって命の保証はない」
「でも!」
語気を強めて反対するロウに、負けないぐらい声を張る。涙が零れ、声が震えた。
ロウが口にしたのは最悪の結末だ。だけど、もっと辛いことがある。
「魔王様の側にいたいの。知らないところで死んでほしくない!」
今まで当たり前のように近くにいた人が、あれで今生の別れになるなんて耐えられない。
「その魔王様に置いていかれたんだろ! リリアを戦乱に巻き込みたくないという魔王様の意思が分からないのか!」
こんな時でも、ロウは正論で一番痛いところを突いてくる。引けない私は、涙をこらえて睨んだ。
「知らないわよ! 勝手に置いていったんじゃない! じゃあ私だって、勝手に追いかけるわ!」
私の勢いに飲まれたのか、ロウが何かを見定めるような目をして押し黙った。
「隠れて、黙って見ていることなんかできないもの!」
大声を出した私は肩で息をしていて、袖で涙をぬぐう。
「……それが、リリアの衝動なんだな」
その言葉の意味がすぐには分からなくて、怪訝な顔になってしまう。説明を求めるよりも前に、ロウの忍び笑いが聞こえだし、やがて耐えられなくなったのか声を上げて笑い出した。突然の奇行に、涙が引っ込む。
ロウはピタリと笑い声をやめ、大きく息を吐きだすと苦々しく笑った。
「最高で、最悪だ」
ますます意味が分からないけど、口を挟めるような空気ではない。目を白黒させている私に、彼は鋭い視線をよこした。
「恋は衝動。リリアがその衝動を理解したのは喜ばしいことだ。その対象が、私ではないのが腹立たしいがな」
「えっ」
「魔王様を選ぶのだろう?」
追い詰められ、苦し紛れに掴み取った、恋の甘さなど微塵もない衝動。まだ自分でも扱いきれていないのに、早々にロウに見透かされたのが面白くない。
「……そう、なるわね」
面白くないが、それを申し訳なさがじわじわと侵食しだして目を伏せる。こういう時にどう言えばいいのかなんて、考えたこともない。流れる沈黙が痛くて、去ったほうがいいのではと思い始めた時、ロウが「分かった」と小さく呟いた。
「ならば、ケヴェルンへ行こう」
「え……いいの?」
「分かった」からの流れにしては唐突で、あんなに反対したのにと拍子抜けする。
「一人でも行くのだろ? 私の目が届かないところで死なれたら寝覚めが悪い」
「けど、そこまで甘えるには……」
ロウがいれば戦力としては心強いけれど、振ったばかりなので気まずさもある。しかも本人は家に反すると言ったが、彼の立場を考えるとこちらに引き込むのは躊躇してしまった。
だが、ロウは鼻で笑うと、不快そうに顔を歪める。
「気にするな。王兄二人のやり方には賛同しかねるからな。リリアは別にしても、王都の過激派につくつもりはない」
「そう……でも」
「それに、私が諦めるとでも?」
そう言って不敵な笑みを浮かべるロウがいつも通り過ぎて、いつの間にか入っていた肩の力が抜けるのを感じた。
「魔王様はどうなるか分からんからな。傍で私の有能さを売り込むのも悪くない。リリアは押せばいけそうだ」
分かりやすく煽られ、ムッとする。そのいつもの腹立たしさが、申し訳なさを吹き飛ばした。
「失礼ね! 私はそう簡単には靡かないわよ!? ゼファル様にだって靡いたわけじゃないからね!」
「ほお。それだけ元気があれば大丈夫だろう。移動は馬だ。お前の術を私と馬にもかけられるか?」
ロウは指輪の効果で、私と一緒に守りの小部屋の中に入ることができる。確かに二人とも姿を消せば、移動ははるかに楽だろう。この術はゼファル様がかけたものだから、解いてももう一度使う魔力は残っている。
「できるわ」
「ならばすぐ立つぞ」
ゼファル様にはこの守りの小部屋から出るなと言われた。それは、終わるまでじっと待っていろということだ。私だけ、安全なところで一人。
ふざけんじゃないわよ
私は怒りに突き動かされるように、一歩を踏み出した。