134.先生に相談
シェラは私にとって侍女であり、先生。こちらに来たばかりの私に、国や文化について丁寧に教えてくれた。それも、私に必要な分を覚えられるだけ、適切な時に教えてくれた。きっと、魔王様の教育係を務めていたぐらいだから、見極める目があるんだろう。
相手が求めるものと、必要なものを考えて動くシェラは、私の側でゼファル様とロウとのやり取りを見守ってくれているけれど、今まで口出しも助言もほとんどなかった。悩む私に、「リリア様のお心のままに」と言うだけだ。徹底して私の意思を尊重してくれる。
だけど、今は話を聞いて助言が欲しかった。人生の先輩である、先生としての言葉を。
「ねえ、シェラ。少し話せるかしら」
湯あみ後の髪と肌の手入れが終わり、シェラの仕事がひと段落したところでそう切り出してみた。
「はい、何でしょう」
私は丸テーブルの向かいにある椅子を手の先で示し、座るように促した。それだけで、話が長くなると察したのだろう。「では、先にハーブティーを淹れてきますね」と準備をしに行った。
そして戻って来たシェラは軽いお菓子も用意してくれて、至れり尽くせりだ。その上頭も借りようとしているのだから、申し訳なってくるけどここは潔く話し出すことにした。
心が休まる香りのハーブティーを飲み、唇と喉を潤してから向かいに座るシェラに顔を向ける。
「あのね、ゼファル様とロウのことなんだけど」
「はい、何なりとお話しください」
世間話をする時と同じ、包み込むような優しい笑み。構えずに聞いてくれることが嬉しくて、私はケーキ屋で聞いた話をするのだった。
「つまり、リリア様は魔王様を意識していると感じられたと?」
話し出すと恥ずかしくなって、ぼやかしたり遠回しな表現になったのだけど、シェラは的確に読み取ってくれた。はっきり口にされると、さらに頬が熱くなる。なんだか落ち着かなくてハーブティーを飲み、カップの淵を指でなぞる。
「たぶん。それで、恋は衝動だとも聞いて、まだ分からないけど、なんだか自分じゃ無くなるようで怖くて」
衝動という強い言葉は、冷静になって考えてみれば今まで見てきた恋に生きる人たちに当てはまるものだった。
「そうですね。古くからある言葉ですが、本質をよく表していると思います。魔王様はリリア様を攫ってきましたし、ロウ様は結婚を申し込まれましたからね」
「さすがに、そこまでの衝動は私には起こらないと思うけれど……」
ロウも十分衝動的な部分があるけれど、ゼファル様の比ではない。
「こればかりは分かりませんよ? 普段大人しい方でも、恋に落ちれば変わってしまうものです」
ふふふと含みのある笑いをしたシェラが珍しくて、私は目を瞬かせた。
「もしかして、シェラにもそういう経験があるの?」
今の言い方は身近でそういう例を知っているような感じだ。シェラは未婚だと聞いていたが、恋多き女性だったのかもしれない。シェラは美人だし、教養も高いからモテたにちがいない。
「若い頃は、ですよ。お断りしすぎて、独り身になってしまいましたが」
「お断り……なら、シェラは上手にお断りができるの?」
口にした瞬間、ドキリと心臓が鳴って胸に苦いものが広がる。それは痛みだった。私の表情が陰ったことに気付いたシェラは、「どうしてですか?」と優しい声で続きを促してくれる。
「その……すごく傲慢で、何様なんだってのは、わかってるんだけど」
それは女の子たちの話を聞いて具体的になったことで、考えついた未来。
「もし、仮に……仮によ? どちらかとお付き合い、するにしても、独り身を選ぶにしても……誰かを断らないといけないでしょ?」
「そうですね……さすがに、複数人とのお付き合いや結婚はおすすめしません」
私はカップに視線を落とす。残っているお茶はほとんどなくて、静かにカップを置いた。
「……怖いなって、思ったの」
それはさっき口にした、衝動という未知なものに対する恐怖ではない。
「おこがましいけれど、私の選択が、誰かの一生に影響するかもしれないって」
どちらかを選んでも、選ばなくても、誰かは悲しませてしまう。そのことで罪悪感に似た痛みを感じ、大きな責任が恐怖となる。
シェラからの返事はない。不安に思って顔をあげると、彼女は頬に手をあてて思案していた。視線はじっと私に注がれていて、そこに呆れや怒りといった負の感情がないことにほっとする。
「リリア様は、優しすぎるんですよ」
「えっ」
ふわりと私を安心させるように微笑んだシェラは、私のカップにお茶を注いでくれる。
「勝手に攫ったり結婚を申し込んだりと、リリア様を思い悩ませているのは二人ですよ? その二人がどうなろうが、リリア様には関係ありません。知ったこっちゃないってやつです」
思いのほかシェラの声は力強く、私は勢いに飲まれて頷く。
「この際だから言いますが、私はリリア様に心穏やかに幸せになってほしいんです。あの二人の側では気苦労が絶えません。リリア様にその気があるなら、もっといい殿方を紹介しますよ」
「あ、えっと……今は遠慮しとくわ」
ここでシェラの紹介を受けたら、あの二人が、特にゼファル様がどんな行動に出るのか分かったものではない。乏しい想像力を使っても、あの二人が諦める姿が思い浮かばない。
「いつでも言ってくださいね。それに、私がリリア様の代わりにお断りを入れてもいいですし、しつこいようでしたらヴァネッサ様に頼みますので」
シェラとヴァネッサ様という最強の二人が私の前に立ちはだかってくれているところを想像すると、面白くて笑いが零れた。
「そうね。私の手に負えなくなったら頼もうかしら」
「もちろんです。それに、私としてはリリア様が殿方を意識されて、断った時まで考えられていること嬉しくなります。恋愛を楽しんでくださいね」
向けられているのは見守ってくれているいつもの目で、私は気恥ずかしくなって淹れてもらったお茶を口に運ぶ。
「楽しむ余裕は、まだないのだけどね」
「今しかできないことを全力で楽しんでください。私はそばで支えておりますから」
「ありがと、シェラ」
そして話題は最近流行の服へと変わり、おしゃべりを楽しんでいると突然羽ばたきの音がしたと思えば競うように二羽の魔鳥が飛び込んで来た。言わずもがなゼファル様とロウのものであり、机の上に下りてからも二羽は威嚇しあい、早く手紙を読めと急かす。
二人は今軍事演習が行われる平原に行っているはずで、何かあったのかと不安になる。開いて目を通せば内容は似たもので。
「ゼファル様とロウが一度王都に戻るみたい……三日後に会おうって」
「あら、直接対決でもあったんですかね」
シェラはなんだか楽しそうに、口元に手を当ててクスクスと笑っている。
「考えたくないわね……」
仕事に私情はたぶん挟まないだろうけど、完全に抑えられているとも思えない。
「ちょっと会いたくないわ……」
次に会った時に何を言われるかと考えると気が重くなる。私は胸に溜まったものを溜息で吐き出し、甘いクッキーを頬張るのだった。




