129.姫将軍とのお話
仕事が忙しい。忙しさ自体は、伯爵家にいた時もそうだったのだけど、今は仕事の内容が全く違う。雑用だった頃は手だけ動かせばよかった。それが、今は各部署との調整に走り回り、頭を捻らなくてはいけない。
建国祭まで二か月を切り、地方軍との軍事演習が迫っているため、どこも目が回る忙しさだ。そのため、仕事が終わって部屋に戻ればソファーに倒れ込むという日が続いていた。
「リリア様、お疲れのところ申し訳ありませんが、手紙が3通届いております」
部屋に戻れば届いた手紙を確認するのが最近の流れになっている。ほとんどが魔王からの手紙なのだけど、ロウも苦情を入れてからはこっちに鳥で届けさせるようになっていた。
「読むわ……」
ソファーから体を起こし、疲れている頭をミントティーで覚まさせる。シェラはローテーブルに一通ずつ置いていった。
「ロウ様、魔王様、ヴァネッサ様です」
「え、ヴァネッサ様?」
最後に置かれたシンプルな封筒に手を伸ばす。彼女から手紙が来るなんて初めてで、内容が気になった。封筒に書かれた文字は豪快で彼女の性格をよく表している。
丁寧に開き、さっそく目を通した。
「……お茶に誘われたわ。すごく丁寧に」
手紙は季節の挨拶とこちらを気遣う文面から始まっていて、いつもの言動との差に失礼だけど驚いてしまった。詳しい内容は、これから忙しくなるのでその前に会って話をしたいというもので、すぐに返事を書く。断る理由がない。
残る二人からの手紙は似たような内容で、しばらく会えそうにないというものだった。合同訓練の準備をするため遠方に出るらしく、魔王は数日、ロウは1か月程度不在となるそうだ。この2人には体に気を付けてくださいと返事を書いた。
ヴァネッサ様とのお茶会は週末で、それを楽しみに激務を乗り切ろうと決めたのである。
そして週末となり、シェラに案内されたお茶会の場所は温室だった。いつも散歩している庭園とは別の庭園で初めて入った。シェラによると昔ヴァネッサ様が過ごされていた部屋が近いそうで、前王の頃はこの辺りが中心だったらしい。
温室に入れば軍服に身を包んだヴァネッサ様がいて、私は丁寧に挨拶をする。
「本日はお招きに預かり大変嬉しく」
「大層な礼はいらない。いつも通り楽にしてくれたらいいわ」
ヴァネッサ様は私の言葉を遮ってそう言うと、自分の向かいの席に着くよう手で促した。私が席に着くと、ヴァネッサ様の後ろに控えていた女騎士がお茶を淹れてくれる。
「リリアちゃん、こうやって顔を合わせるのは久しぶりね」
「はい。お会いできて嬉しいです。それに、素敵な温室ですね」
外は肌寒くなってきたので温かさが嬉しく、色とりどりの花が目を楽しませてくれる。
「庭師が手入れを続けてくれていると聞いて、使ってやらないと可哀そうだと思ってね」
少し口角を上げ、香りのいい紅茶が入ったカップを口元に運ぶヴァネッサ様は、ドレスを着ていなくても王女様だった。私も紅茶を一口いただき、柑橘類の爽やかな香りを楽しむ。お茶請けのお菓子は焼き菓子で、クッキーから小さなケーキまであり目移りしてしまう。
「それで、今回リリアちゃんを呼んだのは、あの馬鹿を焚きつけた本人として進捗状況を聞いておこうかと思って」
「あー……怒られたって言ってましたね。ヴァネッサ様のおかげでストーカーがなくなったので、ありがとうございました」
「その様子だと、ゼファルはちゃんと我慢できているの?」
「たぶん……その代わり長い手紙が来て、直接顔を見に来られています」
「ストーカー気質は変わらないのね」
ため息をつくヴァネッサ様は、「嫌になったらいつでも離宮に来るのよ」とお決まりの文句を口にした。そして、カップをテーブルに戻すとついと視線を向けてくる。
「それで、ロウ・バスティンのほうはどうなの?」
「どう、といいますと?」
「求婚されたんでしょ?」
まさかヴァネッサ様にそういう話をされるとは思わなくて、目を瞬かせてしまう。落ち着いた雰囲気と聞かれ方で、恋バナという感じがしないけれど……。
「あ、はい。え、なぜご存じで?」
話すとしたら魔王しかいないのだけど、姉弟でそういう話をするイメージも全くなかったので思わず聞いてしまう。
「ゼファルに吐かせたのだけど、つい先日ロウと会う機会があってね。本人から丁寧に挨拶をもらったわ」
「挨拶……」
なんだか不穏な響きに聞こえる。
「近しい関係だと思ったのでしょうね。筋を通そうとしたみたいだから、私も応えたの」
ヴァネッサ様の声は弾んでいて、楽しそうな笑顔が逆に怖い。
「私は妹にリリアちゃんが欲しいからゼファルの肩を持つけれど、もしリリアちゃんがロウを選んだら後見には私がつくわ」
「……へ?」
ちょっと理解が追い付かなかった。いくつか確認したいことがある。
「えっと……妹にしたい?」
「そうよ。生意気な弟しかいないから、かわいい妹がいたら最高じゃない」
そこまで考えが及んでいなかったけど、もし魔王様と結婚するとなれば、当然ヴァネッサ様は義理の姉になる。私は何と返していいか分からず、ひとまず次の疑問を口にした。
「……それで、後見というのは」
「簡単な話よ。バスティン家は開戦派で軍務卿は人間との婚姻を認めるとは思えないもの。認めてもらえるよう動くにしても、駆け落ちするにしても、後ろ盾は必要でしょ?」
「かけ、おち」
ヴァネッサ様の中でトントンと話が進んでいって、ついて行けない私は口を開けていた。今どうするかを考えるのに精いっぱいで、二人とのその後について真剣に考えたことがなかったのだ。その間抜けな表情を見たヴァネッサ様は、呆れ顔になる。
「リリアちゃん、その様子じゃあんまり考えていないんでしょう」
観察眼がするどいヴァネッサ様にはお見通しで、取り繕うこともできない私は伏し目がちに頷く。ヴァネッサ様は悠然と足を組むと、丸テーブルに頬杖をついて面白そうに口角を上げた。目が光っていて、あれは獲物を定めた肉食獣の目だ。ゾクリと背中に寒気が走る。
「じゃあ、この経験豊富なお姉様が相談に乗ってあげるわ。リリアちゃん、楽しいおしゃべりをしましょ」
恋バナをしようと言われているはずなのに、スー達とは全く雰囲気が違っていて、私は尋問を受ける気持ちで背筋を正すのだった。