126.釣り合わない覚悟
翌日。仕事が終わった私は、ロウに指定された店へと向かった。朝には魔王から手紙が来ていて、何かあったら息の根を止めてくるようにと書かれていたが、私にそんな力はない。
その手紙への返事は食事会という名の決闘が終わってからでいいかなと思っていたら、昼過ぎにもう一通手紙が来た。運んできたのは文官の一人で、魔王からの手紙を恐れ多そうにクッションが置かれたトレーに乗せており、王冠や宝石を運ぶようだった。
さすがに付き合わされる臣下が可愛そうで、私は“仕事をしてください”と短く返事を書いたのだった。
そんな感じで魔王とは手紙のやり取りが続いているのだが、ロウからはあれ以降何もない。ちゃんと返事が届いたか心配していたけど、店に着くとロウがすでに来ていると知らされたので、やはり鳥は優秀だった。
必要最低限のことしかしないの、ロウらしいわよね……。
こまめにそこそこ長い手紙を送ってくる魔王とは正反対だ。そんなことを考えていると、前と同じように二階に案内される。
そして、案内の人に「こちらです」と通された部屋ではロウが待っていて、私を見るなり「ほぉ」と感心した声をあげた。
「お前の口の悪さをうまく隠してくれるいい服だな」
今日の私は、この店の格式にあわせて、品の良さとカジュアルさのバランスがうまく取られたワンピースを着ていた。スカートの丈が膝にかかるくらいで、長めの革靴なのがミグルド風だ。
挨拶より先に嫌味が来たが、それに噛みつく前に彼の顔に目が奪われた。
「その顔どうしたんですか」
ロウの左頬は青あざになっていて、口元も少し切れている。明らかに殴られた跡で、右頬の傷とあいまって憐憫さに拍車がかかる。私は彼の向かいに座り、他の傷はと見える範囲に視線を配るが大丈夫そうだ。
訓練で失敗でもしたのかと思っていると、ロウは不服そうな顔でため息交じりに返した。
「少し父上とな」
「……え?」
ロウの父と言えば軍務卿だ。式典で見たので記憶にもあるが、筋骨隆々のいかにも武人という人だった。なんだか嫌な予感がする。ロウの視線はそれを裏付けるように、しっかり私に向けられていて、口角が上がった。
「昨日、リリアに婚約を申し込んだと報告したらこのざまだ」
「なんてことしてるんですか! 後戻りできませんよ!?」
バスティン家は王都の過激派筆頭であり、その当主の軍務卿が人間との婚姻を許すはずがないのは火を見るより明らかだ。それは本人が一番理解していたはずなので、私は目を見開き語気を強める。
「もとよりその覚悟だ」
断言するロウに対し、私はそんな大事になる覚悟なんてもっていない。私まで退路を断たれた気になって、背筋にうすら寒いものが走る。
「あの、これ私に飛び火するんじゃ……」
軍務卿は力も権力もある。私では逃げる隙さえ与えてもらえなさそうだ。急激に不安に襲われていると、ロウは面白くなさそうに腕を組んだ。
「そこは心配しなくてもいい。父上は古く固い人だからな。魔族の誇りに則って行動する。これはあくまで私と父上との問題であり、リリアに害をなすことはない。それに、お前は魔王様の庇護下にあるからな。いかに父上といえども、おいそれと手はだせないさ」
「そう、なんですね……」
安心していいのかは分からないけど、アイラディーテの貴族のように裏から手を回すということはしないようだ。そこが正々堂々を矜持とする魔族らしくて好感が持てる。
「ということは、ロウはお父様を説得できると?」
言外に無理だろうという意味を込めれば、ロウに鼻で笑われた。いちいち癪に障る返しをしてくる。
「説得など無理だ。我がバスティン家は軍部の家系だぞ? 拳で決めるに決まっているだろうが」
まさかの武力で、だからその怪我かと納得もする。親子喧嘩というには、まるで手加減を感じないが……。ロウは悔しそうに手のひらで拳を打ち鳴らすと、好戦的な笑みを浮かべる。
「昨日は鳩尾に一発入れたところで反撃を喰らったが、次はそうはいかない。必ず勝ってみせる」
「なんでそこまで……。私と婚姻を結んでも、ロウに利となるものがないじゃありませんか」
ロウは意気込んでいるが、腑に落ちないのだ。合理主義で最短ルートを駆けあがろうとしている彼の性格を考えれば、全く反対のことをしているように思えて理解ができない。その不可解さを表情に出していたら、これ見よがしにため息をつかれた。
「お前、こういうところだけ無駄に考えるよな。偉人も言っているように、恋は衝動だ。私が欲しいと思ったから、その意が向くままに行動している。利など関係ない」
まっすぐと赤い瞳を向けられ、言葉に詰まる。真剣な表情で好意を口にされれば軽口をたたくことも、嫌味を返すこともできなかった。だから、前と変わらない答えを口にする。
「私にその衝動はありませんわ……。今は、穏やかに過ごせればいいんです。恋とか結婚とかは……」
申し訳なさが勝って、彼の目を見ることはできなかった。罪悪感とも居たたまれなさとも、居心地の悪さとも言い切れないあやふやな感情。胸の奥がぞわぞわとして落ち着かなかった。
「それでいいさ。今はまだ、友達でいい」
そう優しい声音で言ってくれるロウだが、ひっかかりを覚えた私は反射的に返す。
「友達じゃないです」
認めない。私の友達はスーとアーヤさんだけだ。
「おい、そういうとこだぞ。まったく……」
ロウは恨めしそうに「クラッシャーめ」と意味の分からない、きっと悪口を呟きメニューに手を伸ばした。いったんおしゃべりは切り上げるのだろう。私も早くご飯が食べたかったので、一時休戦とメニューを手に取った。




