125.手紙は人の手で運ばれる
仕事が終われば、私的な時間が来る。日課のことを魔族ではルーティーンというらしい。アイラディーテでは仕事に追われて、日課を持つ時間と心の余裕がなかったけど、ミグルドに来てから続いているルーティーンがある。それが、寝る前の読書だ。
窓際のティーテーブルが定位置で、ハーブティーを片手に本を読んでいる。
こちらに来たばかりの時は本を読むのは苦手だと思っていたけれど、読みやすい本から始めたのがよかったのか、こうやって続いている。魔王やシェラが勧めてくれる本は面白くて、小説や歴史物語、伝記と色々なジャンルの本を読んでいる。そのおかげか、言葉の幅が広がった気がする。
あちらでは貴族間の自慢話に家の蔵書量があったけれど、本が知識や教養、言葉に直結すると分かってからは頷けるものもある。こちらでも文官同士の会話を聞いていると、流行りの本が出てきたり、王都でも古本屋や貸本屋があったりと、本が普及していることがわかる。
そして、今私が読んでいるのは伝記物。200年前の人間との戦争を描いたものだ。以前ロウから少し聞いたことも書かれていて、本の中の物語に現実で見聞きした情報が紐づけられていく。
ここに書いてることが全部じゃないけど、やっぱり人間と魔族の確執は根深いものがあるわよね……。
それは肌で感じていることで、城の中ではそうでもないけれど、王都でふとした時に鋭い視線を感じることがあった。友和が進んでいるケヴェルンでも、役所の人が一部立ち入らないほうがいい地域があると話していたのだ。
私は温かいハーブティーに口をつけながら、ページをめくる。読み進めつつも、現実の問題が頭をよぎるから手はたびたび止まっていた。思考が今準備を進めている建国祭のことになったところで、ノックの音がして意識を引き戻される。
「見てまいりますね」
来客には遅すぎる。侍女の誰かが連絡をしにきたのかと思っていると、開いたドアから聞きなれた声がした。
「リリア、手紙を届けに来たぞ」
「え、ゼファル様?」
手紙を書くとは言っていたが、まさか自分で届けにくるとは。
読みかけの本にしおりを挟み、テーブルに置くと椅子から立ち上がった。歩み寄って来た魔王は手紙を渡すと、「座ってくれ」と手で促した。しかも、テーブルの向かいにある椅子に座る。
……え?
戸惑いを感じつつ、促されるまま椅子に腰かける。魔王はじっと私を見ていて、微笑と視線で開けろと訴えているので、私は仕方なく封を開ける。受け取った手紙の封筒は指先だけで分かるほど質がいい。歩いて数分の距離なのに、しっかり封蝋までしてある。印が国の紋章なのが重みを感じた。
「いざリリアに手紙を書こうとしたら、何をどう書けばいいのか分からなくて、こんな時間になってしまった」
純情魔王は照れ笑いを浮かべていて、期待する瞳を向けていた。きっと返事が欲しいのだろう。私は折られた数枚の便箋を取り出し、広げると読み始める。正直前からの圧を感じるが、無視することにする。
手紙は挨拶から始まり、今日魔王がしたことと、私がしている仕事についてのコメント、最後に私に聞きたいことが書いてある。実に完結で分かりやすいが、これはまるで……。
「報告書というか日記ですね」
私はまともな手紙をもらったことがないけれど、これは違うということは分かる。目を通した私がそう言うと、魔王は「えっ」と目を見開いた。
「いつも、そんな感じで書いて……」
「こんな書き方を手紙でしているんですか?」
いつもと言い出したのでこっちはさらに驚いてしまう。
「あっ、いや、違う。手紙というか……」
妙に歯切れの悪い言い方だったが、つっこむ前に魔王は無理やり話を次に移した。
「まあ形式と内容はともかく、リリアはこうやって他の人から手紙をもらうのは初めてだろう」
無駄に鼻高々というか、自分の勝利を疑っていない。だが、この手紙もどきを手紙と言い張るのなら、あの軍事報告も手紙に入る。
「あー、実は昼間、ロウから短い手紙をもらっています」
「なんだと! 早すぎないか! 心を込めて書いたのか!?」
食い気味に早口で言い放った魔王は悔しそうで、乾いた笑みが漏れる。要件のみだから、心も何もこもっていないだろうが、さすがに口には出せない。
「負けるわけにはいかない」と呟く魔王を視界の端で捕えてから、もう一度手紙を頭から読みどう返事するかを考えた。質問には城の料理で好きなものや、王都でお気に入りの店、最近欲しいものなどがあり、すぐには答えられないものもある。
「あの、リリア……手紙の返事はゆっくりでもいいんだが、一つ直接言いたいことがあって」
頭を悩ませていたら、魔王がおずおずと話を切り出してきた。わざわざ手紙に書かなかったぐらいなのだから、何が飛び出すのかと身構える。
「その……明日仕事が早く終わりそうで、夕食を一緒にどうだ?」
「あ……すみません、先約がありまして」
「え、まさか、ロウのやつか?」
予想に反した夕食のお誘いで拍子抜けをする。だが、明日はロウから料理屋に呼び出されているのでやんわりと断ったら、相手を突き止められた。まだ見ているんじゃないかと疑ってしまう。
「あー……ちょっと、話をしてきます」
なんだか罪悪感を覚えてしまうのは、魔王が置いていかれた子どものような顔をするからだろうか。
「な、なら、今週末は空いているよな?」
「あ、はい。大丈夫です」
そう答えてから、自分が二人の男性を弄ぶ悪い女のように思えてきた。わがままのようだけど、このどっちつかずの状態は精神的によろしくない。
だけど、そんなモヤモヤも上機嫌な魔王の笑顔を見ると消えていく。
「ではリリア、夜分遅くに失礼した。返事を待っている」
「えっと、あまり期待しないでくださいね」
「リリアからの手紙なら、一文だけでも額装ものさ」
「やめてください」
魔王はストーカーをやめると宣言しても、こういうとこは変わらない。彼を戸口まで見送ったあと、私は席に戻ってもう一度手紙に目を通した。
「返事……」
この手紙とは呼べないものへの返事は、報告や業務連絡でいいだろうか。それとも、貴族流の美辞麗句が並んだものか。
「まずは、便箋と封筒の選定からよね」
一応令嬢時代に手紙のやり取りの作法は叩き込まれていた。実際に書いたことはほとんどなかったし、返信用のセットはすでに決められていたから選ぶ余地もなかったが……。
その後、できる侍女のシェラに厳選された便箋と封筒に、色合いや香りが違うインク、書き心地最高のペンを用意され、一級品の道具に見合う内容に頭を悩ませることになるのだった。