12.宝物に望むこと
夜、シェラは、新しい主人の髪と肌の状態を最上に高めるための手入れを済ませ、早めの就寝を促し下がったその足で魔王の私室へと向かった。
「魔王様、失礼します」
部屋に入ると、湯あみを済ませたばかりのゼファルは、まだ湿り気が残る髪のまま書き物机の前でペンを忙しく動かしていた。日課である“今日のリリア”を書いているところだ。区切りのいいところでペンを止めて顔を上げる。
「シェラ、ご苦労だったな。あの後はどうだった?」
「あの後は刺繍をしながら、この国の始まりや偉人についてお話ししました。興味深そうに聞いておられて、質問もなさいましたよ。聡明な方とお見受けします」
「そうか……リリアの負担にならない程度にな」
ゼファルは報告を受けたことをさっそく手帳に書き留めておく。午前中は軍の視察があったので、リリアの姿を見ることはできなかったのだ。
「かしこまりました。それと、リリア様は本を読むのが苦手とおっしゃっていましたが、手に取られた本は入門には向かないものだったこともあるかと」
本を片付ける時に少し開いて見たが、堅苦しく小難しい表現も多かった。
「あぁ……あそこに置いてある本は、ほとんど飾りだからな。リリアが読みやすい本を選んで書庫に入れておこう。昔お前に読まされた本なら、分かりやすいだろう」
ゼファルの言い方は後半に棘があり、シェラは困ったように微笑んだ。
「そうですね。手のかかるゼファル様でも読めたものなので大丈夫かと。難しいようなら、私が噛み砕いて教えましょう」
「その優しさを昔の俺にも向けて欲しかったな~」
少し昔を懐かしむ空気になったところで、シェラは気になったことを口にする。
「あの、魔王様……リリア様の仕事なのですが、実際のところどのようなものが考えられますか?」
リリアが望んだ仕事は少々難しいが、主の願いは極力叶えたいと思うのが侍女の性だ。それはゼファルも同じで、事務処理をしながら考えていたからすぐに答えを返せる。リリアのことを考えれば自然と頬が緩み、締まりのない顔になった。
「城内なら、文官の手伝いや正式に人間研究部に所属してもらうという手もあるな。ずっと俺の視界にいてくれたら、俺の仕事が捗るが嫌がりそうだ。王都やケヴェルンなら、店の売り子……毎日買いに通うし、宿場や料理屋でも働けるだろう。看板娘に、いや町娘になる未来が見える。しかし、リリアのファンが増えたら困るから複雑なところ。手先も器用だから、仕事を覚えれば仕立て屋だって向いているかもしれない。俺の服はリリア製で決まりだ。な、少し考えただけでもこんなに仕事はある」
「なる……ほど?」
せき止めていた水が一気に押し寄せたような情報量に、シェラはついていけず相づちだけ打った。ところどころ、いや後半はほとんどゼファルの願望が入っており、シェラは相変わらずの執着心ですねと生温かい目になる。
「その辺りを考えて、必要な教養や礼儀作法もつけてやってくれ」
「はい……しかし、妃教育でなくてもいいのですか?」
リリアに必要と思われる知識を書き留めていたゼファルは、思わずペン先に力を入れた。インクが黒い染みになり、苦い顔をシェラに向ける。
「リリアにも言ったとおりだ。それはあくまで俺の想いであって、強制はしたくない」
「お優しいですね」
「……俺との婚姻を強要してみろ。リリアを苦しめた第二王子や、親たちと一緒になる。あいつらがリリアの意思を奪ったんだ、許せるかよ。外交問題にならないなら、空間の牢獄に閉じ込めて無限の苦しみを与えてやりたいぐらいだ」
ゼファルはずっと見ていた。親とも呼べない二人がリリアに辛く当たっていたことも、第二王子の心無いふるまいにリリアが悩まされていたことも。煮え切った怒りが声には滲み、漏れ出た魔力が窓を震わせた。
「その時は私も参戦しますのでぜひ」
シェラも自分の意思を主張できない主人に心を痛めていた。相手の要望に沿い、自分にできることを問う姿勢は侍女のようで、人の表情を伺う様子と荒れた手からも幸せな環境にいなかったことが伺えたのだ。
「あぁ、その時はよろしく頼む。当面はリリアを思う存分甘やかしてくれ。まずは、嫌なこととしたいことをはっきり伝えてくれると嬉しいんだがな」
ゼファルは何度か、リリアが一人部屋の中で呟いているのを聞いたことがあった。第二王子への不満、蔑んでくる令嬢たちへの怒り、厳しい淑女教育の辛さ、従うしかない自分への嘆き。リリアの内面には激情が潜んでいる。
それを向けてくれたらとゼファルは願い、引き出そうと試みていた。
「そうですね。わがままぐらい言ってくれませんと、張り合いもありません」
「あぁ、わがままになれるくらい甘やかして、愛を伝えて、この国を、この城を、俺の隣を安心できる居場所にするさ。強要はしないが、諦めもしないからな」
リリアの意思を尊重し選択肢は用意するが、そこに自分が食い込む気でいるゼファルだ。鏡で見ていた時からの、長年にわたる執着心を知っているシェラは硬い表情のまま返す。
「応援しておりますが、リリア様が気に病まれるようであれば魔王様といえども容赦いたしませんので」
シェラの見立てでは、現状リリアがゼファルに好意を持っているようには見えない。むしろ、距離感を掴みかねており、苦手意識も持っていそうだった。
「なっ、俺の幸せを第一に考えてくれないのか!?」
「魔王様の幸せはもちろん願っておりますが、個人的にリリア様には負い目もありますので優先したいと思います。魔王様は自力で頑張ってくださいませ」
臆することなく意見を述べたシェラは、「報告は以上です」と頭を下げる。ゼファルは背を椅子に預けると、望むところだと強気な笑みを見せた。
「言われずとも、まずは明日の式典で俺の魔王としてのかっこよさを見せつけるさ」
「では、私も腕に寄りをかけてリリア様を輝かせますね」
「あぁ、楽しみにしている」
シェラはもう一度頭を下げると、静かに部屋を後にする。その立ち居振る舞いは凛としていて、ゼファルが幼かったころから変わっていない。ゼファルは全幅の信頼を寄せるシェラをリリアにつけたことは間違っていなかったと、手帳を閉じながら思う。
「もう寝たかな」
寝顔を見たいと思うが、さすがに悪いだろうと思いとどまる。できるなら、いつかは隣で見られるような関係になりたい。ゼファルは自分も寝るかと伸びをすると、寝室に向かうべく立ち上がるのだった。




