119.ストーカーの素顔
「ふ~ん、なるほど。つまり、ロウが褒賞にリリアちゃんを望んで、二人がどうなるか気になったから無断で見ていたと……器が小さすぎない? 王座に座る子どもなの?」
容赦の無い身内の言葉は、ゼファルの傷口を抉った。
「だって、気になるだろ……。万が一リリアがロウを選んだらと思うと」
ヴァネッサは王座に腰をかけるゼファルの前で仁王立ちをしていて、鼻を鳴らした。
「馬鹿らしい。正々堂々と勝負しない男にリリアちゃんはふさわしくない。ロウのやつと結ばれたほうが幸せなんじゃない?」
「はあ?」
感情の起伏と共にゼファルの魔力が膨れ上がったところで、ヴァネッサは軽く手刀を頭に落とす。間一髪魔力は外に伝うことなく収まった。
ゼファルがされるがままなのは、抵抗は無意味だと身に染みて分かっているからだ。心外だとはっきり異議を唱えたかったが、姉に恋愛を話す気恥ずかしさからモゴモゴと勢いの欠けるものになる。
「俺だって、この前口説いていないとか言われたから、ちゃんとデートに誘った……。気持ちを伝えて、真摯に向き合っている」
「へぇ……じゃあ、これからどうするつもりなの?」
「どうって……リリアに会って、どうするつもりか聞く」
「違うわよ。あんたがどうアプローチをかけるのかって聞いてんの」
ヴァネッサの口調は厳しく、視線は鋭い。ゼファルの挙動を一つも見逃さないような気迫があった。その目がゼファルは昔から苦手で、親が欲する答えを探す子どものように視線を彷徨わせていた。その返答も徐々に尻すぼみになっていく。
「そりゃ、今までのようにご飯を食べたり、デートをしたり、水晶を通して見たり……」
最後声が小さくなっていったのは、ちらりと見た姉の顔が憐れむものになっていたからだ。昔から時折見せる、苛烈さの裏の顔。その表情を向けられるたびに、自分の存在が揺るがされるような恐怖を感じていた。
ヴァネッサは何も答えない。
沈黙が刺さる。足元から不安が這い上がってきた。
「あね……うえ」
その顔が、空気が、自分がまだあの牢獄のような部屋にいる少年である錯覚に陥らせる。ゼファルの顔は強張っており、ヴァネッサは低く柔らかい声で諭すように語りかけた。
「ゼファル……あんたは本気じゃないのよ」
「何を! 俺はいつだって本気だ! リリアが好きで、大切で!」
毛を逆立てて怒る手負いの獣のように噛みついてきたゼファルに、ヴァネッサは痛ましさを感じる。
「リリアが生き甲斐で、いつだって見ていたくて、幸せになってほしい! これは愛だ。そうだろ!?」
「……えぇ、愛ね」
認めないと落ち着かないと思い、ヴァネッサは肯定する。その感情は紛れもなく愛情だろう。多少歪んでいようとも。
その歪みはヴァネッサの罪悪感を刺激する。だからこそ、踏み込んだ。
「でも、本気で手を伸ばしていないわ」
「まだ言うか! さっきから難癖つけやがって、昔から俺の邪魔ばっかり!」
目を吊り上げて怒るゼファルに対し、ヴァネッサは核心に迫る言葉をそっと置いた。
「……じゃあ、なんでまだここにいるの? リリアちゃんを手に入れたいなら、なりふり構わず行動すべきよ」
ゼファルは鋭く舌打ちをし、恨みがましい目を向ける。
「しようとした。ヒュリスに止められたんだ」
「それは、ロウの邪魔をしようとしたんでしょ? 相手にすべきはロウじゃない。リリアちゃんなのよ? なんでまだここにいるの」
重ねて問われても、その意図がゼファルには読み取れない。動けなかったのはヒュリスのせいであり、今はヴァネッサのせいだ。苛立ちが限界に近い。
「お前がいなくなったらすぐにでも話に行く。これで文句ないだろ。これ以上邪魔をするな。見ていない間に何か起こっていたらどうする」
嫌になってきたゼファルはそう話を切り上げようとしたが、ヴァネッサは逃がさない。何も変わっていない弟の態度が我慢できず、声を荒げた。
「違うって言ってるでしょ! あんたはいつまで鏡の中のリリアちゃんを見ているのよ! あの子は手が届くところにいるのに、どうして鏡に逃げるの!」
「……は? 逃げる? ふざけんな!」
ゼファルの頭に血が上る。これ以上ない侮辱に感じて、王座から立ち上がった。手は臨戦態勢になっていて、いつでも魔術を出すことができる。
緊迫状態。
それでも、ヴァネッサは手を緩めない。根幹に、自分たちの罪に、剣を突き立てた。申し訳なさと憐みと怒りが混ざり、顔が歪む。
「本物を欲するのが怖いんでしょ? だって、拒絶されたら終わりだもの。遠い国の、鏡の中の少女のままなら手に入らないって諦められるけど、生身はそうもいかない。この先もずっと関係は続くのだから」
「黙れ!」
ゼファルは拳を握りヴァネッサの顔めがけて突き出した。ヴァネッサは避けず、拳は鼻先で止まる。
「うる……さい」
ゼファルは泣きそうになっていた。顔はヴァネッサに向けているが、目の焦点は合っていない。拳を解き、力なく腕を下げる。
「あんたがこうなったのは、私たちにも原因がある。国のためにと、閉じ込めて人との関わりを奪ったのだもの。だから、自戒も込めて言うわ。……ゼファル。いつまで、あの部屋に囚われた子どものままでいるの?」
頬を張り倒されたような衝撃だった。胸の奥が痛くて、苦しくて、ゼファルは胸元のシャツを掴む。眉間に皺を寄せ、浅い息を繰り返す。
「なんで、そんなことを言うんだ。……俺は、どうしたら」
道に迷う子どもの顔。ヴァネッサは少し間を取ると、声を落とし問いかける。
「あんたは、この先リリアちゃんが他の人と結ばれても、ずっと鏡で見ているつもりなの? それで、満足?」
ゼファルはハッと目を見開き、小刻みに首を横に振った。聞くだけで拒絶感が沸き起こる。
「嫌だ」
言葉が気持ちを引きずり出し、奥底に眠っていた欲望に光が当たる。見ているだけでは満足できない。
「リリアの側にいたい。声を聞いて、抱きしめて、同じものを見て笑いたい」
口にすれば止まらない。鏡のリリアとではできないことがあふれ出した。
「一緒にご飯が食べたいし、手を繋いで町を歩きたい。結婚して、子どもを作って……」
その欲望はやがて一つへと収束していく。そこで初めて気づいたような顔になって、「あぁ」と声を漏らした。
「リリアに、愛されたいんだ」
言葉にすれば、それはスッと胸の奥底にはまった。最初からそこにあったはずなのに、真新しい輝きを放っている。
ヴァネッサはそれに対して何も言わなかった。何を口にしても、否定につながる気がしたのだ。
姉と視線を合わせたゼファルの目には、力強い光がある。
「姉上……もう行く」
その声に揺らぎはなく、ヴァネッサはふっと笑った。いつもの苛烈さを含む、意地悪な顔だ。
「なんだ、めそめそするのはもう終わり? 泣いてくれてもよかったのに」
「俺はそんな脆弱ではない。見ていろヴァネッサ。必ずリリアを手に入れる!」
そう宣言したゼファルの姿は、次の瞬間には消えていた。
「これで……よかったのよね」
広い謁見の間に、ヴァネッサの声が吸い込まれていく。ヴァネッサは階段を降り、正面のドアへと向かった。初めて会った時の、愛を知らずに育ち歪んだ弟の姿を思い出しながら……。




