117.宝物への応援
「ゼファル様! 落ち着いて!」
揺れは数秒にも満たなかったが、異変を感じた外の近衛兵が駆け込んでくるには十分だった。ゼファルは血相を変えた兵士たちを「問題ない」と下がらせると、長々と息を吐く。
「悪い、取り乱した」
「肝が冷えましたよ。ご自身の力を自覚してください」
「あぁ……」
ゼファルは心を落ち着け、覚悟を決めてから鏡に視線を向けて音を拾う。ヒュリスも魔王が少し落ち着きを取り戻したのを確認してから、鏡へと顔を戻した。
リリアが「ロマンチスト」と呟いたところであり、ヒュリスは怪訝そうに口の中で言葉を転がす。
「ロマンチスト……?」
言葉の意味は知っているが、少し目を離した間に話が飛んでついていけなかった。だが、ゼファルはつながったのか苦渋に満ちた顔をしている。
「古い逸話に、恋人のハンカチを手首に巻いていた兵士が命を救われ、生還したものがあっただろう……。ロウはそれを意識したんだ」
「意識って……?」
「手首に青いリボンを巻き付けていた……リリアのだ」
「えっ、いったいいつの間に」
ヒュリスからすれば、リリアがロウとそれほど親密な関係になっていたことが驚きだ。
「先ほどのやり取りを見ていれば、リリアは逸話を知らなかったようだが……」
それでも、リリアが私物をロウに渡したことが衝撃だったのだ。加えて、その青色を見た瞬間本当は恋人であることを隠していたのではと早とちりしてしまった。
「ロウ、すごく押しが強いですね。リリアさんも言い返していますが心配になります」
「負けるなリリア。はっきり断れ!」
試合の解説と応援のようだ。応援の声に切実さが滲んではいるが……。
リリアの言葉を何一つを逃がさないように集中していたゼファルは、続いて飛び込んで来たロウの言葉に息を飲んだ。
“誰か思いを寄せている人がいるのか”と。
ゼファルが聞きたくても、答えが怖くて直接聞けていない質問だった。知りたい。誰よりもゼファルが一番知りたかった。
「リリア答えるのか? 俺のことを少しは意識してくれてるだろうか。いや、でもここでロウの名前が出て来たら、俺は死んでしまう。知りたいような、知りたくないような」
早口で呟く魔王に、ヒュリスは生温かい目になりながらも返答が気になったためリリアから視線を外さない。やや間があった後、疑問が残るような表情でリリアが口を開いた。
「……たぶんいないってなんだ。そこは嘘でもいいからいるって言えばいいじゃないか!」
ゼファルの心の声がそのまま口から発せられていた。自分が選ばれなかった悔しさや悲しさと、ロウが相手ではない安堵が胸の中に混在している。
ヒュリスも同意と頷いていた。
そして続くロウの諦めないという言葉に、ゼファルは顎に手をやり表情を険しくした。
「なんて図太いやつだ……俺なら、リリアに断られたとしたら一か月は寝込むぞ」
「魔王様、それはさすがにいかがなものかと」
魔王の不調の原因がフラれたからだなど、口が裂けても言いたくない。
二人の会話が止まり、どうしたのかと思えば料理が運ばれてきた。
「あ、おいしそうな料理ですね……。私たちもそろそろ昼食にしませんか?」
「まだだ。二人の会話が終わってからでないと、何も手につかない。リリア、大丈夫だよな。料理につられてまずい条件を飲んだりしないといいが」
匂いまで感じられそうな肉料理を目にして、空腹を抑えられないヒュリスだ。逆にゼファルはそれどころではなく、リリアが聞けば怒る言葉を口走っているが気づかない。
空腹状態で見る食事の光景は破壊力がすさまじく、二人は唾を飲む。
「今日の昼食、何でしょうかね……」
「無性に肉が食べたくなってきたな……」
食欲には敵わない。
「あ、見ろ。リリア可愛いだろ。なんておいしそうに食べるんだ。目の前で見たかった」
「高頻度で見ているでしょうに」
「馬鹿言え。一度として同じリリアはないんだ。毎日、毎秒見たいに決まっているだろ」
臣下に命を与える時のような引き締まった表情なのに、内容が残念過ぎる。
リリアがロウの軍部への勧誘を断ったところで、また軽い言い合いになっていた。そのやり取りがあまりにも自然で距離が近く感じ、魔王は歯噛みする。
「俺もリリアとあんな感じで言い合いたい……」
「苦情を受けているという点では似たり寄ったりだと思いますが」
他人が羨ましく見えるということだろう。
そして話題は次へと進む。それを口にしたリリアの声音は、純粋な疑問を含んでいた。
“そもそもなんで私と結婚なんて言い出したんですか?”




