115.宝物への独占欲
「わたくし、ロウ・バスティンはリリア殿に婚姻を申し込みます」
その言葉を耳にした瞬間、ゼファルは発狂しそうになった。ここが王座でなかったら、目の前にリリアがいなければ、ロウを八つ裂きにしていた。それほどまでの殺意と狂気が渦巻き、自分でも抑え込めたのが奇跡に思える。
その後のやり取りは現実との間に分厚い膜があるように感じて、自分が話しているのに他人が話しているようだった。
だから、リリアが出ていき重い扉が閉じた瞬間、糸が切れたように王座にもたれかかった。視線は宙を彷徨い、凝縮され、研がれた刃のように鋭い感情が自分の胸を指す。
「嫌だ……認めない」
「魔王様?」
うわ言のように呟いたゼファルに、叫んで暴れだすのではと術で抑え込む心づもりをしていたヒュリスが、警戒しつつ声をかけた。だが、その声はゼファルには届いておらず、「嫌だ、嫌だ」と繰り返す。
ナイフで刺されているような痛みがゼファルを襲っていた。
「嫌だ。俺からリリアを取るな。俺は……俺が!」
巻き起こったのは激しい拒絶。強大な魔力が感情の揺れに引きずり出される。それは空気を伝い、近くのヒュリスが痛みを感じ、遠くの近衛が怯えるほど。
「認めない。こんな現実。消えてしまえ!」
血走った目で呪詛のような言葉を吐いた瞬間、カチリと何かが切り替わった感じがした。
「魔王様!?」
狼狽したヒュリスの声がして、静かにしろと疎ましさを感じる。今は誰とも話したくない。一人になりたかった。
「魔王様、どちらに!?」
瞬間移動で自室に戻ろうとしたが、ヒュリスの言葉にひっかかりを覚えて横に顔を向けた。
「お前何を……?」
ヒュリスは顔面蒼白となり、右往左往している。
「ヴァネッサ様に協力を、いや、まずはリリア様に? こういう時に魔王様が行きそうな場所は……あぁ、何か被害が出ているところを探したほうが早いか!?」
早口で考えを吐き出しながら王座の前を行ったり来たりしているヒュリスは、ゼファルが見えていないようだった。
「ヒュリス?」
やっとゼファルも何かが起こったことに気付き、声を出すが届かない。
「これは……」
訝しく思い辺りを見回せば、見える景色は何一つ変わらなかった。それなのに現実から切り離されたような、隔絶されたものを感じる。それは見知った感覚で、愛おしい顔が浮かんだ。
「リリアの守りの小部屋か」
自分からは見えているのに、相手からは見えない。まさにリリアの力だった。
「そうか……狭間というよりは、現実に膜を張ってその間にいる感じなのか」
ゼファルほど優れた空間魔術の使い手であれば、一目見ただけでその術の特性が理解できた。
「これがリリアの……できるものなんだな」
きっかけは現実への強い拒絶感だろうかと興味深く思っているところで、近衛に捜索指示を出そうとしているヒュリスの声が耳に入った。慌てて術を解く。
「待てヒュリス。俺はここにいる」
すぐに解いて出られるのも、魔王が空間魔術の天才と言われるゆえんである。
「あぁ!? 魔王様! どうして、いやお戻りに!!?」
目が合ったヒュリスは安堵した様子で、すぐに近衛に出そうとしていた指示を取り消すと速足で近づいてきた。
「魔王様、取り返しのつかない被害は出しておりませんね?」
「俺は癇癪を起しておもちゃを投げる子どもじゃないぞ……。ずっとここにいた。どこにも行ってないし、何も壊していない」
魔王就任直後は嫌になれば瞬間移動で逃げていたし、つい先日も魔力を制御できず部屋を荒らしたところだったので、強く否定はできなかった。
「え、ずっとここに、しかし……いや、それはまるで」
頭の回転が速いヒュリスはすぐにその可能性に気付いたようで、目を丸くする彼に向けてゼファルは頷く。
「あぁ、リリアの守りの小部屋だ。俺にも適性があったみたいだな」
「……もう今さら驚かないですね」
ヒュリスが乾いた笑みを浮かべてしまうのも仕方がない。それほど魔王の空間魔術は非常識だった。
「ですが、少し冷静さが戻られたようで安心しました」
「心配をかけたな。大丈夫だ」
ゼファルのすっきりと冴えわたった頭には、次するべきことがすでにある。先ほどはロウに先手を打たれた形になったが、ここで引き下がるゼファルではない。
指先で空間を割くと、幼い頃から愛用している姿見を取り出した。ヒュリスがまさかと目を剥く。それに応えるようにゼファルは口角をあげた。
「リリアとロウを覗き見るぞ」
ストーカーの本領発揮である。