114.恋愛に弱い
「何ですの?」
「いや……やっぱり流されやすいけど図太いなと思って」
「はい?」
口を開けば神経を逆なですることばかりで、パンを持つ指に力が入る。
「だってお前、婚姻の申し出を断った男と何食わぬ顔で食事をしているじゃないか。いや、感受性が死んでいるのか?」
「そちらは遠慮と気遣いが壊滅的ですけども!?」
流されやすいことは十分自覚しているが、指摘されると腹が立つ。というか、こいつには言われたくない。
そもそも、あんたがついて来いって、あぁ、その場で断ればいいのね!
お腹が満たされ余裕ができた頭で考えると、自分の軽率さに頭を抱えたくなる。ご飯の誘惑に負けた。
少なからずショックを受けていると、ふと気になることがあった。
「というか……そもそもなんで私と結婚なんて言い出したんですか?」
魔王に対して理由を言ってはいたが、腑に落ちなかったのだ。
「やっとそこに気が回ったか。普通は真っ先に聞くだろう……つくづく色恋ごとに向かないな」
「恋愛に疎くて申し訳ございませんね!」
ロウは好き放題言ってから、「そうだなぁ」と視線を遠くに飛ばして少し間を作った。真面目に答えてはくれるらしい。
「こうやって言い合えるのが楽しいってのがあるんだが……。私の野望を話した時、笑わなかったからな」
「あれは……呆気にとられたというか」
それに笑えるような内容ではなかった。そのことを思い出すと、ふと気づく。
「今回のことで、野望に近づいたんじゃないんですか?」
「これぐらいではまだ足らん」
貪欲だなと思っていると、ロウはじっと真面目な顔で見つめてきた。
「それと……お前は私を軍務卿の息子でも、バスティン家のロウでもなく、ロウ・バスティンとして見てくれるだろう」
「え? えぇ、まあ」
それは私が人間だということもあると思う。魔族間の地位を肌身に感じていないし、利害関係もないからだ。
「それが心地よくて、王都で料理を食べた時、ああいう時間が続けばいいとも思ったのだ」
零れるように微笑み、眼差しが柔らかいロウと目を合わせていられなくて、私はスープのお皿に視線を落とした。スプーンでそっと具材をすくう。
その気持ちは少しわかる。私もデグーリュ家にいた時、社交の場では常にデグーリュ伯爵家の娘だった。デグーリュ伯爵令嬢と呼ばれ、どれぐらいの人が私の名前を知ってくれていたかも定かではない。
元々下町育ちで、今はただのリリアとなったからこそ、ロウには共感できる。
「でも、人間が嫌いでしょう?」
「そうだな。許せない部分はある。……だが、それに拘って大事なものが見えないほど、私は愚かではない。リリアは人間だが、同じ人として好ましい」
トクンと心臓が高鳴った。聞いたことのない優しい声音で、ますます顔が見られなくなる。
「リリア、顔を上げてくれるか」
「なん……ですか」
お皿にスプーンを置き、怒ったような拗ねたような表情で顔を上げる。そうしないと、なんだか負けてしまう気がした。
ロウは唇を引き結んでいて、もともと厳しく固い印象を与える顔つきのせいで真面目な雰囲気に拍車がかかる。
「謁見の時は、お前を物のように扱ってすまなかった。あの場では色々と言ったが、好ましく思い、共にいたいのは本当だ。それこそ、バスティン家の醜聞となっても構わないと考えるほどにな。だから、真剣に考えてくれないか」
ずるい。
常は人を食ったような態度なのに、こういう時だけまっすぐ自分をさらけ出してくる。バスティン家はアイラディーテ王家への復讐を宿願とし、王都の過激派をまとめる由緒正しい貴族家だ。その息子が人間に求婚したとなれば笑いの的であり、バスティン家の信用にも関わる。
「リリアは前に、私の身を滅ぼすような秘密を情報の対価に望んだ。これがそれだ。悪くないだろう?」
ロウは野性味のある、挑戦的な笑みを浮かべた。戦いの最中のように、大きな賭けに出る時のように、勝負を持ち掛けてきた。
「……あなたの分が悪すぎると思いますが」
「勝負はそれぐらいでちょうどいい。それに、相手は魔王様だ。最高の勝負じゃないか」
ロウは自分が置かれている立場も状況も十分理解した上で行動していた。その覚悟が見えるから、私は今までのように簡単に否定を口にできない。
私には、ロウの想いに応える気持ちもなければ、断れるだけの理由もない。だから、せめて誠実に対応する。
「ロウ……私ね、今の状況に満足しているんだと思います。アイラディーテでの抑圧から解放されて、仕事で役に立てて、友達ができて。婚約者がいたこともあるけど、恋とか好きは分からないし、今は欲しいとも思っていないんです。だから……」
「諦めると思うのか?」
諦めたほうがいいと続けようとしたら遮られた。ロウは憮然としていて、馬鹿にするなと言いたそうだ。
「何度も言う。俺が諦めるのは、リリアが他の誰かのために全てを投げ打つほど、強い愛情を抱いた時だ」
「そんな……」
そんなことあるのだろうかと思ってしまった。恋愛に夢を見る前に愛のない婚約をし、愛を知る前にそれを欲する人たちの醜悪さを嫌になるほど見てきた。そんな自分が、今さら小説の中のようなキラキラした恋ができるとは思えない。
あぁ……そっか、だからスーとの恋バナを楽しめなかったんだ。
心のどこかで諦めていた。自分が誰かを好きになれるはずがないと。
「リリア、ゆっくりでいい。必ず好きにさせる」
ずいぶんな自信だ。なのに、彼が言えば不思議と自惚れには聞こえない。苛立ちも起きなくて、ただ、胸の内には澱みのような重いものが沈んでいた。苦い感情が喉を絞めつけてくる。
ロウの優しい声も、温かな眼差しも、それを消してはくれなくて。
私は冷めて味が薄くなったスープを、よく噛まずに飲み込んだ。
時間が静かに流れていく。結局ロウに諦めさせることはできないまま、仕事へと戻ることになったのである。




