112.静かな開戦
てっきり食堂に行くのかと思えば、ロウが入ったのは調度品が整った小部屋だった。軍部のイメージとは違っていて、思わず見回してしまう。
「ここは?」
「軍部の高官や将軍が使える部屋だ。食堂で機密事項を話すわけにもいかないからな」
どこでも食事をしながら重大な話をする機会は多いのだろう。小さめのドアが一つあって、おそらくあちらは使用人が出入りするのだろう。
政務部にもそのような部屋はあるので、なるほどと納得して中央にあった丸テーブルの椅子に座る。魔族にエスコートの習慣はないので、ロウはすでに席についていた。
部屋は木目が美しいテーブルの他には壁に剣と盾が飾られていて、軍部らしさを感じる。その中で、テーブルのちょうど真上から降りている紐が目を引いた。その先を辿ると天井から壁を這わせ外まで続いている。何なのだろうと不思議に思っていると、ロウがそれを三度引いた。少し間を空けてから二度引く。
「……何ですの?」
「ベルだ。紐の先は厨房まで続いている」
使用人を呼ぶために部屋にベルがあることは多いが、この部屋にはベルが聞こえる範囲に待機場所がないのだろう。密談をするためにそうなっているのかもしれない。
ロウは紐から手を離すと、意地悪な笑みを私に向けた。
「料理は何がいい? スパイスをふんだんに使った料理も用意できるが」
スパイスと聞いただけで激辛スープを思い出して舌の上に辛さと痛さが蘇る。空腹で何でも受け入れたい胃が、恐れて小さくなった気がする。この状態で激辛は自殺行為だ。
だが、怖気ついているとは思われたくないので、余裕の笑みを浮かべる。
「今日はその気分ではありませんわ。そうだ、私が食べたいものを当ててみたらどうです?」
意趣返しにこちらからふっかけてみる。何を言われても違いますと言えばいいのだ。たまにはロウを困らせてやりたかった。
「ほぉ、面白い。そうだな……肉料理。鶏肉のソテー、レモンソース添えとナッツ入りサラダに本日のスープはどうだ? デザートはあまり種類はないが、季節のシャーベットぐらいはあるだろう」
「うっ……わ、悪くありませんわね」
何が来ても否定するはずが、好みど真ん中で食欲に負けた。食べたい。肉の中なら鶏が好きだし、レモンソースでさっぱりいただくのは最高だ。それに、サラダにナッツが入っているのは高得点。
デザートを入れてくれる辺りもぬかりがない。
出鼻をくじかれ悔しさに唇を引き結んでいると、ロウにしたり顔で笑われた。
「攻略対象のことを調べないはずがないだろう? 軍事作戦の基本だ」
「ちょっと、私を何だと思っていらっしゃるの?」
「壁は低いのに周りの防衛力が高い城かな」
「言い方!」
勢いで返してから、どういう意味だと立ち止まって考える。
……ん? 壁が低いってのは、私がちょろいってこと? そして、周りの防衛力というのは魔王様たち?
悔しいが当たっているところがある。
そんなやり取りをしていると、小さいドアが開いて水差しとグラスを持った料理人が入ってきた。私と目が合って少し驚いた表情をしている。私も出てきたのが給仕係ではなかったので少し驚いたが、ロウは水をグラスに注ぐ彼に慣れた様子で注文を伝えていた。
聞き終わった料理人は「了解しました」と一礼して出て行く。小料理屋の店主のような感じだ。
「ずいぶん気軽というか……軍部だからですか?」
高官が会食で使うこともあるのにあの態度でいいのだろうかと思っていると、ロウが説明をしてくれる。
「今は接待ではないからな。ベル3回は私用。その後に人数分鳴らすのが決まりだ。私は一人で静かに食べたい時に使うから、いつもこんな感じだ」
一人で静かにという言葉にひっかかりを覚えた。これは攻め口を見つけたかもしれない。
「へぇ……ロウ、友達いないんです?」
からかってやるぞとにんまり口角をあげれば、ロウはムッとして眉を顰める。
「黙れ。部下が気を使わないようにしているだけだ。それに話ができる同僚はたくさんいる」
「いやだから、一緒に食べる友達」
「くどい。あぁ、そうだ。お前が俺と一緒に食べてくれればいいのだが?」
と、うすら寒い笑みをつけて返された。
「今後はお断りいたしますわ」
お互い微笑みを浮かべているが、背後では獣が牙をむいていた。料理が来るまでの雑談でさえも頭と体力を使う。これはもう黙っていた方がいいのではと思っていると、ロウが左手の皮手袋を外しだした。
常につけているので珍しいと思っていたら、引き抜かれて露わになった手首に見覚えのある青があって目を瞬かせた。彼はシャツのボタンも外して袖を押し上げる。