111.空腹との戦い
謁見の間を出てしばらく、私は床に視線を落としたまま動けずにいた。周りの音が遠く、頭もぼんやりとする。
どうしよう……ゼファル様を傷つけたかもしれない。いや、怒らせた? どっちにしろ、よくは思ってないわ。
場の空気に流されて、婚姻をかけた勝負を受けたような形になった。
できる限り早く会って話さないと……。
シェラに頼んで今日の夜にでも話せる時間を取ってもらおうかと考えていると、ロウに名前を呼ばれた。
「リリア、ぼんやりしていると通行の邪魔だ。移動するぞ」
「……え?」
どこに? と聞くより先に彼は歩き出している。
本当に自分勝手なやつね!
こちらへの気遣いを見せないロウに苛立つが、しかたなく後を追う。ロウはひっきりなしに祝福の声をかけられていた。
その背中を見ていると、さっきの理解できない行動もあって、怒りがふつふつと湧いてくる。
ちょっと言ってやらないと気が済まないわ。
これはもう戦いだ。何としても勝つと気合を入れていると、見覚えのある場所にやってきた。軍部である。ちょうど昼時だからか、いい匂いが漂っている。
そっか、こっちにも食堂があるんだ。
城には兵士用、役員用、王宮の使用人用とだいたいの区画に食堂が設けられている。軍部だからか、肉の香りが強く涎が口の中に広がる。
ほとんどの人が食堂に行っているのだろう。廊下ですれ違う人はまばらで、ロウに対しては敬礼をしていた。私もちょくちょく軍部には出入りしているので、不審がられずに会釈される。
あ~……私も食べたい。今日は肉にしよ。
食堂で食べるメニューを考えながら歩いていると、気づけばだいぶ奥まで進んでいた。人気がなく、ドアが並んでいる。その一つ、何の札もないドアの前で立ち止まったロウは、鍵を開けると中に入った。
どこなんだろうと思いながら続いて入ると、どうやら私室っぽかった。っぽい、と思ったのはベッドと机はあるものの、あまりにも物がなくて生活している様子がなかったからだ。
「お前……ちょっと警戒心が無さすぎではないか? のこのこと入って来て、襲われても文句は言えないぞ」
呆れた顔で言われればカチンと来る。
「はい? あんたがついて来いって言ったんでしょうが。一度指示を出したなら、ちゃんと細かく出してよね!」
「ほんとに口が減らない……。外で待っていろ。鎧を脱いだら出る」
そう言うなり鎧を外し始めたので、慌てて回れ右をして部屋から出る。廊下に出て改めて並ぶドアを見ると、兵士たちが寝起きする部屋であることが分かった。少し行ったところには洗面の桶が並んでいて、よく見ればドアノブのところに数字が彫られている。
先程の部屋を見た限りでは、彼はここに住んではおらず時折休息や物置として使っているのだろう。右に左にと観察したが、それ以上面白そうなものはなかった。こうして誰もいない廊下で放置されていれば気も抜ける。
あ~お腹空いた。
窓から空を眺めて気を紛らわせる。
あ、鳥……。鶏肉もあり。
無理だ。食欲を払えない。
そうこうしていると後ろでドアが開く音がした。
「待たせたな」
出てきたロウは仕事着ではなく、白いシャツに黒い上着と灰色のズボン、そしてお決まりの黒の皮手袋という装いだ。
怪しさ満点ですねと軽口を叩こうとしたら、代わりに出たのはお腹が鳴る音で。
ぐーっと可愛さの欠片もない音に、静寂が際立つ。恥ずかしくって顔が真っ赤になり、苦し紛れにロウを睨んだ。ロウは吹き出すと、肩を震わせている。
「お前はいつも私を楽しませるな。ちょうどいい、お昼を食べながら話そう」
「謁見の間に続くこの仕打ち、おいしい昼ご飯を奢ってもらわなければ気がすみませんわ!」
半ば八つ当たりでそう主張すれば、歩き出したロウから弾んだ声が返ってくる。
「いいだろう。軍部の料理人も腕がいいからな。食でお前を落とすのも面白い」
「落ちませんからね!?」
まずは食べなければ戦えない。私はロウの背に鋭い視線を向け、後に続くのである。




