11.魔王とお話をします
「昨日はよく眠れたか?」
「はい、おかげさまで」
魔王は政務前だからか、首回りがゆったりした白いシャツに、金糸の刺繍が入ったズボンという楽な格好をしていた。露わになった首筋と鎖骨に、以前夜会で延々と聞かされた“ぐっと来るのは男の首筋か、鎖骨か”というくだらない論争を思い出し、すっと目をそらす。
「それはよかった。シェラはよくやっているか?」
「はい、むしろ私の方が至らないところが多くて……」
シェラは魔王が来てすぐにテーブルの上の物を端に寄せ、お茶を用意していた。
「それならばいいんだ。それで、暇そうにしていたが、刺繍や編み物は好みではなかったか?」
魔王は柑橘の香りがする紅茶を一口飲み、端に追いやられた道具たちに目をやった。
なんか、さっきから私が暇なことを知っている話しぶりだけど、もしかして見てたの……? そう考えると、来るタイミングも良すぎる。
だけど、それを尋ねる糸口が見つからず、ひとまず問われたことに答えた。
「その……趣味でするほどではなくて、腕前もよくありませんし」
「趣味に腕前なんかいらないさ。俺はリリアの作品ができるのを楽しみにしているんだ。リリアの作品を飾れる部屋を一つ作ってある」
にこやかに励ましの言葉を口にするものだから、後半の内容を聞き流しそうになった。
「……それは、やめてください」
シェラの手前、上品な女主人をイメージして微笑を浮かべて対応する。
「嫌? じゃあ、俺のマントに好きなモチーフを刺してよ。国宝にするから」
微笑が固まった。淑女とは程遠い言葉が出そうになったところを、シェラの咳払いによって救われる。
「魔王様? リリア様がお困りになっています。お戯れもほどほどにしていただかないと」
「冗談じゃないんだけどな……。まあいい、じゃあリリアは何かしたいことある?」
魔王はそうやって、当然のように私の希望を聞いてくる。すぐに答えが返せるわけもなくて、時間稼ぎに紅茶を口にすると、魔王も一口飲む。
あ、さっきシェラに聞いたことをもう一度聞いてみようかしら。でも、ダメって言われそうだし……。ん~、あとこの国のことを教えて欲しいけど、誰かの手を煩わせるのもね。……あっ。
急かすことなくニコニコと待ってくれていた魔王の目を見て、私は思いついたお願いを言葉にする。
「あの……私に何かできる仕事ってありませんか。それで、報酬の代わりにこの国のことを教えて欲しいんです」
「仕事と先生か……どうして?」
魔王は頭ごなしに否定せずに、理由を聞いてきた。聞かれ慣れていないこともあって、言葉に詰まる。いつも私の意見を求められることなんかなくて、口答えしようものならひどい言葉が返って来た。そのことが頭をかすめて、手に冷や汗が滲む。
「えっと……私、何かしていないと落ち着かなくて、趣味といえるものもないから仕事がしたいです。それと、この国のことが知りたいんですが、本を読むのは苦手なので、できれば人に教えてもらいたくて……」
相手の反応を気にしつつ、慎重に言葉を選ぶ。
「あぁ、本では分かりづらい時もあるからな。それなら、シェラに教わるといい」
魔王は頷いてからテーブルの横に控えていたシェラに視線を飛ばした。それを受けてシェラは魔王の隣に立つ。
「この国の歴史や風土は一通り存じておりますので、何でも聞いてください」
「あ、じゃあ、よろしくお願いします」
そして魔王は口元に手を当て、続きを考えてくれる。
「あとは仕事かぁ。一応リリアは人間研究部の顧問として研究に協力してもらうことになっているけど、今後を見据えた仕事ってことだよな」
それきり言葉はなく、唸る声が響いた。その間が怖くて、そわそわと落ち着かない。
「流石に侍女の仕事はさせられないし……。リリアは何がしたい?」
また、そう聞かれた。魔王は“何ができる”じゃなくて、“何がしたい”と聞いてくる。それが一番困った。
したい事なんて……。
そして困っている自分に、後頭部を殴られたような衝撃を受けた。胸の奥が冷えていく。
あっ……。私、したいこと分からない。
何もない。
その気づきがじわじわと私の首を絞めてくる。第二王子の婚約者として、伯爵家の令嬢として、分をわきまえた妾の子として、求められる自分でいた。だけど、それが無くなれば……。
私、空っぽだ……。
俯いて答えられずにいると、明るい声が飛んできた。
「まっ、どんな仕事があるか分からなかったら、選ぶこともできないよな。リリア、式典で紹介が終われば、色々な仕事を見てまわればいい。町にも行こう。きっとやりたいことが見つかるさ」
魔王の表情は朗らかで、その横に立っているシェラも真剣な表情で頷いていた。二人の優しさに緊張がゆるみ、ぽつりと浮かんだ考えがそのまま言葉になる。
「魔王様は、私にして欲しいことはないんですか?」
わざわざ危険を冒して攫ったのに、魔王は私の意見を聞くばかりで特に要求はしなかった。それが不思議で何気なく聞いてしまったのだけど、魔王は言葉にしにくそうな顔をして私の顔をじっと見ている。
何でそんな顔を……あ。
「妃候補?」
昨日将来のお嫁さんにとか言ってたわと思い出してそれを口にすれば、魔王は真っ赤になって口元を手で覆った。本当に表情の変化が激しい。
「いや、ちが……うこともないが、それは俺が勝手に思っていることであって、それにそういうのは両者の意思があって、初めて成り立つというか。そんな簡単に妃とか言うな」
ぼそぼそと早口で返す魔王は、初心な少年のような反応だ。それが意外でシェラに視線を向ける。
「もしかして、魔族に政略結婚ってないんですか?」
「いえ、ありますが魔王様が一際純情なだけです」
非常に簡潔な回答、さすがシェラだ。25の魔王が可愛く見えて、くすりと笑ってしまった。魔王は気恥ずかしそうに咳ばらいをすると、真面目な顔を作って視線をこちらに向ける。
「俺がリリアに望むのは、幸せになって欲しい。それだけだ」
「幸せ……」
言葉を口にしても、しっくりこない。今の私のように中身のない言葉だった。
「だから、まずはおいしい物を食べて、よく寝て、楽しいことをしてくれ。色々してみると好きなことも見つかるよ」
そう言いおいて、魔王は「時間だ」と席を立った。見送りのために立ち上がろうとしたのと同時に、「また」と言葉を残して姿が消える。転移魔術だと分かるが、急に消えられると心臓に悪い。
浮かせた腰を下ろし、私は前に立っているシェラに顔を向けた。
「結局、暇なままなのよね……」
「では、刺繍でもしながらこの国の歴史についておしゃべりをしましょうか。授業のようにするよりはいいでしょう?」
「そうね、お願いするわ」
午前中は刺繍をしながら、シェラからこの国の興りと偉人について話を聞いた。歴史の授業という感じではなくて、起こった出来事や活躍をした人について語ってくれるので、聞き入ってしまった。
そして午後からは、明日の式典のためにドレスを合わせたり、シェラから魔族同士の作法を教わったりしていたら時間は過ぎて行った。




