107.魔王の癒し?
「リリア限界だ、助けてくれ!」
空間が割かれたと思ったら、そう叫んで魔王が飛び込んで来た。夕食を終えて一休みしようかという頃合いである。
魔王が突然現れることは初めてではないが、びっくりはする。声は出なくても心臓は早鐘を打っていた。
「ゼファル様……突然何なんですか」
声に非難の色が混ざるのもしかたがない。それは湯あみの準備をしていたシェラも同様で、険しい表情で近づいてきた。
「魔王様、淑女の部屋に無断で訪問するのはよろしくありませんよ」
「あ……うん。それはすまなかった」
魔王就任直後の教育係であったシェラに頭が下がらない魔王は、すんなりと非を認めて謝る。そんな魔王をよく見てみれば、服は重大な仕事で着るような見栄えのいいものであり、顔にも疲労が滲んでいた。
本人が訴えたように、何か大きなことをしてきたのだろう。
「次からは人を寄越すなり、先振れを出すなりしてくださいね。お茶を淹れてきますので、おかけになってお待ちください」
シェラが完全に主導権を握っており、魔王はいそいそと私がいるソファーの向かいに座った。母親を前にした子どものようになっている魔王がおかしくて、口元が緩む。
そういえば、こういうのをギャップって言うのよね。
最近学んだ魔族の表現だ。何でも、印象や外での振る舞いとの差を言うらしい。
そんなことを考えていたら、じっと見られていることに気付いた。こうして会うのは久しぶりで、なんだか緊張する。
「リリア、ちゃんと会うのは一週間ぶりくらいになるか」
「そうですね。水晶も二日に一度くらいでしたし、お忙しかったんでしょう?」
今までで一番ストーカーが少なかった。おかげで平穏な日々を過ごしていたのだけど、魔王はその分大変だったようだ。テーブルに頬杖をつき、面倒くさそうな顔をしている。
「あぁ……西での協議やら、交渉やら、その他もろもろ」
案の定西の遠征軍が勝利した後処理をしていたようだ。ちょうどスーとリリアが情報を欲しがっていたから聞いてみることにする。
「あの、西の戦いはどんな感じだったんですか?」
ついでに愚痴があるなら聞いてあげようと思って水を向ければ、ため息が返って来た。魔王がこのような態度を取ることは珍しく、よほど苦労したのだろう。
シェラが淹れたお茶で喉を潤した魔王が、「西はなぁ……」と話を始める。
「聞いていると思うが、ロウ・バスティンが総大将を討ち取って終結した。まあ、それはいいんだが、クソ兄がへそを曲げてな……」
「お兄様……たしかお二人いましたよね」
「あぁ、二番目だ。上に比べれば話が通じるんだが、なかなか引かなくて骨が折れた」
「それはご苦労様です。魔王様にしかできない仕事ですからね」
素直に労いの言葉を贈れば、魔王は表情を和らげ嬉しそうに微笑む。
「ありがとう、リリア。その言葉で報われる。やっぱりリリアは俺の癒しだな。あっちでも見たかったんだが、俺が人間を城に迎え入れたことを知っているようだったから控えていたんだ」
「それは……」
そもそも見なければいいのではと思うが、癒しだ生き甲斐だと言うのでもう諦めかけていた。続く言葉を飲み込んだが、シェラは魔王にお茶のお代わりを注ぎながらはっきりと突きつける。
「そろそろ卒業されては? 一国の王が人間の少女を覗き見ているなど、醜聞もいいところです」
「……生活の一部になっているんだぞ。今さらどうしてやめられる」
「せめて罪悪感をお持ちください」
渋い顔のシェラに注意された魔王だが、どこ吹く風でお茶を飲んでいた。もうお決まりのやりとりになりつつある。この話をしても意味はなさそうなので、情報収集に切り替える。
「それでゼファル様、遠征軍がどうやって勝ったのかを知りたいのですが、ご存じですよね」
そのうち伝記や小説、活劇にもなるのだろうが、私にも流行りの話題にのってみたいという欲はある。魔王が語ってくれるのを楽しみにしていたら、嫌そうな顔をして分かりやすく不貞腐れた。
「リリア、お前もロウ・バスティンのことが知りたいのか……。まったく、どいつもこいつも俺を見れば」
あー……聞かれ過ぎてうんざりしてるわね。
まだ誰も詳細を知らないのだ。魔王を見れば聞きたくなるのが人の性というもの。
「いやぁ……やっぱり気になりますし」
俗っぽい行動をしたことに乾いた笑みを浮かべていると、魔王は何かに思い至ったようでカッと目を見開いた。
「やっぱりロウに気があるのか!? だからあいつのことが知りたいのか!」
予想外の方向に話が飛んで、思わず大声を出す。とんでもない誤解だ。
「違います! スーとアーヤさんに頼まれたんです!」
「本当か? そう言っておいて、突然結婚して出ていくとか言うんじゃないだろうな」
「なんでそうなるんですか! そんな非常識なことをするわけないでしょ!」
心外だと訴えたが、魔王は疑いの残る目で見ていて、さらにシェラも微妙そうな顔をしていた。
「リリア様、少々否定するポイントがずれている気が……」
「リリアひどい」
魔王は自分で言い出して落ち込み、「癒し、癒しがほしい」と縋るような目を私に向けた。今度手触りのいいぬいぐるみでも贈ってあげようか。
何の動物がいいだろうかと考えていると、魔王がお茶を飲み干してカップを机に置いた。
「もうこの話はいいだろ……。俺はリリアの話が聞きたい。最近は何をしていたんだ?」
結局何も聞き出せないまま話は切られ、今度はこちらに回ってきた。仕方がないので諦め、最近のことを思い出す。
「たいしたことはしていませんよ? いつも通り、仕事していただけです」
「それがいいんだ。聞かせてくれるか?」
元気のない魔王に頼まれれば断れない。私は少し冷めたお茶で唇を湿らすと、何の変哲もない日々を話し、この日を終えるのだった。




