10.暇をつぶすって難しい
「どうしよう……暇だわ」
人生で初めて口にした言葉だ。掃除も、洗い物も、目の前に積まれる洗濯の山も、繕い物も何一つない。朝食を食べた後は、「まだお疲れで慣れないこともあるでしょうから」とシェラは気を利かせて下がっていった。確かにずっとお人形のように待機されているのも落ち着かないけど、これはこれで何をしていいのか分からない。
「どうやって時間を潰したらいいの……?」
世の令嬢ってこういう時何しているのかしら……。たしか、お茶会で趣味の話になった時は……。
「刺繍、編み物……あとは観劇とか?」
一応貴族令嬢の教養でもあるので身につけさせられたけど、好きとは言えないのよね。観劇は有名なものの内容は知っていても本物を見たことはないし。
座っていても仕方ないので、部屋の中を見てまわる。私には審美眼もないので、よさそうな調度品を見ても高そうねという感想しか出ないのが悲しい。きっと本物の令嬢なら物の良さが分かるし、暇を持て余すこともないのだろうけど……。
部屋には本棚もあって、小説や伝記、旅行記なんかが並んでいた。適当に取って開いてみると、文字は同じで時々知らない単語や言い回しがあるが、だいたいは理解できる。
読んでみよ。
窓際に昨日魔王たちと座ったテーブルと椅子のセットがあるので、そこで読むことにした。少し開けた窓からは心地よい風が入って来て、手始めに歴史書の冒頭の文字を拾っていった。予言から始まっていて、物語のような書き方だけど言葉が古めかしく感じる。
これならこの国の歴史が分かるかもと思ったのだけど、いつの間にか瞼が閉じていて、首ががくんと二度落ちたところで本を閉じた。
「だめだわ、頭に入ってこない」
文字は読めるけれど、今までろくに本を読んでこなかったこともあってか、内容が頭に残らない。先ほどから全然時間は経っていなかった。
何か私でもできることってないのかしら。これからこの国で生きていくなら、仕事をしなきゃいけないし……。私って何ができるんだろう。
何もすることがないならないで、そんなことを考えてしまう。
まずは、この国のことを知りたいし……。シェラに聞いてみる? でも、他の仕事で忙しいかもしれないし、呼び鈴を使う勇気は出ないわ。
考え事を始めると思考はどんどん逸れていって、家がどうなったか、父親と継母は怒っていないか、第二王子はあの令嬢と婚約するのか、魔王にどう接したらいいのかと、昨日の夜と同じようにぐるぐると思い悩んでしまう。
そしてまた仕事はどうしようと、考えが一巡した時ノックの音が聞こえて背筋が伸びた。
すまし顔を作り、声を張って答えるとシェラが入ってきた。大きめの四角いトレーに色々乗せているのに、物音一つさせずにテーブルへと置く。
「リリア様、もしよかったら刺繍や編み物はどうですか? こちらで人気のある観劇の本もお持ちしました」
「え……あ、ありがとう」
え、なんで? もしかして聞かれてた? 独り言で声も小さかったはずなのに。
侍女の、もしくは魔族特有の能力なのかもと思っている間に、テーブルに道具一式と本が並べられていった。
使ったことがある道具よりも種類が豊富で、材料も質が良さそうだ。なのに私の腕はそれに応えられるものではなく、腰が引けてしまう。
私が気乗りしないのを感じ取ったのか、シェラが気づかわしげに声をかけてきた。
「あの、お気に召しませんでしたか? 他に好きなことがあれば何なりとおっしゃってくだされば……」
「あ、ちがうの。その……私、刺繍も編み物も得意ではなくて、こんな立派な道具と材料がもったいないなって思って」
「そんなことをお考えにならなくても大丈夫ですよ。それとも、他にしたいことがありますか?」
シェラは優しい口調で問いかけてくれる。だから、期待を込めて聞いてみた。
「じゃあ……何か私にできる仕事ってあるかしら」
「お仕事、ですか?」
「えぇ……ドレスの手直しとか、繕いも得意なんだけど」
さすがに掃除や洗い物は叱られそうだから口にしなかったけど、それを聞いたシェラの顔色が曇る。
やっぱりだめかしら。
「ご要望とはいえ、リリア様がされる仕事ではありませんね」
「そうよね……」
こうなれば恥ずかしさに耐えて、一級品の素材で残念な作品を作り出すしかないと覚悟を決め、刺繍と編み物の道具に視線を落とした。どちらも同じぐらいの腕前だ。
できあがりがマシに見えるのはどちらかしらと考えていると、またノックの音がした。シェラが取り次ぎに向かうが、その横顔が怪訝そうだったから予定にはなかったんだろう。
そして、ドアを開けたシェラの肩口から、ひょいと見覚えのある顔が覗いた。
「リリア、暇なら俺と話でもどうだ?」
朝から爽やかな笑顔の魔王が片手を挙げて部屋に入ってきて、一瞬呆けた私は慌てて立ち上がって頭を下げた。
「おはようございます。魔王様」
「俺に向けられた挨拶、最高。……おはよう、リリア」
挨拶より先に感想が口をついて出た魔王は、近づいてくると上機嫌でテーブルの向かいにある椅子に座った。
「少し時間があるんだ。俺につきあってくれないか?」
そう言われて断れるはずもない。私が頷いて腰を下ろすと、魔王は満足そうに口角を上げた。