行方不明の天才魔導士を探しに旅に出たのですが、なぜか弟子の私の方が注目されています。
概ねタイトル詐欺です。もともと長編向きの設定で、大幅に端折った日常パートを連載形式にすればあるいは詐欺にならなかったかも。
「はあ……。なんで馬車が一台も通りかからないんだろう。今日はもう、半日は歩き続けてるよ……」
草もほとんど生えていない大地を、私―――カーラ―――は、よろよろと歩いていく。踏み固められただけの道がまっすぐ向かう先は、ただの地平線。目的の『最寄りの街』が、まだまだ先であることを示している。実際のところ、家を出てからは村らしきものさえなかったのであるが。
「ちょっと……ひとやすみ……」
路とも言えない道の右側路端にそれなりの大きさの岩を見つけ、やれやれどっこいしょと座る。14歳の身体に似つかわしくない年寄りくささだが、歩き疲れてそんな気分なのだからしょうがない。体力よりもむしろ、精神的な疲れが体全体からにじみ出ている、ような気がする。私は、持っていた杖を傍らに立てかけ、ひと息つく。
「ただまあ、道のようなものが見つかっただけ、希望はあるよね。でも、森を抜けた後って、こんなに不毛な地が続いてたっけ……?」
以前、このあたりを通った時は、まだ草木が生えていた。十数人程度の村も点在していたような記憶がある。だいぶ昔のことで、その記憶もあいまいなのだが、こんなに苦労して街まで歩いた覚えは全くといっていいほどなかった。
「こんなところで独り言をつぶやいているだけじゃ、先に進まないよね。うんしょっと……ん?」
どどどどどどどど……!!
岩から立ち上がってからの前方右、道の進行方向の左側の少し斜め前。その方角から、何かが砂ぼこりを上げて近づいてくる。
「……おおおおーーーいっ! 嬢ちゃん、大丈夫かーーーっ!」
すごい速さで近づく馬車から、男性の心配するような声が聞こえてくる。
私は、運に見放されてはいなかったようだ。
◇
ガタゴト、ガタゴト
「はあ!? この荒れ地のはるか向こうだと!?」
「は、はい。この道を逆にしばらく行って、道がなくなったあたりから、少し右にずっと向かったあたり……ですかねえ」
「ナイシスから馬車を使って数日走らせても続くこの地の、更に向こうからとは……。その先に森があったのも驚きです」
「あ、ナイシスに向かってたのは確かだったんですね」
私を乗せてくれた馬車の人たちは、20代半ばくらいの男性冒険者2名。少し言葉遣いが荒い人がエルシスさん、丁寧に話す人がユルゲンさん。ふたりとも、最寄りの街であるナイシスの冒険者ギルドに所属しており、街の周囲に湧く魔物を毎日のように討伐しているそうだ。
ちなみに今は、ユルゲンさんが手綱を握りながら窓枠を通して話に参加し、私とエルシスさんが馬車の中でくつろいでいる。しかしこの馬車、いい作りだなあ。一見、冒険者向きの質素な雰囲気なのに、よく見れば材質が良かったり、揺れもほとんどなくて、あちこちに手間がかけられているような……。
「それで、カーラさんは、その森の中の湖の畔にある家で同居していた魔導士を探して、ということですが」
「はい。ある日の朝、目が覚めてリビングのテーブルを見たら、『必ず戻る』とだけの書き置きがあって、でも何日経っても戻ってこないので……」
「魔導士か……。ナイシスは昔から魔導士がたくさん集まってるから、よほど名が売れてない限り、名前と特徴だけでは見つからんかもしれんな」
「『カストル』という名前も、ナイシスでは人気ですからね」
……昔から魔導士が? あと、『カストル』って名前も? はて、ナイシスって、そんな街だったっけか。不毛な大地といい、どうにも昔の記憶との違いが大きい。
「うーん……。ん? カーラ、その杖をよく見せてもらっていいか?」
「え? はい、いいですけど」
空いている座席に立てかけておいた、私の背丈くらいの長さの杖を手にとって渡す。杖の先には大きな水晶が付いており、バランスを崩すとすぐに倒れてしまうので注意が必要だ。というか、この杖のせいで、とぼとぼ歩くのが更に苦痛になってたという話が。
「……おいおい、こりゃあ……。ユルゲン! 馬車を止めて、こいつをよく見てくれ!」
「どうしました、エルシス殿……。え、これはまさか、『静かなる紅蓮』の杖と同じ文様!?」
「間違いねえ。あまりの精巧さに、誰も模造品が作れねえっていう……!」
『静かなる紅蓮』? 何かの二つ名? ああいや、それよりも!
「それと同じ文様のある杖を持っている『カストル』を知ってるんですね! やった、あっさり手がかりがつかめた!」
「いやいやいや……。まさかカーラ、お前、そのカストルの弟子とか言うんじゃねえだろうな!?」
「弟子? ……まあ、カストルは確かに、私の魔法の師匠のような存在かな? 魔力操作のセンスが抜群で、一緒に魔法の開発とかしたり……」
天才って、カストルのような人間のことを言うのよね。一度見た魔法……というか、魔導現象を、すぐに覚えて再現してしまっていた。アンデッドに襲われた時は闇の魔法を習得していたし、妖精からイタズラされた時も精霊魔法を覚えてその場でイタズラ返ししてたっけ。
「これは、びっくりです。かの御仁は、どんなに頼み込まれても弟子を取らないことで有名なのに」
「見たこともねえ魔法をたくさん使えるのに、コツすら喋らねえしよ。それを、こんな嬢ちゃんに……ん? あの野郎、もしかして」
「エルシス殿、その先は言ってはなりません」
?
「なんでもねえ。ってことは、カーラもいろんな魔法が使えるのか?」
「どれだけ使えると『いろんな』となるかわかりませんが……そうですね、珍しいところだと、『飛行魔法』は使えますね」
「「おおっ!」」
「まあ、私は魔力操作がうまくないので、すぐ魔力が尽きて長時間飛べないのですが。周囲から自然吸収する魔力に多少追加できる程度かな」
「「おお……」」
だから、延々と続く荒れ地を飛ぶことは全く考えていなかった。魔力量は、自然界に漂う魔力をどれだけ集めることができるかで決まる。家がある森の中はともかく、荒れ地にどれだけの魔力が育まれていたかもわからなかったし。
「それなのに、こんな遠くまで不毛な大地を彷徨うとか……もっと待ってても良かったんじゃねえか?」
「……ひとりは、さびしかったので」
「……そうか。会えるといいな」
「はい!」
なんか知らないけど有名になってるみたいだし、すぐに会えるよね!
「エルシス殿、カストル様は今、北西のダンジョンに籠もっていたのでは……?」
「あ、そういやそうだったな。もう半年か?」
「そうですね。更に半年は引きこもるのではないでしょうか」
「例年通りならな。あいつも飛行魔法が使えるし、しばらくはマメに嬢ちゃんとこに帰ってたんだろうが、篭もりすぎて忘れたとかか?」
「それが本当なら、酷い話ですねえ」
ん? 半年? そして、更に半年……?
不毛な大地を歩いていた時から感じている、違和感。
これは、もしかして……。
「あ、あの、エルシスさん。カストルがその『静かなる紅蓮』として知られるようになってから、どれくらいの年月が経っているんですか?」
「ん? んーと、俺のひいひいひいじいさんからだから……あれ、いつからだ?」
「エルシス殿は、歴史の授業はサボってばかりでしたからね……。そろそろ、300年は経つのではないでしょうか。ある時代に徐々に有名になりましたから、実際にはそれを超えているかもしれませんが」
300年……!?
違和感の正体が、今、はっきりと見えた。
なるほど……なるほど……
私が寝ている間に書き置き残して出奔とかどうして、って思ったけど、たぶん、私のためだったんだろうなあ。
「どうした?」
「え、あ、いえ。カストルも、なんでそんなカッコいい二つ名を教えてくれなかったのかなあと」
「なんだ、知らずに弟子やってたのか」
「ええ、まあ。……小さい頃に、住んでた村が魔物の集団に襲われて、生き残ったところを拾われたので」
「……そうか。秘法か何かで永遠の命を得たらしくてな。そっけない寡黙な性格で人付き合いは少ないが、ここぞという歴史の転換点で、人々を救ってきたそうだ」
「12年前の大震災も事前に察知して、街の主要な建物を自ら補強して回っておられましたね。あの時は、高名なカストル様も悠久の時の中でついに気が狂われたかとささやかれてましたが」
大震災……地脈の乱れを検知したのかな。大地の精霊を返り討ちにしていたあのカストルなら造作もないことだろう。
「っと、見えてきたぜ。ナイシスの街だ」
まだ距離があるものの、街全体を覆っているであろう巨大な壁がはっきりと見える。これも、私の記憶にあるそれとは雲泥の差だ。あれもカストルが増強したのかな。
◇
まだ正午あたりだからだろうか、街は大変賑わっていた。街の南にある正門から中央に続く大通りは庶民向けと思われる店が数多く並び、人混みが激しい。そして、多くの城塞都市と同じく、大通りのずっと向こうにある丘の上には、城壁に囲まれた城が見える。
「すごい……! 昔見た、皇都の城よりもはるかに立派になっ……立派ですね!」
「ん? 王都の城って、あれがこの国、カーライン連合王国の王城だが?」
「へ!? いやいや、皇都はずっと北にあるレクソンですよね? あと、国の名前はレクソーヌ皇国……」
「……はー、あの野郎は嬢ちゃんにどんな教育をしてたんだ……」
「もしかすると、カストル様が高名となられる前の状況を伝えていたのかもしれませんね。二つ名もそうですが」
え、なに、カストルがまた歴史的な意味で何かやったの?
「まあ、いいか。カーラ、レクソーヌ皇国は200年前……いや、250年前だったか?」
「230年ほど前ですね。レクソーヌ皇国は一旦、各自治領に分かれました。そして、周辺諸国であるノトリアナ、スーサリエ、ローゼシアも国の枠組みが……実際にはそれぞれの王家や皇家ですが、解体されました」
「そして、それら全ての領をひとつにまとめた連合王国ができたってわけだ。ナイシス領主が新しい国王として君臨してな」
「はあ……。はあ!?」
要するに、周辺諸国が結託してレクソーヌ皇国を分割占拠しようと侵攻し、当時のレクソーヌ皇都レクソンも陥落した。小さい町や村の多くが戦場となり、荒れ果て、放棄されていった。しかし、ナイシス領は最後まで抵抗しただけでなく、領軍が逆に周辺諸国を制圧してしまったらしい。なにそれ。
「しかしあの野郎、面白いこと言ってたな。『君臨すれども統治せず』だっけか?」
「ええ。連合王国を実際に支配するのは、各領代表の貴族議会ですから。それに、それぞれの領も、有力者達によって構成された議会による領地運営ですね」
「君臨すれども……え?」
「『静かなる紅蓮』カストルの言葉さ。あいつ、まるで機能しなくなってた王侯貴族による国土運営を議会制にすげ替えて、あとは国の名前だけ決めてまた引きこもりやがった」
「それってつまり、カストルが……」
「ああ。諸国を制圧したのは、野郎の魔導士としての力、ただそれだけだ」
「えええ……」
いやもう、本当になにやってんの、カストルは!
まあ、戦乱を強引に収めたのは1万歩譲るとして、国名! 絶対、私の名前を意識してるでしょ!
「そういえば、カーラという名前、この国の名前から取られたんでしょうね。本名ですか?」
「え、ええ、村に……住んでいた頃から」
「そうか。てっきり、野郎が嬢ちゃんを拾った時に付け直したのかと思ったぜ」
「ははは……」
ははは……。
◇
ユルゲンさんが操る馬車は、中央の大通りをパカパカとゆっくりと進む。おかげで、ナイシスの街の……カーライン王国の王都ナイシスの大まかな概要と様子をゆっくり把握することができた。エルシスさんも見た目に関わらず……失礼、王都の冒険者だけあって大変詳しく、細かいことまでいろいろと教えてくれる。
「あれ? あそこって冒険者ギルド本部ですよね? 看板にそう書いてありますし。寄っていかないんですか?」
「ん? まあ、今日はいいや」
「報告しなくていいんですか? 魔物討伐は毎日やってるからですか?」
「それもあるが、まずは嬢ちゃんをきちんと保護しないとな」
「そうですね。その杖があなたのものとして機能している以上、カストル様のお弟子様であることは確定しているようなものですからね」
「ああ……」
カストルはどうやら、大陸中央に位置する一大国家の実質的な支配者らしい。そして、本人は必要な時にしか歴史の表舞台に現れない、悠久の時を過ごす気難しそうな引きこもり。そんな、神とも悪魔とも知れない存在の関係者であることがバレたら、そりゃあどんな目に合うかわからないか。カストルが好意的に見られているとは限らないしね。
とか考えていたら、
「ぶっ」
「どうした? ああ、あの巨大な銅像か」
「当たり前かもだけど、カストルそっくり……」
「王都に居を構えさせられた領主達を威圧する意味も兼ねていますからね」
「ついでに、王城にもな」
貴族街と思われる屋敷が連なる一角にそびえ立つ、カストルの銅像。領主達はどうやら、それぞれが君臨している……統治はできないらしいが、それぞれの領にはずっと住めないらしい。定期的に、あるいは、状況に応じて、領から一家総動員で王都に移動し、用意された屋敷に住まなければならないらしい。そうすることで国の統一を維持し、また、領地で勢力を蓄えることもできないようにしているそうだ。そして、勢力の源となるはずの財力は、領と王都を行き来する際の旅費で散財され、移動経路の宿泊地も潤う。それもこれも、カストルへの恐怖もとい権威で成り立ってるとのこと。巨大な銅像は、その象徴でもあるようだ。
……なんだろう、とてもよく考えられた国家政策のように見えるけど、どこかの歴史書に書かれていたことをよくわからないままとりあえずいろいろやってみました感がどうしても拭えない。これ、何かの拍子に破綻するような気がする。うーん。
「……えっと、王城の入口まで来ちゃったんですが」
「そりゃあ、王城で嬢ちゃんを保護するからな」
「できるんですか? 自分で言うのもなんですが、私、見た目はただの村娘ですよ?」
「ふふ、エルシス殿に唯一残された特権が行使できますね」
「うるせー」
?
◇
王城に入ってすぐ、とある一室に通された。
いや、はっきり言おう。国王の謁見室だここ。王座に続くカーペットの両側には、突然招集されましたって出で立ちの重鎮や貴族が整列している。
そして王座には、それはもう威厳のある服装に早着替えしたエルシスさんが座っている。その後ろには、騎士服姿のユルゲンさん。
「……なぜ、国王陛下が毎日魔物討伐を……」
「だって、他にやることねえし」
「実務は全て、経験豊富な商人や職人がこなしていますからね。強いていうなら儀礼関係でしょうけど、その多くも書類で済んでいますし」
「数日に1,2回の謁見と交流会。冒険者のクエスト完了打ち上げの方がよっぽど盛り上がるわ」
先に聞かされた君臨すれどもなんちゃらの鉄則により、カーライン連合王国の歴代国王や王家は、本当に、ほんっとーに、やることがほとんどないらしい。しかも、血筋だけでその立ち位置が決まり、国の規則で強制されるとのこと。当然、その強制力の背景は以下略。
そういうわけで、あらかじめ認可された趣味やら副業やらの方に多くの時間を割いているそうな。エルシスさんの場合は、冒険者稼業。確かに似合っているし、実力も確かなのだろう。従者であるユルゲンさんがかわいそうなくらいに。
「街から大きく離れるわけにはいかねえから、周辺で魔物狩ることしかできねえし……。くそう、俺もダンジョン行きてえ!」
「エルシス様、言葉が更に乱れていますよ」
「いまさらじゃねえかよ。なあ、カーラ?」
「はあ……。それで、王城は一応国王陛下の私邸でもあるので、独断で私を保護することは問題ないと」
「まあな。おい、お前ら、聞いての通りだ。『静かなる紅蓮』に殺されたくなければ、この嬢ちゃんを死ぬ気で守れ。おかしな陰謀も論外だ。いいな!」
「「「「「はっ!」」」」」
なんだかなあ、もう。
◇
そういうわけで、私の王城での生活が始まった。カストルが王都ナイシスに戻ってくるまで。
カストルが引きこもっている北西のダンジョンは王都からそれなりに距離がある上、たくさんの魔物が常に徘徊する山奥にあるらしい。エルシスさん……王城から私のことについて伝令を出してはいるものの、届くのに数日はかかるとのこと。更に、ダンジョン内のどの階層にいるかもわからないため、実際に届けることができるかも保証できないとか。なんだかなあ、もう(2回目)。
私はというと、実際には王城だけでなく城下町にも頻繁に出かけ、いろいろと街の中を楽しんだ。また、エルシスさんやユルゲンさんと、冒険者として王都近隣の町や村、森林地帯を巡った。もちろん、時々はあの出会いの荒れ地にも。
「「「「かんぱーい!」」」
ごきゅごきゅごきゅ……
「ぷはー、おいしー」
「嬢ちゃん、相変わらず美味そうに飲むなあ。りんごジュースだけどよ」
「エルシス殿は、ビールの量をもう少し減らした方が」
「んなことできねえって。このキンキンに冷えた奴を飲むために、俺は生まれてきたようなもんだ!」
荒れ地の魔物を一掃したある日の夕方。冒険者ギルド併設の食堂で、私がナイシスにやってきてから何度目かの打ち上げパーティを繰り広げていた。メンバーはもちろん、私とエルシスさん、ユルゲンさん。まあ、周囲の冒険者達とも一緒に盛り上がることが多いのだけれども。エルシスさんが国王だってことを思い切りバラしているというのが大きいのかな。
「ビール腹が目立つ国王では、数少ない執務である謁見が残念なことに」
「知るかよ、あんなの」
「カストル殿が戻ってきた時に何をされても庇い立てができませんよ」
「ちっ」
「はは……」
ビール、というのを私は聞いたことがなかったのだけれども、エールとは製法が異なる醸造酒らしい。
「カラアゲ3人前、お待ちー」
「おおっ、来た来た! ビールにカラアゲ、俺もう死んでもいい」
「国王陛下が迂闊なことを言わないで下さい。勝手にレモン水をかけますよ?」
「やめろ!」
カラアゲは、一緒に住んでいた時にカストルがよく作ってくれた。なんでも、故郷の味らしい。油をたっぷり使うので、魔法で油を大量に生成できるからこその料理だけど、彼の故郷って油が豊富な地域だったのかな。なお、カラアゲは王都ナイシスの名物で、例によって油の製法を含めてカストルが広めたらしい。
「おう、嬢ちゃん、盛り上がってきたところで、いつものアレ頼むわ」
「旋律魔法ですね。曲はお任せで?」
「んー、今日はのんびりした感じで」
「わかりました」
《ロフ・マー・デス、パー・エス・パル、リン・ウー・リル―――旋律》
私が杖の水晶に向けてゆっくり呪文を詠唱すると、青・緑・紫の3つの小さな光の輪が空中に出現し、少しずつ浮いていく。輪の表面が互いに少しずつ重り、その組合せの変化によって、様々な音が生まれる。
~~~♪ ~♪ ~~~♪
~♪ ~♪ ~~~♪ ~~♪
………………
…………
……
旋律魔法だけど、目でも楽しめる、私のオリジナル魔法。昔、カストルの寝付きが悪かった時、これやるとすぐに眠ってくれたんだよね。
「……嬢ちゃんの魔法は、いいなあ。カストルの野郎のような、苛烈なものばっかじゃなくてよ」
「そうですね。ちょっとしたことを、細やかに改善したり、美しくしたりしてくれる。心地良くて、安心できる」
「王城のメイド達がよー、物が腐りにくくなる魔法をカーラから教えてもらったって、すげー喜んでたよな」
「私は操作できる魔力が少ないから、それくらいのことしかできないんですけどね」
「いやいや、カストルの弟子とは思えねえほど、落ち着けるものばかりの魔法だぜ。野郎が平和をもたらしたんだから、平和な時代にも合うような魔法ももたらせってんだ」
「エルシス殿、それは傲慢というものです」
「わかってるって。それでも言いたくなるじゃねえか。カーラを見てれば、特にな」
カストルは、弟子を取らない。他人にコツを教えることさえしない。私はその理由をよく知っているし、そして、だからこそカストルはダンジョンに籠もっているのだろう。様々な魔導現象が発生するダンジョンに。まあ、寡黙な性格は元からだけど。
……と、まあ、実はもう何回も繰り返しているしんみり空気なんだけど。
明日になれば心機一転、また別の村を巡るか、あるいは、街の教会を訪ねるか……。
そんなことを思い描いていたら。
バアンッ!!
「エルシスさん! いや、国王陛下! 『静かなる紅蓮』カストル様より、緊急連絡が届きました!」
ギルド食堂の扉が乱暴に開かれたかと思うと、いつもお世話になっている受付嬢がいきなり叫ぶように用件を伝えてきた。
「んだあ……? 嬢ちゃんのことで、慌てて変な返信でも寄越したか?」
「いえ、カーラ様のことはすれ違いでまだ届いていないようで……これです」
受付嬢より一枚の紙を受け取るエルシスさん。
紙に書かれている文字を流し読みして……。
「……なんてこった! おい、王都住民を全員屋内に避難させろ! その上で、冒険者と騎士団は北の正門に集合だ! 剣士も魔法使いも、全員だ!」
◇
遠目の魔法が使用できる冒険者の魔法使いが、北の正門近くの外壁の上から地平線に向かって目を凝らす。
「……間違いありません。まだだいぶ距離があるので直接は見えませんが……魔物の群れです。まっすぐこちらに向かっています」
「スタンピードかよ! 発生源のダンジョンにいたカストルは何やってたんだ!」
「連絡にも書いてありましたでしょう? 数百年に一度の頻度でしか起きない、絶望的なまでに大規模なスタンピード。カストル様も小さい頃に遭遇し、対処できなかったほどのものです」
ああ、アレか……。エルシスさんとユルゲンさんに話した、私とカストルとの出会いのきっかけである、魔物の群れ。現状を把握した直後のことで、そこには少し『嘘』が混ざっていたのだけれども、それでも、村を魔物に蹂躙されたこと自体は事実だ。
でも、今は……!
「エルシスさん、連絡には、何の障害もないかのように魔物たちは向かってきてるとあったんですよね?」
「ああ。南西のダンジョンからナイシスまでの間は町や村がほとんどないからな。あったとしても小規模で、そこの住民はとうの昔に避難済だそうだ」
「カストル様が飛行魔法で個別に対処したのでしょう。それで王都への連絡が遅くなった可能性もありますが」
「いまさらだな。で、嬢ちゃんはなぜそのことを確認したんだ?」
「いえ……今は、今なら、ナイシス北側の荒れ地領域で、魔物達を殲滅できるかも……と思って」
「「本当(か|ですか)!?」」
◇
俺は魔導士、『静かなる紅蓮』のカストル。
……などと付けられた中二病的な二つ名に、俺はこの300年間、酔いしれていただけなのだろう。
俺の故郷を滅ぼした、魔物の群れ。あの事件がきっかけで、俺は膨大な魔力を操ることができるようになり……そして、前世の記憶も取り戻した。慌ただしくも平和に過ごしていた、日本の、地球の、生活を。大学受験に失敗して部屋に引きこもり、たまたま近くの携帯ショップでスマホ回線のキャリア変更のため訪れようとして……信号無視の車にはねられるまでの、おおよそ20年程度の人生の記憶を。
走馬灯のような記憶の混濁の影響もあってか、膨大な魔力を感情のまま爆発させ、気づいた時は、魔物の群れの大半は消滅していた。後でわかったことだが、村の近くには未発見のダンジョンがあり、そこから魔物が溢れたようだ。俺の魔力暴走はそのダンジョンを含めて壊滅させ、わずかな痕跡が残るだけの、更地状態となった。
前世の、科学技術が発達した文化・文明の片鱗を思い出しても、そんな状態からどうにかすることは不可能だ。飲まず食わずで数日間、更地となった村の跡地で、呆然と佇むだけだった。そのうち座ることすらできず、うつ伏せのまま、ただ餓死するのを待つだけだった、その時―――
………………
…………
……
魔物の経路の町や村の住民を強引に避難させ、王都にも伝令は出したものの、この後の方策が全く思いつかず、それでも飛行魔法で王都に向かって飛び続け、少し休もうとして不毛の大地に降り立ち、つらつらと過去のことを思い出していた、ちょうどその時。
ぶおんっ……
ガサガサッ
「カストル! 『静かなる紅蓮』のカストルはいるか! いたら返事しろ!」
この声は……現在のカーライン王国国王、エルシスか。
ん? なぜその男がここに? 伝令が届いてからの移動では早すぎる。それは、仮に飛行魔法を使うことができたとしてもだ。それにこの声、上から……?
ふと見上げると、奴は近くにあった大木の幹にしがみついていた。なにがなんだかわからない。わからないが、間違いなく国王エルシスだったため、声をかける。
「俺は……ここにいる」
「おう、その不景気な面は、間違いなくカストルの野郎だな」
「……どうした、なぜここにいる。言っておくが、俺の魔法でも、これからやってくる魔物どもは……」
「やかましい! これを見ろ!」
幹をするすると降りてきたエルシスが差し出したのは……大判の紙? そこに魔法陣が……魔法陣、だと!?
「おい! これをどこで手に入れた! 俺でさえ、こんな精密な魔法陣は描けない! できるとしたら……」
俺の脳裏に、いつまでもいつまでも眠り続ける14歳ほどの少女の顔が、浮かび上がる。
「カーラが……カーラが、目覚めたのか!?」
「目覚めた……? 何のことかわからねえが、そのカーラの嬢ちゃんがこいつを描き始めたと思ったら、これ持ってお前んとこに飛んでくれって言って何か魔法を発動して……気がついたら、ここにいたんだよ」
「転移魔法!! 完成していたのか!!!」
「てん……? とにかくお前、これが何かわかるか?」
「わかる! さっき感じた転移魔法の……魔法陣版だ! そうか、これなら!」
魔法陣に、軽く魔力を流す。魔法の訓練で彼女本人に流し込んだ時と同じく、なつかしい、そう、300年ぶりに感じる、なつかしい旋律。カーラが開発する魔法は、いつも繊細で、しかし、心の芯を強く揺さぶる、力強い真実。
「転移魔法……習得、完了」
「そうか。で?」
「広大かつ強力な転移魔法を、この場所にかける。転移先は、南西のダンジョン最下層。魔物を発生させたダンジョンコアのある場所だ」
「ほうほう。それで?」
「そうすれば、コアと魔物の群れの魔力が互いに反応して……ダンジョンごと、消滅する」
「なるほどな。じゃあ、早くやれ!」
ゲシッ
これからすることを全くわかっていない国王エルシスに尻を蹴られた。
解せぬ。
◇
「……魔物の群れが、消滅しました!」
「そう、良かった……」
「一体、何が……。国王は、エルシス殿は、戻ってくるのですか!?」
「ええ、そろそろ……ほら」
ぶおんっ
「いでっ! ……おおっ、北の正門に戻ったのか」
「カーラ! カーラ!? どこにいる!?」
王都ナイシスの北の正門、その入口に集まっていた私とユルゲンさん、そして、冒険者と騎士団が勢揃いしている前に、エルシスさんと……カストルのふたりが、空中から現れた。
「うまくいったみたいね。この場所からカストルの魔力特性を検知して相対座標を設定するのは困難を極めたけど、やればできるものね」
「カーラ……ああ、本当に、カーラだ……!」
「カストル……」
明らかに私を抱きしめようと駆け寄ってくるカストルを、私は、
「ふぐおっ」
「落ち着きなさい、カストル。全くもう、300年経ってもちっとも変わらないんだから」
とりあえず、顔面を鷲掴みにして抱擁を阻止する。
「こっちは14歳前後の華奢な身体なのよ? あなたが力任せに抱きしめようとしたら、肋骨の2,3本は折れちゃうよ」
「カーラも……ちっとも、変わっていない」
「いや、そんなことはないでしょ。この300年間、私は眠り続けていただけかもしれないけど、あなたと最後に話をした時まで、私は元の姿だったんだから」
「そうだけど……俺は、眠り続けている今の姿のカーラを、ずっと見ていたんだ。この300年間、時々飛行魔法で森の家に戻って、何度も、何度も」
300年間、私の寝顔を見続けていたんですかそうですか。
はー。
「おーい、カーラ嬢ちゃんに紅蓮野郎。俺たちにもわかるように説明してくれねえか?」
「話を聞く限り、カーラさんが話されていたような、師匠と弟子の関係のようには見えないのですが……」
あー、うん。
まあ、少し語弊はあったかな?
「俺達は間違いなく、師匠と弟子の関係だ! カーラは、あらゆる魔法をゼロから作り出せる、『賢者』と呼ぶにふさわしい、稀代の天才魔導士だ!」
「ねえ、カステル。私、その『けんじゃ』ってのが未だにどういうものかわからないのだけれども」
「魔法使いや魔導士をはるかに超える、最上位の称号だ!」
「あなたの『前世』って、どういう世界だったのよ……。あと、天才なのは明らかにカステルでしょ。良くも悪くも」
「おーい、いいかげん説明に入ってくれー」
「全く、なにひとつ、これっぽっちもわかりません……」
◇
つまり、こういうことである。
300年ほど前に魔物の群れに村を襲われたのが私たちの出会いのきっかけなのは確かだけど、その村に住んでいたのは、私ではなく、カステル。当時10歳くらいだったかな?
その頃の私は、件の森の家で主に調薬をしながらひっそり暮らす、中級レベルの魔導士だった。何度も言っているように、私は魔力を集める素質があまりない。少ない魔力を工夫して魔法に活用してきたから、派手な威力の魔法はさっぱり使えない。ただ、そのおかげか、あらゆる魔法の原理は根本から理解するようになり、ちょこちょこと新しい魔法を開発しては生活に役立てていた。
ある日、地平線のかなたから、とんでもない魔力爆発の波動がこれでもかと漂ってきた。森の動植物たちは動揺しまくるし、生活にも影響が出始めたから、しぶしぶその魔力爆発を探索する旅を始めた。今回、ナイシスにえっちらおっちらと向かったように。
そうしてたどり着いた、大きく広くえぐられた跡のある大地。弱まりかけていた魔力爆発の波動をたどっていき……うつ伏せでうずくまっていた、カステルを見つける。気を失いかけていてもまだ発生し続ける魔力爆発の波動を魔力平衡化魔法で散らしながら、その場所で何日か野営を続けた。
ようやく波動放出が収まり、カステルという名前を含め、ぽつりぽつりと話をし始めてきて、そこでようやく、近所のダンジョンがスタンピードを起こしたことを突き止める。魔物の気配は既に収まっていたため、カステルと連れ立って歩いているうちにたどり着いたそのダンジョン……らしき跡地を見て、カステルの魔力爆発が相当なものだったことをあらためて知る。カステルの魔力量、自然界から魔力を集める素質は尋常ではなく、また何かの拍子で爆発するかもしれないと考え、人里離れた我が家、森の中の湖の畔の家で、しばらく一緒に暮らすことにした。
しばらく……のつもりだった同居生活は、カステルの魔力制御を鍛えるのを兼ねて様々な魔法を行使させていくことで、長い同居生活となっていく。カステルの膨大な魔力は、それまで起動不可能と思われた様々な広域・長時間魔法が難なく展開され、数年も経った頃には、飛行魔法で最寄りの街ナイシスをその日のうちに往復しても時間が余りまくりとなるほどだった。いろんな魔法を新旧問わずすぐに習得していくから、カステルが喜ぶのをいいことに、あれやこれやと教えまくってしまった。
……それが間違いだと気づいたのは、カステルが成人した頃のこと。本人の将来のためにも、そろそろ私の魔法開発の一端をカステル自身に担ってもらおうとして……全く、これっぽっちも、担うことができなかった。要するにカステルは、既存の魔法や魔導現象をそのままコピーして発動させることだけに長けていて、そもそも魔法がなんなのか、それによって発生する現象がなんなのかを、何一つ理解していなかった。そして、あらためて理解させようと説明を始めたとたん、ぐーすかぴーと寝てしまう。
村での惨劇が影響しているのか……とも思ったのだが、本人曰く、『前世』の記憶の影響だとのたまう。カステルの前世の世界は魔法がなく、物理的・化学的・論理的な現象の仕組みを理解し応用することで、魔道具相当の便利な道具が生み出されていたという。半信半疑に聞いている中で、それならなおさら理解力に長ける必要がある世界だったのではと主張したが、知的活動については『こんぴゅーた』なるものが登場してその役割の多くを果たし、既に理解している者の知識や技術をコピーして発動させるだけで済むという、なんとも言えない話を聞かされた。本人は、そのような事柄さえも『ねっと』なるもので聞きかじった言説を繰り返しているだけとも。
いずれにしても、習得した魔法がそもそも何なのかさっぱり理解できていなかったことに危機感を覚え、年齢差が大きい私が先に死んだ後のことに恐怖すら感じた結果、私は『若返り』の魔法を最優先で開発した。既に長く生きたので寿命には未練がなく、開発できたらできたで争いの種になりかねないその魔法をなんとか開発し、私自身にかけた。急いで開発したせいか使用魔力量の見込みがはずれ、14歳頃の身体に若返った途端、極度の魔力枯渇による昏睡状態となってしまうことも知らずに。
◇
「……とまあ、あとはわかりますよね。カステルは私をなんとか目覚めさせようとしたけどさっぱりわからず、ダンジョンでたまに見つかる魔導書の類をあてにして探索を繰り返す。でも、その方法を記したものは全く見つからないまま、政変や災害を抑えつつ、300年の時を過ごす。どうやら、こっそり見かけて習得した『若返り』の魔法を使って延命してまで」
以上、解説おしまい。
はー、恥ずかしかった。特に、こう、自明である―――
「つまりあれか、カーラ嬢ちゃんは、実は嬢ちゃんじゃなくてB」
「エルシスさーん、女性の年齢に触れるのは御法度ですよー」
「……えっと、あー、って、やっぱり嬢ちゃんの方が師匠じゃねえか!」
「そうだよな! カーラは史上最高の」
「それももういいから。カステルがいなかったらあれこれできなかったのも確かでしょうに」
はー、疲れた。カステルにも会えたことだし、もう森の自宅に帰ろうかな。カステルの転移魔法でいつでもナイシスと行ったり来たりできるようになったわけだし。あ、もともと飛行魔法でもできるか。
「あの、カーラさん。私からも基本的な確認をしてよろしいでしょうか?」
「はい、ユルゲンさん、あなたの想像通りです」
「ですよね……」
「なんだ? なんの話だ?」
「カーラ、まだ何かあるのか!?」
私は、深いため息をついた後、無心を心がけて淡々と問いかける。
「ねえ、カステル。私は、なぜ、眠り続けていたのかしら?」
「え、それは……魔力枯渇?」
「あら、珍しく正解じゃない」
「さっき嬢ちゃんが説明したばかりだろうが……って、ああ、なるほど」
「はい、エルシスさんも正解」
「なに? 一体、何が?」
「こんな野郎が、大陸の支配者として300年も君臨していたのかよ……」
「政治的な判断も、その『前世』とやらの知識のコピーだったのでしょうか……」
「それはそれで興味深いけど……カステル、まだわからない?」
「わからない……何が、言いたい」
「カステル、あなたはなぜ延命を繰り返してまで300年間生き続けてきたの?」
「何度も言ったじゃないか。カーラを目覚めさせるための方法を、探すため」
「じゃあ、私はなぜこうして目覚めたのかな? カステルは目覚めさせるための方法が見つからなかったんだよね?」
「そんなの……知らない。わからない」
「はあ……」
その後、眠り続けている若返ったカーラに恋心を抱き続けていたカステルと、何かあった時にいつも心を落ち着かせてくれるカーラに依存するようになったエルシスが、激しいカーラ争奪戦を繰り広げるようになった頃、苦労人同士としてカーラとユルゲンが仲を深めていくことになったとかならなかったとかとか。