こんなの惚れないわけがない!
シモンと従者のジュダンからの
スパルタ教育が始まってから
早くもふた月が経過しようとしていた。
座学だけでなく、
シモンがお父さまに直談判して
雇い入れて貰った
ダンスや礼儀作法の先生からのレッスンもある。
その合間を縫って繁忙期の農作業も
手伝いに行ったりもしていて、
わたしは超多忙な毎日を送っていた。
「はぁ……いくら鍛え上げた農筋があるからといっても限界だわ……」
わたしは今日こそは
国境付近に行くべく厩へと向かっていた。
ここ数日、国境付近のポイントを見回れていない。
今日のわたしは乗馬のためのキュロットと
ワンピースをリメイクした長めのチュニックを
身に着けている。
だけどもう少しで厩に着く……!といった所で
シモンに捕獲されてしまった。
「シ、シモン……」
「……どこに行くんだ?今日はマナーレッスンの日じゃなかったか?」
「そ、それまでに戻ってくるわ!
今日は絶対に行きたい所があるの!」
「それこそレッスンが終わってから行けばいいだろう」
「そ、それはそうだけど……あの先生、長いんだもん……」
「それはお前がそれだけポンコツだからだろ、文句ならちゃんと出来るようになってから言え」
「ひ、ひぇ~っ!
きょ、今日だけは見逃しててぇぇ……!」
結局わたしはそのまま連行され、
シモンの手によりマナー教師に引き渡されたのだった……。
◇◇◇◇◇
「ニコルがまだ帰らない?」
もうすぐ夕食だという、
そんな時間に俺は侍女のチュウラから
ニコルが帰城しないと告げられた。
「は、はいっ、国境付近の例のポイントの見回りに行かれると言って城を出られたまま、まだお帰りにならないんですっ」
チュウラは心配そうに窓の外を見た。
先程から雲行きが怪しくなってきている。
今夜は嵐になるだろうと、
城の庭師が弟子と話しているのを
耳に挟んだところだった。
「国境付近の例のポイント?」
俺が訝しげに言うと
チュウラは意外そうな目を向けてきた。
「まだご存知なかったんですか?」
「まだ?一体何を」
「姫さまはイコリスの国境付近に結界のための
ポイントをいくつか設置しておられるんです」
「ポイントを設置?何のために?」
ホントに何も知らないんですね、と
驚きを隠せない様子でチュウラは言った。
「姫さまはこの国を瘴気や魔物から守るために国土結界を張られているんです」
「国土……結界?」
何かの本で読んだ事がある。
確か予め設置しておいたポイントと呼ばれる媒介物に、
魔力を流してポイントとポイントを結び、
そして国全体を囲い込み結界を張る魔法があると。
凄まじい魔力量が必要だと書いてあったが。
「ニコルは魔力持ちなのか?」
「それもご存知なかったんですか!?」
チュウラの声が裏返る。
……俺はここにきて初めて、
勉強と素養の向上ばかりに時間を費やし、
アイツの事はまだ何も知らなかった事に
思い至る。
「ここのところ忙しくて全然見回れて
いないと仰って……天候も悪くなるようだから
今からでも行ってくると、マナーレッスンの後に
城を飛び出して行かれて、まだ……」
言いながらどんどん心配が募ったのだろう、
チュウラの顔色が悪くなってくる。
な、何かあったんでしょうか……
と消え入りそうな声で呟くチュウラを他所に、
俺は自室を飛び出した。
「っ殿下!お待ちください殿下!」
ジュダンが俺を引き止める。
「殿下がわざわざお出にならなくても、
私が騎士団の者と行ってまいります」
「しかしっ……!」
「如何なされました殿下、いつも冷静な殿下らしくもありませんよ」
でも、
朝の隙間時間に行こうとしたニコを止めたのは俺だ。
有無を言わさずマナー教師に
引き渡したのも俺だ。
「俺にはニコを探す責任があるっ……!」
そう言い、俺は再び飛び出した。
「殿下っ!」
厩には既に探索の命を受けたであろう数名の騎士達がいた。
その中の熊のように大きな男が俺に言った。
「シモン殿下であらせられますな、
お姫様を心配して駆けつけて下さった事は有り難いのですが、御身を危険に晒すわけには参りませぬ。どうか城でお待ち下され」
「卿は?」
「申し遅れましたな、イコリス騎士団、
総団長を務めさせていただいております
バックス=デューダーと申します。
どうか我らを信じてお待ち下さい」
「バックス……デューダー」
知ってるぞ。
イコリス騎士団にこの漢有りと
言わしめるほどの人物。
イコリスを侮り、
数度に亘り侵攻して来た
命知らずの他国の軍を自身も含めた
たった一個大隊でいずれも殲滅せしめたという、
大陸最強のイコリスの古参騎士。
そんな男がいくら次期女王とはいえ
探索作業の為に自ら動くのか?
俺の考えが顔に出ていたのか
バックスはそれに応えた。
「お姫様にはご幼少の砌から、
熊ックスと懐いて頂いておりましてな。
この不肖バックス、お姫様の為ならどこにでも
馳せ参じる所存なのです」
熊ックスっておい……
そう言って微笑んでるだろう
ニコの姿がふと浮かんだ。
俺はバックスをはじめ騎士の皆に告げた。
「足手纏いになるのは十分わかっているつもりだ。
でもニコル姫は俺の婚約者だ。
これから俺が自らの命を賭して守らねばならない
存在だ。
それなのに我が身が危険だからと日和ってる俺に、
卿らはその大切な姫を託せるのか?」
俺は一歩も引くつもりはなかった。
俺に居場所をくれたニコル。
その居場所にアイツが居なくては意味がない。
我が身可愛さで言っているのではない。
この国で生きて行く覚悟を決めた上で
言っているのだ。
その俺の思いが通じたのか、
バックスはニヤリと笑った。
「……いいでしょう。かなりの悪天候になります、
覚悟はいいですね?」
「無論のこと」
そうして
俺と従者のジュダン、そして騎士たち数名で、
ニコルが行ったと思われる国境付近のポイントへと向かった。
雨風は次第に強くなって来ている。
こんな中にアイツが一人で……?
俺が背中に冷たいものを感じたのは
雨のせいではないだろう。
ポイントが設置されているという場所に着いた。
俺も騎士たちも少しでも高い位置から
辺りを見渡そうと
馬上で声を張り上げる。
「ニコルーー!どこだ!?」
俺は叫ぶように呼びかける。
「お姫様ァッーーー!!」
……さすがはバックス、凄い声量だ。
「ニコーーーつ!!」
その時、
岩陰の辺りから微かな声が聞こえた。
「……ン……」
「!」
「シモ……ン」
「ニコっ!?」
俺は馬を飛び降りて
声がした方への岩陰へと駆け付ける。
するとそこには何かを抱きかかえて蹲る
ニコの姿があった。
「ニコっ!何をやってるんだこんな所で!」
「シモン……来てくれたの……?」
「お姫様っ!!」
バックスも直さま駆け付けて来た。
「熊ックス……」
やはりその呼び方なのか。
「ま…魔力を受けて流す媒介にしている置物が割れてしまっていて…放っておくわけにもいかなくて
困っているうちに雨風が……」
「置物!?」
「姫様がポイントとされている媒介物ですな」
「そう……」
そう言ってニコは後生大事に抱きかかえていた置物を俺たちに見せた。
それはべつに何の変哲もないただのどっしりと重い熊の形をした焼き物だった。
「媒介はなんでも良いのですか?」
バックスが問うと
ニコは震えながら頷いた。
震えすぎて顔が上下に動いただけの様にも
見えたが。
俺は直ぐさま来ていた雨着を脱いでニコに覆い被せた。
「シモン……」
「ニコ、バックスが言うように
媒介は何でもいいんだな?」
俺が問い直すとニコは
「それなりの、大きさのある、ものなら
なんでも、いいんだけど、わたし、何も、持って、
来て、なく、て……」
震えの所為か小刻みに区切りながら言った。
バックスは馬に備えてあった予備の剣を持ってきた。
「この剣を、媒介物の代用品としてお使いください」
「出来るか?ニコ」
「う、うん……」
バックスが剣を鞘から抜いて
ポイントが置いてあった場所に突き刺す。
そしてニコが両手を結び、
何やら印のようなものを形づくり、
呪文を詠唱する。
すると剣が淡く光り始めた。
「良かった……これ、で、ひとまず大丈……夫」
そう言ったかと思った途端、
ニコが膝から崩れ落ちそうになった。
「!」
俺は咄嗟にニコを抱きかかえた。
去年までの俺なら
まだ人ひとりの体重を支えきるのは
無理だっただろう。
「シモン……」
雨でニコの頬に纏わりついた髪を
はらってやる。
「ニコ、悪かったな。
お前が城の外へ行きたがったのはどうせまた街の
掃除かなんかだと思ったんだ。
こんな大切な役目を負っていたなんて知りもしなかった」
俺のその言葉を聞き、
ニコは空な目をしながら首を横に振った。
「ううん……わた、しが言わなかった…のが……」
そこまで言って、
ニコルは意識を失った。
◇◇◇◇◇
次に目を覚ますと、
最初に目に飛び込んできたのは
いつものわたしの部屋の見慣れた
ベッドの天蓋だった。
それと、涙目のチュウラ。
「姫さまっ……気付かれたんですね、
ホンっトにご無事でようございました!」
「チュウラ……わたし、どうなったの?」
「覚えておられないんですか?
結界のポイント付近で倒れられてそのまま城へ
運ばれたんですよ」
「倒れた?運ばれた?」
ああそういえばそうだった。
昨日夕方にすぐ戻って来るつもりて
一人で出掛けてしまったんだった。
だって……
イコリスは治安が大陸随一だから……
「供も付けずに単独で飛び出した事、陛下も
ゼルマン様も怒っておいででしたよ~」
ひ、ひえ~っ……
もう一度寝込みそう……。
「でも、シモン殿下がこうなったのは自分の所為で、これからは必ず自分も同行するからと、姫さまをお庇いになったんですよ。その様子がこれまた
王子様!って感じで素敵でした」
「シモンが……」
そういえば……
な、なんか嵐の中で
シモンに抱きしめられていた気がする……!
ぼんやりしていたわたしの頭に
その時の記憶がありありと蘇る。
雨の中探しに来てくれたシモン。
自分の雨着を掛けてくれたシモン。
倒れ込むわたしを支えてくれたシモン。
心配そうにわたしの顔を覗き込むシモン。
脳天チョップじゃなくて
雨を優しく拭ってくれたシモンヌ……。
ヌ、ヌヌヌヌ……!
ダ……ダメだ……
こんなの惚れないわけがないっ……!
あの時のシモンを思い出すだけで
胸がキュンキュンするぅ……!
ど、どうしたのわたし!?
脳みそも農筋で出来てたんじゃなかったの!?
ちょっ抱きしめられたからって、
ちょっと優しくされたからって、
チョ…チョロすぎない!?
こ、恋なんて……
わたしが恋なんてっ
に、似合わなすぎる~~っ!!
わたしは再びベッドに突っ伏した。
その時、
わたしの部屋のドアをノックする音が
聞こえた。
「はい」
チュウラがドアを開けると
そこにはシモンがいた。
ぎゃっシモン!
わたしの心臓が跳ね上がった。
「ニコルは?意識は戻ったか?」
「はい!先ほど」
「……入っても大丈夫だろうか」
シモンが少し逡巡して言う。
「もちろんもちろん!どうぞどうぞ!」
おいチュウラよ、
なぜお前が決める。
チュウラに促されて
シモンがわたしのベッドの横に来る。
わたしはぎくしゃくしないように、
なるべくスマートな感じになるよう心掛けて
椅子を薦めた。
「ど、ど、ど、どうぞ、お座りになって」
シモンは黙って椅子に座る。
そして窺うようにわたしに言った。
「体調はどうだ?風邪とか引いてないか?
少し顔が赤い気がするが」
きゅん、優しいっ!
「だ、大丈夫よ!わたし、生まれてから一回しか
風邪を引いた事がないから!」
「………そうか」
「シモン、
昨日は探しに来てくれてありがとう。
迷惑かけて悪かったなぁと思うけど、
すっごく嬉しかった」
「いや、半分は俺の責任だからな。
気にしないでくれ」
「わかった、じゃあシモンも
もう気にしないでね」
「……わかった」
その時、
シモンが今まで見た事がない表情をした。
「!」
微笑んだのだ!
あの!
万年ぶすくれ顔のシモンが!
ずっきゅーーーんっ
「シモン!!」
わたしはベッドの上から
上半身だけをシモンの方へと
ぐいっと寄せた。
「な、なんだ!?」
逆にシモンは
上半身を退け反らせる。
「わたし、シモンの事が
大、大、大好きになっちゃった!」
「は?え?」
「初めて会った時からぶすくれてても
脳天チョップされても好きだったけど、
今はもっともっと大好きになっちゃった!」
「そ、そうか……」
ふふふ。
驚いてる驚いてる。
でもわたしが一番驚いてるから。
わたし、この国の次期女王として、
そしてシモンのお嫁さんとして恥ずかしくないように頑張るから!
だからずっと、一緒にいてねシモン。
学園を卒業したら
わたしをお嫁さんにしてね、シモン。
わたしはどうやら恋をしたら俄然やる気になるタイプらしい。
望むところだ!
溢れる闘志を胸に日々邁進してゆく所存!