3-10. ごまかしはできない
とくに飲み物の希望はないということなので適当にお茶を出し、一度キッチンに戻って、ソファに座るふたりを一瞬だけ眺めてみる。
異国の王女様が、俺の部屋でお茶を飲んでいる――。
冷静に考えたら、ほとんど理解できない光景だ。数日前の俺に言って聞かせたとしても納得してくれるとは思えなかった
「お待たせ」
適当に放置していたクッションに座る。一瞬カリーナが腰を浮かせようとしていたが、王女様である以前にお客だ。間違ってもそんなことはさせられない。素早い行動をとるに限る。
「えーっと……、その、どうぞ」
切り出し方、ヘタクソか。何か言いづらいことがあるだろうとまで予想しておいて、そんなヘタクソな話の振り方があってたまるか。脳内で俺を叱る俺が現れた。
でも、そんなこと言ったって仕方ないだろうと言い返す俺もいる。大成くらいならそれこそ何を言ってくるかなんてだいたいの予想はつく。どうせカワイイ女子の話か、課題で出されたレポートの話か、まぁ、その他諸々だ。この範疇から出ることなんて、この3年間でほとんど無かった。
そういう環境に慣れすぎてしまったのか、どうやら俺は話の切り出し方と言うモノを忘れてしまったらしい。情けない。昔ならどうだったんだろう。
「さきほどは、すみませんでした。エイトさま……」
「………………うん?」
自分の目が点になっている気がする。これは全く予想外。カリーナが俺に謝らなければいけないようなことなんて、今日今までの中にあっただろうか。
「あの、……ごめん。話が全然見えてこないんだけど」
「私がハッキリしないような物言いばかりをしていたせいで、エイトさまに迷惑がかかってしまいました」
カリーナから幾分か説明を受ける。曰く、今日の昼ご飯のときに、優里亜先輩や蒼空、大成たちからいろいろと言われたときに、自分が巧く説明をできなかったせいで俺を変に巻き込んでしまったことを悔いている、とか何とか。
「うーん……」
「本当に、その……」
「いや、迷惑もかけられてないし、やっぱり謝られるようなことなんてされてないよ。……たしかに、ちょっとだけ困りはしたけど」
それはあくまでも、いろいろと新事実を突きつけられたからなのだが。
「……あ」
そうだ。新事実と言えば、だ。
「どうした?」
「ああ、いや……。その流れだったら俺も、とくにカリーナに伝えておかないといけないことがあって」
「……え?」
緊張感からか、カリーナの身体がさらに強張ったように見える。夕食の時間帯くらいまで見せていた穏やかな笑みもどこかへ吹き飛んでいってしまったようだ。これは早く何とかフォローしてあげないといけない。
「いや、ごめん。そういう緊張をさせような話題じゃなくてね」
「そう……ですか?」
「うん。ホントに、安心して。むしろ俺の方がカリーナに謝りたいって思ってたっていう話で」
「エイトさまが、ですか?」
ひとつ、小さく深呼吸して自分の心を落ち着ける。あまり効果は感じられなかったけれど仕方ない。カリーナを少しでもラクにさせてやるのが先決だ。
「お昼のときに、昔の話をしてくれただろ?」
「ええ……」
こちらの真意を探るように、しっかりと俺の目を見つめるカリーナ。透き通ったその色に吸い込まれそうになる。月並みな表現だなとは思う。でも、本当にキレイな目って、じっと見ていると自然と引き込まれるものらしい。
「……そのことについて、謝りたくて」
「ですから、それは私が……!」
「カリーナが言ってたこと、俺、まるで覚えてないんだ」
「……あ」「……っ」
小さい頃に俺とカリーナが出会っていたこと。途方に暮れていたカリーナを助けたこと。他にも何かいろいろとあったようだが、その文末にすべて『らしい』という単語を付け加えなくてはいけない。
あれから何度か自分の記憶を遡ってみたが、その中にはカリーナに関するモノは無かった。記憶力にはそこそこの自信を持っていた方だったけれど、やはり幼少期のモノとなるとあやふやなモノが多い。というか、ほとんど何も覚えていなかった。
それこそ小学校低学年のころとかならともかく、ここ最近、とくにアリスト学園に入学して以降は昔を思い出すようなことすらしないようにしていたせいもあるだろう。
それだけに、やっぱり申し訳なくなった。
「あの時、曖昧なことしか言えなかったのはそのせいなんだ。だから困っていたように見えてても、それはカリーナのせいなんかじゃない。俺自身のせいなんだ」
頭を下げる。とにかく低く。
「だから、カリーナが気に病む必要なんて無くて……」
「ああ……」
怒ってはいないのだろうか。意外にもほうっと優しく息をつくような声が聞こえ、思わず面を上げてしまう。
カリーナは微笑んでいた。
「そんなことでしたか」
「そんなことって……」
言ったセリフとは裏腹に、カリーナの微笑みは曖昧な色をしていた。慰めてくれているようにも見える。だけど、どこか諦めているようにも見える。安心しているようにも見えて、それでも、微笑んでくれているのだけは明らかだった。
「何も、問題はありませんよ、エイトさま」
しっとりとした声音で、俺に言い聞かせるようにカリーナは言う。
「そう、なのか」
ふたりに訊くように言う。
「そうです。だから、そんなに頭を下げないでください。その必要はないのですから」
彼女にとっては大切な思い出かもしれないモノを忘れているなんてとんだ失礼な話だと思うのだが、本当に良いのか。俺はまだ半信半疑――いや、二信八疑くらいの感覚でいる。もしかすると、カリーナは俺に対して優しい嘘を吐いてくれようとしているのかもしれない。申し訳なさが深まっていくが、俺はそれに甘えることしかできない。
しっかりと顔を上げて見れば、カリーナは変わらず微笑んでくれていた。
――だが、セーラはそうではなかった。
いや、微笑んではいるのだろう、一応は。ただ、それがあくまでも『一応』でしかなくて、俺の目には必死に微笑もうとしているようにしか見えなかった。
小手先でどうこうできそうなタイプじゃないけどね、カリーナもセーラも。